月の花の咲く夜に

□*-1.憂い
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 つい先頃、王城の敷地内に一つ宮が増えた。真っ白な石で作り上げられた美しい宮だ。
 他の宮に比べれば決して大きくはなが、どこよりも美しく輝くその宮を人々は白の宮と呼んで親しんでいた。そこでは初代国王となった旅人の持っていた特別な遺品が管理されているという。話を知った都の人々は遠くから白の宮を眺め、事あるごとに祈りを捧げた。

 そんな白の宮の二階。小さなバルコニーに出たティアは眼下に広がる街並みをぼんやり見つめていた。
 夕日が街の向こう側へと沈んでいく。一時、真っ赤に染まった街は次第に群青に変わり、家々の明かりが一つ二つと灯される頃になると月がまばゆく輝きだし、その街並みを青白く照らす。
 美しい光景だった。けれども、そんな美しさでさえも今のティアの心を捉えることはできなかった。ティアの口からは自然とため息が漏れる。
 ティアはこの半年のことを思い出していた。
 半年前までは王宮で働く下働きの一人だった。けれどもひょんなことから陛下の毒を持った犯人とされ、捕まり、脱出不可能とされた北の斜塔から逃げ出し、魔女と呼ばれ、殿下と出会い、結局最後は同僚であり親友であったシェリーとこの国の宰相の裏切りが発覚し事件は幕を下ろした。思い出すのもつらい日々だった。魔女と言われたことはもちろん、親友の裏切りがあったのだから。
 だがそれだけではなかった。
 その一連の出来事の中でティアはあの人――殿下と心を通わすことになった。
 信じられなかった。青の王子と呼ばれ、誰もが羨んで止まない容姿端麗な姿、そして思慮深く優しさも忘れない完璧さを持つ殿下が自分を好きになることなどありえないと思った。
 けれども、それが幻でなかったのだということは今の生活からしてわかる。新たに暮らす場所が与えられ、仕事が変わり、肩書きをもらった。ちっぽけな下働きだったティアの生活は一変した。
 それはティアが想像していたような恐ろしい変化ではなかった。殿下の配慮が優しさがどこまでも行き届いていて、ティアが抵抗なく受け入れられるよう細心の注意が払われていた。
 今、ティアはこの白の宮で特別宝物管理人――つまり、旅人の遺品管理を担う者として暮らしていた。
 ティアは副管理長として優遇されている。殿下の元を直接訪ねることこそできないが、王宮への出入りや街への出入りもかなり甘く、加えて白の宮は王宮の敷地内ということもあり、これまで通り、魔女の薬師としての仕事も滞りない。
 何不自由ない生活を手にして、好きな人が見える位置にいて、ティアはとても満ち足りていた。不満などなかった。けれども、だからこそ考えてしまうことがある。
「私も、あの人のために何かできればいいのに」
 ティアに出来るのは何かをしてもらうことばかりだ。好きな人のために何かしてあげたいとずっとずっと思っていた。けれども、自分にできることなどたかが知れている。
 役立たずな自分はすぐにでも捨てられてしまうのではないかとも思う。殿下がそんな人でないことはティアはわかっている。これは自分の心が弱いからだ。そんなことはわかっている、けれども、わかっていてもどうにもできない。
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