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□ファンファーレがきこえる
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無事卒業式が終わり、中庭で写真を撮ろうというとき、忘れ物に気がついた。
ロッカーに入れっぱなしの体育館シューズ。履き古したそれを置いていくことは出来ない。
(……あった、)
中から靴を取り出してもう一度鍵を締め直す。
すると、教室にまだ人影が残っているのが見えた。
(誰だろう…?)
全開にした窓から煙草の煙を吐き出しながら、見下ろすように卒業生たちを眺めている白衣の背中。
「………銀八先生?」
出入り口のところから中に向かって呼びかけると、その人はゆっくりと振り返った。
煙草を口から離し、窓の棧に押し付ける。
「まだ居たのか、ギズモ」
「忘れ物しちゃって」
「オイオイしっかりしろよ。置いてったモンは全部俺がもらうからな」
忘れんのは財布だけにしとけ、といつもの調子で続ける先生はやっぱり今日も変わらなくて、思わず笑ってしまった。
黒板には、さっきみんなで寄せ書きをしたものがまだ残っていて、先生が立つそばの机には、私たちから先生に渡した花束が置かれていた。
さっちゃんや神楽ちゃんが泣いて抱きついても、普段はクールを決め込んでいる土方くんまでもが、下を向いて肩を震わせていても、先生は少しも涙を見せなかった。
私が近くに寄ると、先生は窓ガラスにもたれて伸びをした。
「先生は今まで何人くらい見送ってきたんですか?」
「さぁな。覚えてねェ」
いつも通り適当な返事。
「でもまァ、あんなバカどもは後にも先にもおめーらだけだな」
「ですね」
外ではまたうちのクラスが大騒ぎしているようで、指導に入った校長や教頭まで巻き込まれている。
卒業証書を入れる筒という良い玩具を手に入れて、周りの父兄を呆れさせていた。
教室も、廊下も、階段も、中庭も、グラウンドも、トイレも、
この学校のそこら中にまだ私たちがいて、笑いや涙や、ボケやツッコミと一緒に残っている。
また明日も、制服のリボンを結んでスカートを履いて、この場所に立っている気がして。
見慣れたこの風景が今日で無くなるなんて、思えなくて。
「……卒業したくないなあ」
いま急に寂しくなるなんて。
辛かったことも苦しかったことも、全部が愛おしいって思えるなんて。
今時の中学生が死んでも入りたくないやい、って唾を吐き捨てるような高校でも、PTAや先生たちから怒られてばっかりのクラスでも、私たちにとっては世界でたったひとつのかけがえのない場所だから。
「バッカ。出て行ってくれなきゃ俺が困るだろーが」
口から漏れてしまった私の言葉に、銀八先生がデコピンで返す。
珍しく力加減が容赦無くて、バチンと鈍い音がした。
「…めでてー日に泣いてんじゃねーよ」
「だって先生がヘタクソなせいで痛いんですもん」
視界が滲む。
溜めきれなくなった滴が、端からこぼれ落ちた。
「靴持って早くアイツらんとこ行ってこい。俺も後で顔出すから」
先生はまた窓の外に向き直って、私を教室の外へ促す。
私は涙を拭って教室の空気を胸いっぱいに吸い込んでから、反対方向へ足を踏み出した。
「卒業おめでとう」
背を向けたままで、一言。
どんな顔をしてるのかここからじゃ見えないけど、きっと、先生も同じはずだから。
開かれた扉のレールの上に立ち、もう一度先生の方に身体を向ける。ワックスがけしたばかりの床がキュッと鳴った。
先生が言うように、私たちは決して利口な生徒ではなくて、むしろ手のかかる生意気な子供だった。
けれどそんな私たちもついに今日、全員揃って学び舎から巣立つ。
私たちに負けないくらいどうしようもなくて、それと同じくらい無邪気な先生を、誰も一度も口には出さなかったけど、本当は心から尊敬してた。
貴方が私たちの担任の先生でよかった。
こんな私たちを最後まで面倒見てくれて、
「ありがとうございました」
しっかりと頭を下げて、顔を上げたらもう後ろは振り返らずに歩いていく。
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派手なドラマや波乱万丈がなくても、何気なくてちょっと面倒な毎日こそが青春の1ページです.