月の花の咲く夜に

□1-3. 闇に潜むもの
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  *

 月の光が降り注いでいた。
 北の斜塔の最上階。固い石のベットを一つ置けばあとは足を突く場所がわずかにあるだけの狭いその部屋には、掌を二つ合わせたくらいの小さな天窓があった。その僅かな窓から漏れる光が、ティアの心を少しだけ落ち着かせる。
(今日は、都の浄化にちょうどいい日だったのに)
 冬の暖かな日は昼と夜との温度差が大きく霧が生じやすい。そういった日に都の至る所に張り巡らされた水路に例の薬を流し込めば、いちいち拭いて回らなくても都中に薬が行き渡る。
(――あぁ、そうか。あの時、薬を飲んでしまえばよかった)
 ティア自身、あの薬をそのまま飲んだことはないが、水路にいれても大丈夫ということは少なくとも薄まっていれば飲んでも大丈夫だということだ。それならば、あのまま飲んだとしても死にはしなかっただろう。
 ティアのもう一つの仕事は、青の都の浄化だった。
 ティアの家は魔女付の薬師の家系だった。魔女ニキの変のおり彼女は自らの気で都を穢した。放っておけば人々の心はすさみ、凶暴になり、争いが生まれる。それを防ぐのが残された魔女の薬師たちに課せられた責務だった。
 月の光には浄化の作用があり、月の照らす場所であれば気にする必要がないが、そうでない場所も多くある。そこで月の光に代わって負の思念を浄化するのが、月の女神に教えられたと伝わる魔法の薬だ。
 この薬はまさに月の化身で、この都が夜になると常に満月の夜のように青く浮かび上がるのは、長年、この薬で清められた結果だ。ティアは王宮に下働きとしてあがりこみ、夜な夜な王宮を歩き回っていたのも薬を塗布するためである。
 一見、隠す必要のなさそうな話だが、これは決して明かすことのできない話だった。旅人に都を救われ、脅威は去ったとされているのだ。もし、未だに魔女ニキの脅威が残っていると知れれば。
(そんなことが知れたら、都中が恐慌状態に陥ってしまうもの)
  カタ
 扉の近くで小さな音がした。何だろうと思いベッドを降りて近づいてみるが、おそらく中ではなく廊下の音だろう。鍵のかかったこの部屋からはうかがうことはできない。
  ガシャン
 今度は先ほどより大きな音がした。ティアは思わず足を引く。
(な、なに? ニキの思念?)
 嫌な想像をしてしまい、ぶるりと震える。そそくさと移動してベッドの上で膝を抱えて丸くなった。けれども音はそれきり止んだ。
(気のせい? でも、ガシャンって、まるで鍵の開いたような……)
 まさかと思いつつも確認せずにはいられなかった。恐る恐る近づき、重い扉を押す。すっと闇が滑り込んでくる。
(――開いた)
 ティアはそっと顔を出して辺りを見回す。月明かりのある室内よりも窓ひとつない廊下の方が暗く、周囲の様子はほとんど見えないが、人の気配は感じられない。ティアはためらいつつも廊下へと足を踏み出した。
 それから音をたてないように下へ下へと下って行く。重犯罪者しか入れられることのない塔であるからもとより使われている部屋は少なくほとんどが空室だ。けれども、時々うめき声のようなものが聞こえれば、ティアはビクリと身を震わせる。そうこうしていると一番下の階に着いた。ここには見張りがいるはずだ。
(どうしよう、私、考えなしだった。こんなところを見つかったら)
 きゅっと固く目をつぶって、ゆっくり首を横に振る。
(来ちゃったものは仕方ない。行ってみよう)
 兵の詰めている部屋の前を通らなくては扉へはたどり着けない。静かにゆっくりと歩いていると、小さく寝息が聞こえた。驚いてそちらを見ると二人の兵はテーブルゲームをしながら眠っている。今のうちに、とティアは急ぎつつ、扉に手を掛ける。
(あ、鍵)
 だが、扉に鍵はかかっていなかった。重い扉がゆっくりと開く。そして、外へとつながるもう一つの扉もまた、鍵がかかっていなかった。
(なん、で? まるで、誰かが私を逃がそうとしているみたい)
 しかし、そこまでだった。塔をでて街へ向かって駆けだしてすぐ、目の前に人影が立ちふさがった。
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