03/11の日記

23:39
あの日…
---------------
私は気仙沼にいました

学校で模試をしていて
もう少し我慢したら
家に帰れる予定でした

地震が来て
外に避難したときに膝掛けを無意識のうちに持っていました


津波が学校前の大通りまで来ていて
先生たちの指示で
気仙沼高校に避難しました

周りの状況もわからない
携帯も持っていないため
連絡もとれない

夜に一度学校に戻れて
財布や携帯を持ち出しました

その途中に見たのは
港一体が火の海だったということです
例えるなら、地獄絵図
大げさかもしれませんが
陸も空も真っ赤に燃えていて
希望なんて見えませんでした

避難した気仙沼高校に戻り携帯の電源を入れたものの
圏外……

繋がらない電話はなんの意味もないと思いました

その夜は寒くて何度も目が覚めました

トイレにいったときに
星がとてもきれいだったです
でも、同級生はいたけど
私はひとりぼっちになった気分でした


これが夢だったら良かったのにと何度思ったことか

翌朝、高校の近くの公衆電話から連絡をとろうと試みたものの
電気が通っていないため
つながりませんでした


泣いていてもなにも始まらないと思ったのですが
涙は溢れてきて
堪えるのに歌を歌ったりしました

やることがなくて
小説をよみ返して、言葉の意味を調べたりしていました

そのうち、トイレの水をプールから汲み出したりしていました

それを繰り返して
4日目に寮母さんの携帯を借り
2人の友達へ連絡して
家族の安否を教えてもらいました

でも、親はこれるような状況ではなく

私は親が来てくれないことに
悲しくなりました

被災5日目に
同じ学校の後輩の親が迎えに来てくれたのに一緒に車乗り込み
地元へ帰りました


これが私が体験した気仙沼での5日間の出来事です


これを言うのに1年かかりました

これからも忘れることのない出来事だと思います


今もあの恐怖が消えることはないけど
きちんと整理していきたいと思っています

前へ|次へ

コメントを書く
日記を書き直す
この日記を削除

[戻る]



©フォレストページ