どうやら僕は声が出せなくなったようです。
それは、今日の朝の話。

今朝、僕は朝食に目玉焼きを作った。
熱した油の上に置いた半透明である種の芸術のような黄色と白色のそれは、じゅわじゅわと小気味よい音を出してフライパンの上で踊っていた。
ところがだ、僕は間抜けなことに半熟に仕上がったそいつを(僕は目玉焼きは半熟が一番だと思っている。ちなみに醤油派だ。)皿に移し替えるときにうっかり床に落としてしまったのだ。
なんということ!
これはかなりのショックだった。
僕にとっては世界が明日滅亡すると言われたくらいショックだった。
一日の始め、目玉焼きを食する。これは僕の絶対に譲れない習慣だ。

僕の哀れな、もう少しで僕のお腹の中でゆっくりじっくり溶かされるはずだった目玉焼きちゃんは床の上に惨めに張り付いていた。
僕は思わず悲嘆の声を上げた。(いや、上げようとした)
雌の鶏がお腹を痛めて生んだ大切な卵をちゃんと食せなかったことを、天に向かって懺悔しようとした。
『―――っ!』
が、しかし、僕は声が出せなくなっていたのである。
蛙の鳴き声の出来損ないみたいな音しかでなかった。
なんということ!
僕はまた叫ぼうとして失敗した。
今度はのどに痛みが走った。
自分のあまりの間抜けさにおかしさがこみ上げてきたけど、残念なことにやっぱりこえはでなかった。

どうやら、僕はあまりに長い間人と関わらなかったせいで声が出せなくなってしまっていたようだ。
僕はこの世の中には絶望しかないと固く信じて日の光を嫌い、家の中に閉じこもって生きてきたのだ。
僕は僕の生活スタイルの中に救いをみつけ、そのスタイルを固く守ることで自分の世界と精神を守ってきた。
そうすると、自然人と話す機会も減る。
家の中に一人で居れば声を出すことなんて滅多にないし(あいにく、僕に独り言をいう習慣はない)ましてや家にカラオケ機があるわけでもない。
しかし、まさか声が出なくなるとは思わなかった。

普通の人間ならここで絶望するところかも知れない。
話すことに生き甲斐を感じる人ならば、悲嘆に暮れて死ぬことまで考えるかも知れない。
だけど僕は物事を明るい方向に考えることにした。

そう、僕は元々声を必要としては居なかった。
だから、これから声が出なくなっても何ら問題はないだろう。
そう!そうなのだ!声が出なくてもなにも困ることはないのだ!
しかも、よりいっそう僕の理想の状態に近づいたとも言える。
僕は僕だけの閉じた世界を目指していたのだから、これが本来のあるべき姿ではなかろうか?
そういうことだ。まったくこれっぽっちも問題はない。

僕は自分を必死に慰めようとして「問題ない」を頭の中で繰り返し唱えた。
そうしながら目をやると、まだ目玉焼きが床の上に張り付いているのが見えて泣きそうな気分になった。
泣きそうな気分になりながらも、僕は頭の中でもう一度「問題ない」を繰り返した。

だけど、顔の皮膚になにかおかしなものを感じた。
いや、さっきから感じていたのだが僕はまったくもって無視をしていたのだ。
どうやら、頬の皮膚が濡れているようだった。
おかしい、今朝も顔を洗ったあときちんとタオルで顔の水分を吸い取ったはずだった。
僕はいやいやながら認めざるを得なかった。
この頬を濡らしているとおぼしき液体は自分の目から出ていて、つまりそれは僕が泣いているということを。

僕は実は寂しかったのだ。
強がってはいるけど、やっぱり寂しかったのだ。

それに気付いた僕は誰かに伝えたいと思った。
そしてこの出来事を文章にすることを思いついた。
出来上がったらこれをどこか適当な場所に貼り付けよう。
そうしよう。

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ