白の衣 南天の実

□第3章
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  カラン カラン
 日が沈んでしばらく。不意に呼び鈴が鳴った。藍は顔をしかめる。通常ならばこの時間の訪問は無礼にあたる。
ナツがパタパタと駆けていく。藍はそれを自室で聞いていた。真龍は足音を立てないのでわからないが、この時間の訪問者を女性のナツ一人に出迎えさせるわけはない。にわかに騒がしくなった。そしてすぐに静寂が戻る。
「藍」
 扉ごしに真龍の声がした。藍は寝間着に上着を羽織り、返事をする。
「どうぞ」
 扉を開けて真龍を招く。入ってきた真龍の表情は険しい。
「明日、夜明けと共に屋敷を出ます。旅支度をしてください」
 藍はうなずいた。しかしそこは藍である。聞きたいことは聞く。
「何があったのですか?」
 真龍は口を開きかけ、しばし考えた末、答えるのを止めた。
「とにかく、支度ができたら一度私の部屋に来なさい。稽古の順番を少し変えます」
 真龍は一見すると冷静であったが、よくよく見ると今にでも飛んで行ってしまいそうな落ち着きのなさが見られた。
 藍は仕方なくうなずき、旅支度を始めた。旅には十分慣れていた。一五分も掛からずに支度を終え、真龍の部屋へと向かう。
「失礼します」
 藍が室に入ると、真龍もまた旅支度を終えていた。
「さて、では今から魔力強化を行ないます。私があなたに与えられる量はわずかです。今のあなたの魔力と同量程度とお考えください。それを明日の朝までに一般の方の平均レベルまで増やしなさい。これは命令です」
 魔力強化術の話は聞いている。その増加速度は個人値である。増やそうとして増やせるものではない。藍の魔力は一般人の平均と比べると十分の一程度しかない。なお、真龍は一般人の平均の五倍を優に上回る。真龍にとってささいな量でも、藍にとってはそうではなかった。一晩でそれをこなすことがどれだけ無茶なことであるかは藍でもわかる。とはいえこれは師の命令であるから、できないなどとは口が裂けても言えない。
「わかりました。必ずその命を果たしましょう」
 真龍は藍の正面に正座し、藍の左手を取った。そこには一つ菱の印がある。
「我、水菱真龍ハ求ム。我ガ貴キ地変ノ主ヨ。カノ恵ヲ我ラガ幼子、日宮藍ニ与エタマヘ」
 藍は真龍の魔力をじっと見つめていた。すっと真龍の魔力のわずかな量が印に吸い込まれた。そして藍の印から魔力が生まれる。異質、という言葉が頭に浮かぶ。頭ではわかっているつもりだった。この魔力は生きている、と。しかし、やはり抵抗がある。
「藍、拒まず受け入れなさい」
 藍の感情が表れていたのかもしれない。真龍に指摘され真摯に向き合う。これがなくては藍は魔術師にはなれない。上位魔術である系統魔術を使うためには、この魔力が必須なのだ。藍はこの新しい魔力と呼吸を合わせる。
「それでいいのです。次はそれが増える様子を感じてみてください」
 藍は感覚を魔力にしぼる。水が溜まっていくように増えていくのがわかる。しかしどこから魔力が入っているのかがわからない。
「魔力はそれ自体が増えています。育っているのです。印から沸いている訳ではありません。強いて言うのなら、魔力から魔力が沸いているといえるでしょう。藍、あなたならもっと速いペースで増やせるでしょう?それがあなたの最速ではありません」
 藍が出所を探るために意識を使ってしまっていたためか、増加のペースはゆっくりだった。このペースを上げることはできるかもしれない。しかし、本当に上げて大丈夫なのだろうか。藍はちらりと真龍を見る。
真龍は魔力が急激に増えることの恐ろしさを知っている。多くの一族が体験してきたことだ。暴走させてしまった者も少なくはない。しかし、真龍は藍の感覚の鋭さと魔術のセンスを買っていた。藍ならできるだろう。不意に増加の速度が上がる。そしてしばらくすると少しその速度が落ちた。
「お約束は出発までに十倍にして、扱える状態にする、でしたね。きちんと整えてきます」
 藍は気を乱さないように注意しながら言った。真龍が表情がやや驚いたものになる。藍は言葉にない要求をきちんと理解していた。そしてまた、真龍が焦ってしまっていることにも気づいていた。
「そのとおりです。では部屋に戻りなさい。留守はナツとコウに任せましたから、心配は要らないでしょう」
 藍はふっと息を吐いた。前々から真龍は急いでいた。今に始まったことではない。しかし、あの呼び鈴がきっかけだったことは確かだろう。時間としては一、二分。立ち話をするには短すぎるため、手紙かもしれない。
「ヨツメ、誰かいない?」
 自室で声をかける。ヨツメは一人ではない。ならば、一人くらいは藍のそばにいるのだろう。
「何だ?」
 意外と近くで声がし、肩をびくりと震わせる。部屋の広さからして、遠くから声が聞こえるはずはないのだが、そこまで考えが及ばない。
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