白の衣 南天の実

□第4章
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 およそ十日で古都、南天京に着いた。城下町というだけあって、町の賑わいは宿場町のそれとは比べ物にならない。なんといっても行商人の数が多い。立ち並ぶお屋敷の多くも魔術師のものである。その中でも一際大きい屋敷がある。それが三ノ木家の屋敷である。藍はそこへは立ち寄らなかった。焼けてしまった離れを見るのはつらいという想いはもちろんあったが、それよりも、藍は直と一緒でなくては帰らないと決めていたためだった。
あと一日で直のいる南町に到着する。もうすぐ直に会える。そのことは藍を落ち着かなくさせた。外を出歩くことが危険だとはわかっていたが、藍はフードを深々とかぶり、神社へと歩いた。お参りでもすれば少しは落ち着くだろうと考えたのだ。
 カツン カツン
石畳を踏む自分の足音だけが響いていた。夕暮れも間近となり、境内に人影はない。冷たい風が頬をなでた。そのままゆっくりと歩いていく。賽銭箱の前まで来て立ち止まった。
「直を助けたいの。私はあなたにお願いなんてしない。でも、誓うわ。私、直を助けるから」
 藍は小銭を投げ入れた。そして、そのままきびすを返す。
 石段の前まで戻ると、人とばったりと出くわした。
「ひっ」
 驚いたのは藍だけではない。相手もまた驚き、動きを止める。
 落ち葉がはらはらと散った。藍はフードを目深にかぶりなおし立ち去ろうとする。
「藍ちゃん?」
 名前を呼ばれ、ぎくりとする。
「……徹(とおる)先生」
 藍は懐かしい気持ちで一杯になった。徹は寺子屋で共に働いた教師仲間だった。藍よりも四十歳も年上であるから、同僚というよりはやはり孫と祖父というほうが近い関係ではあったが。
「よかった。藍ちゃん、生きていたんだね。心配していたんだよ」
 徹は藍の肩を掴み、お腹の底からそう言う。本気で自分のことを心配してくれる人がいることを藍は嬉しく思うと同時に申し訳なく思った。藍は一度たりとも、自分を心配してくれているだろう人たちのことを考えなかった。
「徹先生、ごめんなさい。私……」
 徹はうんうんうなずきながら、藍を近くの椅子に誘導する。二人は神社の椅子に腰掛けて話を始めた。
「私、もうどうしたらいいかわからなくて」
 藍は自分が何を話そうとしているのかわからなかった。目からは次々と涙があふれ出る。
「辛かったろう。大丈夫だよ。泣きたいだけ泣くといい」
 徹は藍の背をなでて、藍を落ち着かせようとする。
「何があったんだい。吐き出してごらん」
 優しく諭され、藍は口を開いた。張り詰めていた何かが切れた。
「火事じゃないの。もっと悪いものが、お母さんとお父さんを奪っちゃったの。直も連れて行かれちゃう。私一人になっちゃう」
 やっとの思いでそれだけを吐き出す。嗚咽が洩れて、話したいことも話せない。それでも、徹がいるだけで、藍は安心した。徹の前でだけは藍は子供に戻れた。
「大丈夫、大丈夫だよ、藍ちゃん。藍ちゃんは一人にはならない。何も怖いものなんてないんだからね」
 どうしたらいいのかわからない、それが藍の一番の思いだったのかもしれない。藍は両親の葬儀も、焼け落ちた離れの処理も、何もしないまま旅立った。御三家の一つである三ノ木家の当主である。そんな葬られ方でいいわけがない。町の人もともに悲しみ、お別れをする必要があったのだ。藍が生きていて良かった、と言った徹の言葉もそこから来たのかもしれない。子供たちが生きていないから、葬儀がきちんと行なわれない、町の人はそう思ったのかもしれない。
「徹先生、ずっと生きていてくれる?私より先にいなくならないで」
 藍は小さくつぶやいた。徹は困ったように笑う。
「約束はできないけれどね、できるだけ長生きはしよう。でもね、藍。私が先に死んでしまっても、ずっと藍のそばにいるよ。それだけが信じておくれ」
 藍はうなずいた。徹の言葉なら信じることができる。
「藍、私にできることはあるかい?直ちゃんは今どうしているの?」
 藍は服の袖で涙を拭う。徹にはいつも泣かされてきた。しかし、そのおかげで心は軽くなる。
「うん。徹先生、私と会ったことは誰にも言わないでほしいの」
 徹はにこやかな表情のまま、うなずく。なぜ、と問い返しもしない。
「約束するよ」
「ありがとう。これから、私、直のところに行くの。ちゃんと帰ってくるから、それまで、内緒にしておいて」
「あぁ、待っているよ」
 藍はにっこりと笑った。心は今までで一番穏やかになっている。
「私、直を助けるから。二人でちゃんと戻ってくるから」
 藍は徹にぎゅっと抱きついた。徹は驚きつつも抱きとめる。優しく頭をなでる。
「まだ、頑張らなくちゃならないことがあるなら、頑張っておいで。私はずっと藍ちゃんのこと想っているからね」
 藍はうなずいた。徹から体を離すと、石段の上に一つの人影があった。
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