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□【 Agapanthus 】『交渉人』
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- side B -『交渉人』


『あんたのところで、働きたいんだ』
そう言う彼の目には一点の曇りもなかった。それでも、いや、だからこそ、決して来るな、と言ったのに。ブチャラティは、数日前の病院での出来事を思い出していた。

「君は優秀な野良猫を拾ったようだな、ブチャラティ」
ブチャラティが差し入れた特大ピッツァを頬張りながら、ポルポが言った。

ネアポリス刑務所内の一室、鉄格子を隔てて、ブチャラティは組織『パッショーネ』における彼の直属の上司、ポルポと対峙していた。しんとした刑務所内に、ポルポがピッツァを食べる音だけが暫しの間、響いた。

やがてピッツァを平らげたポルポは満足げに息をつき、ブチャラティに一枚の写真を手渡した。
「この男は…」
「彼に会ってくる事が、今回の君の任務だ」
男の顔には見覚えがあった。この地区の賭博場と娼館を取り仕切っているパッショーネの幹部だ。最近、麻薬密売チームとも手を組み、管轄内の店を中心に麻薬の裏取引をやっているらしい、と噂が流れており、ブチャラティとしてはあまり会いたくない相手ではあった。

「以前、私の代わりに組織の会合に出席してもらった事があっただろう」
手元のバナナの皮を剥きながらポルポが言った。
ポルポはその巨体のために刑務所の檻から出る事が出来ない。そのため、組織の幹部が集まる会合の際には代理としてブチャラティを出席させる事が多かった。ポルポがブチャラティを自分の代理に立てたのは、ブチャラティのギャングとしての手腕に対する信頼もさる事ながら、ブチャラティを所有しているのは自分である、と他の幹部たちに見せつける目的もあった。
「あの会合の後、この男から連絡が入ってね。彼の管轄する店を幾つか我々に任せたいと言うんだ。勿論、条件つきだが」
早くも食べ終わったバナナの皮を放り投げて、ポルポは続けた。

「交渉の際には、ブローノ・ブチャラティを来させるように、と」

そういう事か、とブチャラティは小さく息をついた。
ポルポがブチャラティに命じる任務は、主に要人の護衛である。しかしブチャラティは、このような交渉に出向く事も多かった。その相手の殆どは男色家であり、ブチャラティは彼らと寝る事で、これまで多くの利益を収めている。今回会う幹部も、そんな交渉相手の一人だった。
「彼は一目見て君を気に入ったらしい。彼の管轄内の店は政界の大立者も出入りしている。少なからず今後のチームの利益になるだろう。どうかね? やって、くれるね?」
「…解りました」

ブチャラティはポルポに一礼し、その場を去ろうとした。その途端、思い出したようにポルポが言った。
「君の新しい部下だが…ナランチャ、といったかね」
「ええ。彼が、何か」
ナランチャ・ギルガ。あれ程ギャングになるのはよせと言ったのに、自分の知らないうちに入団試験を受け、そして「仲間」としてやって来た15歳の少年。彼は、一つ年下のフーゴよりも、まだ幼く見えた。
「彼も、きっと君のように良い交渉人になるだろう」
ブチャラティの体が硬直した。
「こんな体でなかったら、私が直々に教えてやっても良いんだが…君の時のように、ね」
12歳で組織に入団したブチャラティを「交渉人」として育てたのは、外でもないポルポ自身だった。まだ、ポルポが刑務所から「出られる」頃の事だった。
「そうだ、今回の任務に彼も同行させてはどうかね? ブチャラティ」
「そんな…」
ブチャラティの脳裏に、入団試験を終えて自分の所にやって来た日のナランチャの姿が浮かんだ。俺は、あんたみたいな男になる。屈託のない、でも揺るがない覚悟を決めた、声。彼を、自分のように? チームの利益の為に、会った事もない男の前に体を差し出せ、と?
困惑の表情を隠せないブチャラティに、くっくっと笑いながらポルポは言った。
「なんて顔をしてるのかね。彼にはまだ何も仕込んでいない。とても今回の相手に差し出せるようなものではないだろう」
ポルポの言葉に、ブチャラティは一先ず胸を撫で下ろした。
「それとも」
ポルポが続ける。
「いっそ君が彼を『教育』するかね? 君の腕は信用しているよ、ブローノ・ブチャラティ」
「…そのお話は、いずれ、また」
少々赤面した顔を隠すように、ブチャラティはポルポに再度頭を下げ、独房を後にした。

「健闘を祈るよ」


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