etc book

□ゲルトルート
1ページ/1ページ

見渡す限り不良ばっかり、云業ばっかりのこんな学校なんて来たくなかった。

でも仕方ないじゃない。
滑り止めのここにしか合格らなかったんだから。


そんな不本意で始まった高校生活も、気付けばもう3年目。
この間、私はなるべく目立つ言動は避けて大人しくしてきた。


…………それなのに。



「オラ、どうしてくれんだコレよォ」

「う……」



私はいま、セーラーの首元を云業に鷲掴まれ、落書きだらけの汚い壁に押し付けられている。



「冷てぇなァー」



云業の長ランは黒でもわかるくらい濡れていて、濡らしたのは紛れもない私だ。

今朝、先生に頼まれた花壇の水やりをしていたところ、登校してきた友達に声をかけられた。
ホースを持ったまま振り返った瞬間、運悪く近くを歩いていた云業に放水してしまったのである。


声をかけた友達はオロオロするばかりで、助けてくれる様子はない。当然だ。
うちの学校ではこういう光景は日常茶飯事で、周りの生徒たちも見ぬ振りをして通り過ぎたり、同情の眼差しをもって離れたところから眺めているだけ。


手から離れたホースは水の勢いそのままに地面を濡らし続ける。



「何か言うことあんだろォ?あ?」

「………ご…ごめん、なさ…」

「きっこえねーなァーー」



云業は自らの耳に手をあて、顔を近づけてくる。


初めから聞く気もない相手に今更何を言っても無駄だ。
それならもうひと思いに殴られるのを待つ他ないと、半ば諦めかけていたとき、



「身をもって反省しなァ……!」



いよいよ云業は拳を固め、後ろに向かって勢いをつける。

私は震える奥歯を噛み締め、目をギュッと瞑った。



ゴリィッ、という鈍い音。
骨まで到達したのだと、直感的に感じた。


──けれども、



「…………?」



痛く…、ない。
本来やってくるはずの痛みが、全く来ない。

そっと目を開けると、私を脅していた云業が宙に浮いていた。
どっしりと地を踏んでいた足は離れ、身体が投げ出されたような格好。

私の襟元もいつの間にか楽になっていて、目の前の光景はさながらスローモーションのようだった。


刹那、ズシャアアアアと擦れる音がした。それも随分と遠いところで。
その時初めて、周りの人間の悲鳴が耳に飛び込んできた。

大型トラックに生身の人間が勢い良く衝突したかのような、派手な吹き飛び方。
何が起こったのかもわからず、私はただその方向を呆気にとられて見つめていた。

地面に強く身体を打ち付けた云業は少しも動く気配がない。



「大袈裟だなぁ」



柔らかい口調の、それでいて震わせるような何かを持った声。



「…!?」



長い赤髪を背でみつ編みにした男子生徒が、さっきまで云業が居た場所に立っていた。
拳を突き出したモーションを下げ、指についた血──恐らくさっきの云業のを、不快そうに払った。



「楽しみにして来たのに、初日からガッカリさせないでよね」



制服は夜兎工の学ランだけれど、その顔に見覚えはない。

周りの生徒たちの様子を見るに、この見ず知らずの男子が云業を殴り飛ばしたらしい。


彼は花壇の傍にしゃがみ込み、花弁をそっと撫でた。

横まで綺麗に整った顔をまじまじと見つめていると、視線を流した彼と目が合った。



「この花、君が世話してるの?」

「!!え、あ、……はい」



溜まった水滴を吸い取るようにあてられる、細く長い指。



「へぇ……」



そのまま、薄いひらをつまんで引っ張った。
柔らかい茎がつられてしなる。



「……ちょ、」



今にちぎれる、というところでパッと手を離して立ち上がった。
花は弾力で元に戻り、小さな飛沫を飛ばす。



「こんなとこには似合ってないけど、なかなか良いんじゃない?」



何故か私の方だけを見つめて、ニッコリと微笑まれた。大きな目は細く弓なりになる。
しかしそれは、不思議と含みのある怪しげなものにも見えた。


じゃあね、と残し、髪を振って去ってゆく。
白い肌が黒い学ランに眩しい。

周りの生徒たちは彼から距離をとり、校舎まで自然と道が開かれる。

遠くなる背中を見つめながら、せめて名前だけでも訊いておけばよかった、との思いが頭を掠めた。
しかし同時に、彼のことを知る日はそう遠くなく、自然と誰の耳にも入るようになるであろうと確信した。


彼が何者であるかは、わからない。

でも、彼がどんな悪人であっても、少なくとも今の私にとっては間違いなく正義だった。




>>>>
夜兎工の学園モノとかも楽しそうですけど、生徒がほぼ云業だと考えると…

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ