白の衣 南天の実

□第5章
1ページ/1ページ

 部屋の隅で直が肩を震わせていた。母も父も奇声を上げ、踊りまわる。何よりも二人の印がうねうねと、空間を動きまわっていた。それは今にも直を絞め殺してしまいそうだった。直がいなくなってしまう。一人ぽっちになってしまう。その強迫観念が藍を突き動かす。
「直、直!大丈夫?」
 藍は直に駆け寄り、肩をゆすった。焦点の合わない、直の黒い目が宙をただよう。そして最後にぽつりとつぶやく。
「助けて」
 それが藍にとっての全てだった。藍は直を守るように立ち、両親を見据える。そこにはもはや命の輝きはない。
「直、お姉ちゃんが守るからね」
 藍は優しく声を掛けた。懐から護身用の小刀を取り出す。
「父さん、母さん、ごめんなさい。でも、私の大事な直を奪わないで」
 藍はまず父親に小刀を向けた。
「ああああああああああああああああああああ!!!」
 藍は叫びながら、父親の胸に小刀を突き立てた。妙な弾力が手に伝わった後、しっかりと深くまで入り込んだ。父親の奇声が一瞬止む。そして、父の目がぎろりと藍を見た。全身が鳥肌立った。しかし、もう引き返すことはできない。刺した小刀を一気に引き抜く。血が噴き出した。考えていたよりもはるかに黒っぽく、べとべとした重たい液体がどくどくと流れ出る。顔も体も真っ赤に染まった。そのまま母の胸に小刀を突き刺した。嫌な感触がしっかりと手に残る。藍はできるだけ目を合わせないようにし、小刀を抜いた。どさり、とまるで物のように母は崩れ落ちた。視界が真っ赤に染まっていた。顔を拭う服の袖も、真っ赤に染まっている。
 藍はその後、直の手を引いて離れの家を出た。一族の者なら何か知っているかもしれないという淡い期待を抱いて。しかし、惨状はどの家もそう変わらなかった。両親ほどではないにしろ、もはや話のできる者はいない。
「手遅れだったみたいね」
 自分よりもなお幼い少年が言った。彼を覆う魔力は藍の知っているものではなかった。直をかばうように立ち、誰何する。
「誰」
「僕は要道彦」
 彼の話をなぜ信じることができたのか、今でもわからない。
そして。
「直、お別れだよ」
 震える直に両親を見せる。両親は安らかに眠っていた。無残な姿で、しかし、穏やかな表情で横たわっている。
 藍には時間が必要だった。この変事は隠さなくてはならない。直を離れから連れ出し、再び両親の前に戻ってきた。シュッとマッチをすり、父と母の衣服に火をつける。まもなく獣の焼ける匂いがしてきた。藍は焼ける遺体に声を掛ける。
「直だけは連れて行かないで。私を一人にしないで」
 藍は更にマッチをすり家に火をつける。熱を肌に感じながら、離れの家を脱出した。
 よく晴れた春の夕暮れ、家は良く燃えた。真っ赤な火と黒い煙に包まれて燃える家は、両親の血と同じ色をしていた。
 藍は泣かなかった。
ただ一人の妹と自分のために。藍はそのために両親を殺した。



  <終>   

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ