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□【 Agapanthus 】『猫』
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- side B -『猫』


「おかえりなさい、ブチャラティ」
深夜、刑務所から戻ってきたブチャラティが自宅のマンションのドアを開けると、少年の声が彼を出迎えた。

ナランチャがギャング組織『パッショーネ』に入団してから十日になる。組員は組織の管轄内の不動産を住居としてあてがわれるのだが、生憎担当者が多忙であったため、落ち着いて物件を探せるようになるまで、ナランチャはブチャラティのマンションで厄介になる事になっていた。入団前にもナランチャはブチャラティ宅で寝泊まりしていた事もあり、居心地が良いらしかった。

「まだ起きてたのか」
「だってよー、まだ1時だぜ?」
「子供(ガキ)は寝る時間だろうが」
「誰が子供だって!」
ブチャラティの言葉に、ナランチャは口を尖らせた。その様子が可笑しくて、ブチャラティはつい目の前の少年を挑発してしまう。
「誰がって、お前しか居ないだろう」
「だからっ、俺は子供じゃあないんだってば!」
ナランチャはむきになって反論する。入団試験に合格して正式に仲間になったというのに、未だに子供扱いされるのが歯痒い。仮にも、だ。俺はフーゴより年上なんだからな。

ブチャラティはくっくっと笑いながら、何か軽いものでも腹に入れよう、とキッチンに向かった。
「ん…?」
キッチンに入ると、異様な臭いが鼻を突いた。何かが焦げたような臭い。異臭はコンロで火にかけられた鍋から漂っていた。
「あーっ!」
ブチャラティが火を止めた所で、ナランチャが血相を変えて滑り込んできた。
「鍋の事、すっかり忘れてた…俺のせいだ」
うなだれるナランチャを尻目に、ブチャラティは鍋を覗き込んだ。鍋の中には、炭になった何かがとぐろを巻いていた。ブチャラティはその物体を識別すべく、鍋を掻き回した。
「これは…パスタ、か」
ナランチャが小さく頷いた。
「ごめんなさいブチャラティ…あんたが最近いつも夜遅く帰ってきて、缶詰ばっかり食ってたから、何か旨いもん作ろうと思って…それで、俺」
「ナランチャ、冷蔵庫に白ワインが冷えてるから出してきてくれないか? 飯にしよう」
言うが早いか、ブチャラティは焦げたパスタを皿に盛り付け始める。
「えっ、ブチャラティ、そんなもん食べたら…」
「外側は完全に炭だが…内側のパスタはまだ大丈夫だ。焦げ臭いのはエスプレッソを濃く淹れればまあ問題ない。ほら、見てないで手伝え」
「あ、う、うん」
かくして、若干香ばしい夕食がテーブルに並んだ。深夜二時。

「ん…ほんとだ。焦げてない所は結構、いけるかも」
「うん、いい味、だ」
ナランチャは、ふとブチャラティの皿に目を遣って、驚いた。ブチャラティ、炭、食ってる。
ブチャラティは、難を逃れたパスタを殆どナランチャに寄越したのだった。この人は、なんて。思わず手を止めたナランチャに、それまで黙々と炭パスタを食べていたブチャラティが尋ねた。
「ナランチャ…俺の好物が唐墨のパスタだって、どうやって知ったんだ?」
「え…」
ナランチャが唐墨のパスタを作ろうと思ったのは、外でもないブチャラティが、自分にそれをくれたから、だった。
ナランチャが『パッショーネ』でギャングになるきっかけになった出来事――ごみ捨て場でフーゴに拾われ、連れていかれたレストランで、ブチャラティは自分の皿をナランチャに差し出した。
「あの時、ブチャラティがくれたのが、このパスタだった、から」
ああ、そんな事もあったな。ブチャラティは納得した様子で、最後の一口を平らげた。
「すると、これで貸し借りは無し、だな」
唇に付いたソースを指で拭い、その指を一舐めして、ブチャラティは言った。

「大人は、借りをきっちり返すもの、だろう?」
ナランチャは眼をぱちくりさせ、照れたように目を反らして、当たり前だろ、と呟いた。

「ナランチャ! 明日の任務は、これだ」
「は、はい!」
突然の命令に、ナランチャはびくっと肩を震わせ、慌ててブチャラティの放った紙切れを受け取った。
「この地区の地図だ。印の点けてある店から、上納金を集めてこい。フーゴも一緒だから迷う事はないだろう」
「了解」
「それから…俺は明日の夜は帰ってこない。留守を、頼んだぞ」
渡された地図を眺めていたナランチャが、顔を上げた。
「ブチャラティは何の仕事なんだ?」
「明日は幹部の一人に会いに行くんだ」
「泊まりがけで?」
「…上手くやれば、俺たちのチームに莫大な利益が入る。交渉が長引く事を見越して、だ。もう経費でホテルもとってある」
へえ、いいなあ、とナランチャは無邪気に笑って言った。
「なあ、俺も後からついて行ってもいい?」
ブチャラティの顔色が変わった。

「駄目だ!! 絶対に来るんじゃない!」

響いた怒声に、ナランチャは思わず震え上がった。怯えるナランチャを見て、ブチャラティははっとしてすぐに謝る。
「すまない、ナランチャ…いきなり怒鳴ったりして」
「いや、ううん、俺が…」
必死で平静を装うブチャラティの脳裏に、刑務所でのポルポの言葉が蘇る。

『彼は、良い交渉人になる』
『君が、教育するかね?』

「ブチャラティ、顔が真っ青だ。…大丈夫、なのか?」
ブチャラティが我に返ると、ナランチャが心配そうにこちらを覗き込んでいる。
「何でも、ない。ちょっと…疲れただけ、だ」
「そうか? なら良いんだけど…あんまり、無理、するなよ」
「心配かけて悪かったな。今日は早めに休むか。…俺はシャワーを浴びてくる。お前も早く寝るんだぞ」
「ん」

シャワールームで全身に湯を浴びながら、ブチャラティは溜め息をついた。
明日自分が組織の幹部とホテルで何をするか知ったら、ナランチャはどんな顔をするんだろう。フーゴは? 聡明な彼の事だ。もう自分の『交渉』を知っているのかも知れない。

ブチャラティ。シャワールームの扉の向こうでナランチャの声がした。きゅ、とコックを捻って暫し水を止める。
「どうした? 替えの服がなかったら俺の寝室の引き出しに…」
「ううん、違うんだ。…なあ、もしブチャラティの明日の任務が上手くいったら…」
ブチャラティの体が強張った。ナランチャは何か感づいたのだろうか。

「ブチャラティも、幹部になれるんだろ?」

ブチャラティは扉越しに面食らってしまった。そんな事を言われるとは、思ってもみなかった。
「そうだな、今回の仕事が上手くいって…寧ろその後が重要だな。受け取った利益をどう増やして、より大きな組織の利益にするか…それが出来たら、幹部になれる、かな」
「ふーん」
ナランチャは何やら考え込んでいるようだった。ブチャラティは冗談めかして言った。
「…と、いう訳だから、お前たちも日々任務に励んで一日も早く俺を幹部にしてくれよ」
くすくすと笑いながらブチャラティは思った。自分が幹部になったなら。そうしたら、フーゴやナランチャを、守れるだろうか。今より、強く、強く。

「その頃には、さ。ブチャラティ」
不意にナランチャが言った。この、まだ幼い中に静かな決意を秘めた声を、何処かで、聞いた事があった。あれは。

『俺、あんたみたいな――』

「俺は、今のあんたみたいになるんだ」
扉の向こうで、尊敬して止まないリーダーが、少し傷ついた表情を浮かべていた事を、ナランチャは、知らない。

「おやすみ」


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