白の衣 南天の実

□第2章
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 翌朝、夜明け前に真龍は起き出した。いつも通りの朝である。すぐさま簡単に身繕いし、居間へと向かう。
「おはようございます」
 少女の声にビクリとする。居間で彼を出迎えた少女はまだ幼い。
「……おはようございます、藍さん」
 他人を家に住まわせることの恐ろしさを久しぶりに実感しながらも笑顔で迎える。
「お早いですね。よく眠れませんでしたか?」
「いいえ、とてもよく眠れました。私は少し早く起きる習慣があるのです」
 その言葉に嘘はないだろう。藍の表情に眠気はなく、晴れ晴れとしている。
「お食事の用意をいたしましょうか?」
「いえ」
 今にも台所に駆け込みそうな藍を手で制す。
「それは私がします。まだしばらくかかりますから、少し座って待っていなさい。今後のことは食事の後にでも話しましょう」
「わかりました」
 真龍は藍が座るのを見届けてから、白衣を羽織り外へ出た。
山の稜線が赤く染まっていた。山の黒と空の藍を赤い線が区切る。
まもなく夜が明けようかというこの時間。植物は最も強い生命力を発揮する。薬草の効果もこの時間に摘んだものが最も強い。真龍はそんな植物たちの生命力を感じながら、庭の薬草と少しの野菜を収穫した。これが今日の朝食となる。
 真龍は迷っていた。これから藍をどうすべきか、と。藍の揺るぎない意志を確認して、どんな事情があっても引き受けよう、そう一度は決心した。だが、真龍自身多くの事情を抱えている。やるべきこともたくさんあった。忘れていたわけではない。しかし、少し軽率であったかもしれない。だから、今、藍に水菱の印を与えることはできない。それによって真龍の行動が制限されてしまってはならないのだ。
そもそも、魔術の修行は一月(ひとつき)や二月(ふたつき)で終わるものではない。最低でも三年。一人前として認められ、弟子を取れるようになるまでには十年以上の歳月がかかる。通常であればつきっきりでいる必要がないため、真龍は別行動をして諸用を済ませることもできただろう。しかし、今、水菱は印が狙われている。藍に印を与えたら、真っ先に狙われるのは藍である。死でさえ覚悟している藍だから、危険だからといって印を与えないことは失礼かもしれない。しかし、印は水菱の家全体として守らねばならないものなのである。今、藍に印を与えるなら一人前になるまでそばにつき、真龍が藍の印を守らなくてはならない。これでは、真龍の行動が間違いなく制限されてしまう。
真龍は残念に思いながらも決断する。今、藍に実技は教えない。
小さく首を振って、真龍は庭を後にした。
「では、今後のことを話しましょうか」
 藍が食事を終える頃合を見計らって真龍は話を始めた。
「私はあなたを弟子にいたします。しかし、我が家では認められていないことをお忘れにならないでください」
 藍はうなずいた。そんなことは承知の上だろう。それでも言ったのは、真龍自身の逃げだったのかもしれない。もし、今、水菱のことで何かが起これば、真龍は藍に魔術を教えることよりもそれを優先させる。
「藍さん、いえ、今日から藍と呼ぶことにしましょう。藍、あなたはどこで魔術師の誠の言句を学びましたか?」
「それは、私の一番そばにいた魔術師の方に教えていただきました」
「そうですか。これは魔術師の間にのみ伝えられるものです。本来ならば魔術師でないあなたが知っていてはならないものです」
 まさかここで言句について追求されるとは思っていなかったのだろう。驚き、そして、うつむいた。なんらかの処分があると考えたのだろうか、うつむきながら、唇を噛みしめている。
そんな藍を真龍は楽しげに見ていた。この少女なら必ず反撃をしてくる。そう確信して。
「――私は魔術師の卵です。少し学ぶ順番を間違えてしまっただけです」
 きっとにらみをきかせて、藍は真龍を見た。予想通りの反応に、真龍は思わず口をほころばせる。
「笑わないでください。母が、もしもの時のためにと、唯一教えてくれたものなのです。私は、他の人よりもはるかに魔力が弱いから、だから、誠意を見せるしかできることなんてなかったのです」
 藍の本気の怒りに少々反省する。笑みを押さえ、真摯な態度で藍と向き合う。
「からかうつもりはありませんでした。申し訳ありません。あなたがすでに魔術をかじっているようでしたので、どの程度学んでいるのか知りたいと考えたのです」
 藍は大きく息を吐く。自分でも熱くなっていたのがわかったのだろう。再び見上げたその瞳には冷静さが戻っている。こういったマインドコントロールに関しては、もはや真龍が教えることはない。
「あなたはどの程度、魔術を学んでいますか?」
「実技以外は、ほぼ学んでいると思います。南部系魔術ではありますが」
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