ズシン、と、腹の上にのしかかる重みで、意識が覚める。
薄目を開けて見やると寝乱れたパジャマ姿の成歩堂が、おはようと言ってきた。おはようと返し、ベッドヘッドに置いてある簡易マスクに手を伸ばす。
朝の光が部屋中を満たしていても、俺のイカレた視力では目の前にいるコイツですら視覚できない。マスクを装着してようやく成歩堂の顔に浮かぶ満面の笑みが分かる。
「まるほどう、妙にご機嫌だな。朝っぱらから積極的なコネコちゃん、嫌いじゃないぜ」
「おかげさまで楽しい夜を過ごさせていただきましたからね」
上半身を倒してチュと軽いキスを唇に落とすと、成歩堂は楽しげに俺のヒゲをなでた。
「コレ、お手入れ、大変じゃないですか?」
「……まぁ、それなりにな」
簡単そうに見えてけっこう手がかかる。無駄な毛は始末しなければならないし、残す分もクシを当ててカットしなければならないのだ。
正直面倒だと思わないわけでもないが、これを処分してしまいたくはなかった。
けれど時たま、思い切って全て剃り落としてしまいたいと考えることもある。
「今度、手伝ってあげましょうか」
「遠慮しとくぜ、アンタの危なっかしい手つきじゃ喉仏を切られそうだからな」
そんなことしませんよ、と笑いながら、成歩堂はヒゲに触れていた指を移動して喉にそっと触れた。
くすぐる動きに思わず笑みをもらし、手を伸ばして成歩堂の手首を掴んだ。
「おイタはやめな、コネコちゃん。お仕置きしちゃうぜ」
その背を強く抱きしめて身体を反転させる。のしかかっていた成歩堂にのしかかり、コイツがそうしたように目立たない喉仏をくすぐる。くすぐるだけじゃ物足りなくてキスを送ると、ヒゲがチクチクすると拒まれた。
「ゴドーさん、重いです。それに、この体勢ってなんだかアレなんですけど」
股を開いて腹に座っていたカタチを逆転させたせいで、足を開いた間に身体を割り込ませるカタチになる。
ソレは成歩堂が好む正常位で、さすがに明るい日の中では恥ずかしいのか、成歩堂の顔が耳まで朱色に染まる。
「さっきの体勢も十分アレだった、だろう。朝っぱらから足りなくて誘ってるのかと思っちゃったぜ」
わざと卑猥に腰を動かして見せると、悔しそうにむっと睨みつけてくる。その表情すら愛しくて、俺は潤んだような瞳にキスを寄せる。
「ん、もう……」
ごまかされたと思ったのか、成歩堂の眉間に皺が寄る。
朝っぱらから機嫌を損ねるのももったいなくて、俺はそっと身体をずらして横に寝転んだ。
「手伝いたいって気持ちは本当ですよ。だってゴドーさん、鏡見るのお嫌いでしょう」
図星を突かれた内心が驚きで跳ねたが、表情だけはいつも通りにふてぶてしく笑い、枕に肩肘をついて成歩堂の方を見やる。
「……何のことだい、まるほどう」
「ゴドーさんのおヒゲ、好きって話です」
成歩堂は俺の口に指を押し当てて言葉を封じると目を細めて笑い、さて、と身体を起こした。
「それじゃ僕、朝食の準備でもしてきま」
ベッドから抜け出ようとしたその腕を、思わずひきとめる。口を開くが、とっさに言葉が出てこなかった。
成歩堂は驚いた表情を柔らかくほころばせ、小さく息を吐いて微笑んだ。
「……それから、おヒゲ以外に、今のゴドーさんも好きって話です」
鏡を見るたびに、映る自分の姿。それは記憶に刻まれた今までの自分とは違っていて。
「どんなゴドーさんでも」
白くなった髪。顔半分を覆う鉄。なよなよした細い身体。そこにいるのは赤の他人といってもいいほど、過去とは姿を違えた男。
「僕はきっと、大好きですよ」
唯一変わらないのは顔にたくわえたヒゲだけで。だからそれの手入れをおこたることはない。ただ一つ、過去と今を共通するものだから。
だが、同時にそれの手入れをするためには鏡を見なくてはならず、そのたびに変わってしまった己自身と真向かうことになり。どうしようもないジレンマが奥底で生じてしまうのだ。
「ま、るほどう……」
「だから、いつでも言って下さい。それまでにお手入れの仕方、勉強しときますから」
今度、僕もチョットだけ生やしてみようかな。
成歩堂は力の抜けた手からするりと腕を抜き取り、柔らかな笑みで俺を見下ろす。カーテンから差し込む日差しにも負けないその鮮やかな表情に、息苦しいほど胸が苦しくなった。
かつて……そう、かつて法廷で、成歩堂が生きていく理由の一つだと法廷で口走ったことがある。
あれとは違う意味で、同じ言葉を心でつぶやく。
コイツがいなければ、生きてはいけないと。
「俺も、そういうアンタが好きだぜ」
ただあるがままに今の己の存在を肯定する成歩堂に、どうしようもないほど激しい感情が溢れる。
俺は俺として、この場にいてもいいのだと、この場にいて欲しいのだと、真っ直ぐな想いが心に響く。
「アンタだけだ」
俺の怯えや不安や恐怖に押し付けがましいコメントを吐くではなく、柔らかく寛大に包み込んで癒すコイツに、湧き上がる想いは愛だとかどうとか、単純な単語でくくれるものではなくて。
だから俺は言葉を殺し、成歩堂にすがりつく。その腹に顔を伏せ、たかぶる感情を抱えて歯を食いしばる。
「十分知ってますから、そんなこと」
指が髪に触れる。感触を楽しむように何度も撫で、俺の全てを慰撫してくれる。
過ぎた恋人だぜ、と思いながら、俺は恋人に甘やかされる心地よさに酔いしれた。