Novel Parallel

□天地鳥枝(ノンナルべーすマフィアゴドナル)
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「すみませんが、今日はお休みなんですよ」

 ドアの開く音に、僕は顔をあげないまま断りの言葉を口にする。

 指が踊るのは鍵盤の白と黒。
 評論家たちに魔法の指と評された手に、柔らかい恋の歌を歌わせる。

 店に満ちるピアノの音色が優しく空気を震わせて僕を包み込んだ。

「Phoenix=c…アンタに依頼したいことがある」

 開いたドアにもたれたまま、男が低く言う。

 照明を落とした室内に、ソコから長く伸びた影が僕とピアノにかぶさった。
 視線をちろりと流して影を見やりながらも、僕は指の動きを止めない。

 今夜のリサイタルは誰のためでもなく、あの人のためだけのもの。
 あの人を失った日に奏でる、あの人のための恋の歌。

「懐かしい名前を呼びますね。でも残念ながら、Phoenix≠ヘ死んだはずです。最後の依頼に失敗して返り討ちにあって殺された……、そんな風にアチラの世界に知れ渡っていたと思いますが?」

 踏み込んだペダルがキィと嫌な音を立てた。
 調律や手入れはキチンとしていたはずなのに、それが僕の胸のきしむ音のように聞こえて不快感が沸き出る。

「ソイツは嘘偽り、だな。……俺を誰だと思ってるんだい、コネコちゃん。まさか知らねぇなんて言わねぇだろうな」

 傲慢不遜な口調。強者であるからこその余裕がにじむ声音。
 男から漂う、他人を威圧することに慣れた雰囲気は冷たく、常人ならば金縛りにあったように硬直して震え上がることだろう。

(まぁ、僕は別に平気だけどね)

 死は決して遠いものじゃない。そして、決しておそろしいものでもない。
 自ら命を絶つほど愚かじゃないけれど、いつ死んでもかまわないと思っているから、僕は怖くない。

「この界隈に生きる人間が知らないはずないでしょう。ディーオアッソォールト≠フボス、ゴドーさん」

 最後の一音を弾き終えて顔を上げると、男は入っていいという許可が出たと思ったのか、ドアを開け放ったまま靴音を鳴らして店の中に入ってきた。

「知っているなら話は早ぇ。かつては伝説とまで言われたアンタに始末して欲しいヤツがいるんだが」

「申し訳ありませんが」

 胸ポケットから何かを取り出そうとしたゴドーさんの言葉をさえぎって首を振る。

「Phoenix≠ヘ死にました。僕はウラの世界から手を引いたんです、スッパリとね」

「……クッ、死んだってニセの情報を垂れ流して、オモテでは世界的なピアニストとして大活躍ってわけかい。オモテでもウラでも有名だな、アンタ」

 ゴドーさんはどこからか取り出したコーヒーカップに口をつけ、その味に満足したように口角を持ち上げる。

(え、くぼが……)

 一瞬、あの人の笑みがブレて重なる。
 こけた頬にできた、小さなえくぼ。面影が心臓を握りつぶして悲しみの血を流す。

「そうですね、有名になりたいなんて望んだことはありませんが」

 かつて、その笑み一つで僕を幸せにしてくれた人は、もうどこにもいない。
 こんな世界から足を洗えと、笑って吐いたその言葉を最後に、永遠に瞳を閉ざした。

「だが、この標的はアンタじゃなきゃ仕留められねぇんだ」

 たった一人、運命だと思えるほどに愛した人。
 今もなお、思い浮かべるだけで胸が張り裂けそうになるくらい、大切だった人。 

「お断りします。僕はあの世界に背中を向けてからもうずいぶんになる。腕も落ちていますよ」

 過去形でしか考えられないことが苦しくて視線を落とすと、大きな手が伸びてきて僕の顔をとらえた。
 そしてそのまま無理やり仰向かせ、太い親指で無精ひげをザラリと撫でる。

「この俺の依頼を、断るってぇのかい?」

 間近に迫る顔は思ったよりも整っていて、溢れんばかりの男の色気に満ちていた。
 色素の薄い目が真っ直ぐに僕を睥睨し、顔を触る手とは逆の手が僕の首に絡む。

「グ……ゥッ、お、断りです。僕はもう、人殺しはしないと、誓ったんですっ」

 締めつけられる喉の痛みに眩暈を覚える。
 息苦しいまま拒絶すると、ゴドーさんは小さく面白ぇとつぶやいた。

「想像以上だな、アンタ。Phoenix≠セけじゃねぇ……アンタ自身も欲しくなっちゃったぜ」

 声と共に顔が寄せられる。
 ほんの少し斜めに傾け、ゴドーさんの肉厚な唇が僕のそれに重なる。

 何を、と叫ぼうとしたら、開いたその隙間から舌が忍び込んできた。
 さぞかし経験豊富なのだろうゴドーさんは縮こまる僕の舌を見つけると、やすやすと吸い絡め犯すように奥の奥まで求めてきた。

「ん、んぅ……っ」

 僕とて、清廉潔白な人間じゃない。ウラの世界にいた頃はそれなりにカラダを使った取引だってしてきたし、あの人と出会ってからは一筋だったけれど愛欲の日々を送ってきた。

(最後にエッチしたのって、いつだったっけ)

 あの人を失ってから長い間一人寝が続いていたせいで、淫らな身体はあっけなく快楽の兆しを見せはじめる。
 キスを楽しむゴドーさんが、熱塊に気づいて喉の奥で笑うのが分かった。

「可愛いじゃねぇか、コネコちゃん」

「カ、ラダを落としても、依頼は受けませんよ」

 この体格差だ、逃げようとしてもできない。
 いつの間にか壁とゴドーさんとに挟まれていた僕は悔しさに顔をゆがませて首を振った。

「標的は、コイツと取り巻き連中だ。詳細は追って知らせる」

 僕を片手で抱きしめたまま、ゴドーさんはポケットから写真を取り出した。

「僕は受けないと言って……」

 拒絶の言葉は最後まで口にできなかった。写真のウラに、見覚えのある文字。

《おにいちゃんたすけて》
《兄さん、リュウを助けてくれ》

 僕の大切な弟たちの、見慣れた文字。
 どこか乱れた筆跡のそれを、まぶたが痙攣するほどじっと見つめる。

「弟たちに、何をしたんですか」

「アンタ、オモテに染まりすぎて忘れちまったようだな、Phoenix=B大切なモノは誰の手にも届かないところに隠しておかなきゃ悪い人たちに奪われちゃうんだぜ」

 ゴドーさんは楽しげに目を細めて言うと、身をかがめて僕の首に顔を寄せた。
 チリと痛む気配がして、肌に吸いつかれたのだと分かる。

(油断しすぎたってわけか)

 ウラの世界に僕の死が知れ渡って数年。
 ほとぼりも冷めただろうと、長く離れ離れになっていた弟たちを呼んで、兄弟水入らずで暮らし始めたのはここ数ヶ月のことだ。

 絵に書いたような平和な日々。僕には似合わない平穏なのだとわかっていたけれど、手放せなかった。
 弟たちはあの人を失って欠けてしまった心を埋め、冷たく凍えた身体を温めてくれた。

 僕に残された――最後の、大切な。

「分かりました」

 パーカーを脱がせその下のアンダーも奪って裸にさせると、ゴドーさんは嫌悪に泡立つ僕の皮膚に歯を立てた。

「ゴドーさん、アナタの命ずるがままに」

「いい返事だ、コネコちゃん。俺に身も心も預けるってんなら弟たちは無事に解放してやるぜ」

 ついた歯型やキスマークを楽しそうに舐め、ゴドーさんはなおも僕の身体にくらいつく。

「身はかまいませんが、心は無理ですよ。先着一名に売約済みです。身体だけであきらめて下さい」

 血に濡れた身体。血で血を洗っていた僕を、あの人が触れて清めてくれた。
 その肌に、好きでもない男が舌を伸ばす。苦痛よりも激しいおぞましさに身体が震えた。

「クッ……やっぱりアンタ、面白ぇぜ」

 忠誠のあかしに抱かせな。
 ゴドーさんはそう言うと、ケダモノの勢いで僕を押し倒した。

 ごめんなさいと、心の中で小さく謝る。
 まぶたによぎるあの人が、決して笑っていないから。

(仕方がない、というのは言い訳になりますか?)

 あの人に愛された身体をゴドーさんへの供物にする。
 あの人の一言で抜け出した世界にもう一度足を踏み入れる。

(だって、あなたがいなくなって、僕の側に残ったのはあの子たちだけだから)

死んでも心はただ一人だけのものだから。
 この身体をゴドーさんの自由にさせても、心は決して明け渡さないから。

(だからどうか、許して下さい)

 燃えるような愛撫は記憶にあるあの人のソレとはまるで違う。
 汗を滴らせる男を見上げながら、僕は声と涙をこらえて唇を噛んだ。





 そして――。

 オモテとウラに存在する犯罪組織の中で、最も勢力を誇るDio Assoluto=B

 若くして歴代の誰よりも有能で辣腕だと、畏怖と尊敬の念をもって慕われるボス、ゴドーの側に。
 伝説とまでうたわれた不死鳥が、まるで比翼の鳥のごとく寄り添うようになるのは。

 また、のちの話。









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パロのマフィアごどなるに食いつきが激しかったので。
それを使ってちょいとコネタです(?ナルベースのゴドナル)。
《マフィアのゴドさんにヒットマンのニットさんとか(ピアニストとしてオモテの世界で活躍するニットさんは拒もうとするんだけど弟のナルたちを人質に取られて言われるがままに身も心もゴドさんのものになる)。》
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過去のある人って好きです。ニットさんは好きな人の死をきっかけに、ウラの世界から足を洗ったという設定になっております。
ゴドーさんがちょっと酷い扱いですが、たまにはまぁこんなのもいいんじゃないかと。
ニットさんの『あの人』については、皆様のご想像にお任せいたしますv
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以前、拍手ページにおいていた、マフィアゴドナルになります。
拍手では香港マフィア『龍荘』のボスとしてのゴドーさんでしたが、皆様にお伺いしたところイタリアン派が多かったもので、拍手からこちらのページへの移動の際、組織名を変更しました。
『龍荘』はそのまんま、神乃木荘龍の名前を逆順にしただけですね。
『Dio Assoluto』は『絶対的な神』という意味で、Godotに絡めたつもりです。
作タイトルの『天地鳥枝』は香港設定の時につけたものですから漢字なんですけど、個人的に気に入ったタイトルですのでそのまま使用しましたv

このお話、皆様からの反応がとてもよろしくてv
ゴドーさんがひどい扱いにもかかわらず、楽しんでいただけたようでございます。
ニットさんが想い続ける『あの人』について、千尋さん説、神乃木さん説、呑田さん説などたくさん頂戴しましたv
一番票数が多かったのが呑田さんですので、もしまた続編を書くことがあれば、呑田さんベースでのお話になるんじゃないかなと思います。

また、いつもお世話になってますリツカさまより、素敵なイラスト『It's the end...』を頂戴しちゃいましたv
マフィアゴドーさんがとてもかっこいいです!脳内シネマとおっしゃってましたが、本当にまるで映画のワンシーンのようで見惚れてしまいますv


(08/11/07拍手公開・12/8訂正)




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