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□アガペー!
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「ひだーん、」
カーテンの向こうの影に呼びかけても返事がない。
「プリンあるよー…」
シャッ、と乱暴に開け放たれた先に、不機嫌そうな彼の顔があった。
ん、と突き出した手の平にカップを乗せる。それを飛段はそのままベットの横に備え付けられた机の上に置いた。
そこには山積みになっているノートもある。律儀な角都が毎日自分ものとは別にとっているものだ。
「食べないの?」
「今はそういうクチじゃねェ」
ふうん、と返して近くのイスに座る。
「ギズモがおれの見舞いに来るなんてな」
「野郎が行くよりギズモが行った方が飛段も大人しくなるだろう、ってペインが」
「ンなしょっちゅう暴れてねェよ」
「ふふ、どうだか」
飛段は5日前にトラックと自転車で正面衝突し、この病院に運び込まれた。
その後は、命に別状はない、奴はいたって元気だ、と彼の仲間から聞かされていたけれど、内心不安で仕方なかった。
今日までお見舞いに来れなかったのは、正直怖かったからだ。
いくら飛段が他人より丈夫でも、包帯でぐるぐる巻きにされていたり身体中いろんな管を通されている姿を見るのは、想像するだけでも辛かった。
日にちが経ち、今日は皆が私に行けと勧めた。
彼らは私の恐れを知っていたし、飛段の回復の様子を見て、私が姿を目にしても問題ないと判断したのだろう。
土産に購買のプリンを握らせて。
「あーー肉食いてェーー!」
ドン、とベットに拳を叩き下ろすと、スプリングが跳ねた。
「……しょうがないじゃん、治るまでは我慢しなよ」
「ここのメシ、クソ不味ィんだぜ?食えたモンじゃねェよ」
廊下を通りかかった看護婦さんが、立ち止まってゴホンッ、とひとつ咳払いした。
彼はここでも最早立派なモンスターペイシェントらしい。
今度お見舞いに来た時は皆さんにも何かお詫びの品を持って来ることにしよう。
いつもの角都に任せたところで、二人して怖がられそうだし。
「早く退院できるといいね」
「あァ。こんな掃き溜め二度と御免だな」
後遺症の心配もない彼の回復ぶりを喜ぶべきか、新たに生じているようである別の問題を憂うべきか。
ここに訪れる前の心配は、思わぬ形で解消された。
「…じゃあ、私もう帰るね。また来るから」
居心地の悪さに耐え切れなかったのもあって、イスから立ち上がってベットから離れようとすると、
「ギズモ、」
名前を呼ばれ振り返った瞬間、腕を強く引かれて私の身体は飛段の上に倒れ込む形になっていた。
「!ご、ごめ…」
肌蹴た胸に当たった頬と手を離そうとしたが、飛段はそれを制して逆に強く押し付けた。
(…あ……、)
白くて、綺麗で、見た目より熱を持った肌。
奥の方でドクドクと震えているのが聞こえる。
「ここ、痛ェんだよ。事故るより…ずっと前から」
私の手首を掴む飛段の力が強くなる。
顔を起こすと、正面から目が合った。
「ギズモが舐めてくれりゃあ…治るかもな」
飛段がにやりと怪しく口角を上げる。チラ、と暗い口内から覗いた赤い舌に私の心臓が跳ねた。
すぐさま必死にその高鳴りを抑えつけようとするが、上手くいかない。
これは、挑発だ。
「……離して」
「そういう顔して言う台詞じゃねェだろ」
病人だからって油断した。
ペインたちが私をここに寄越したのは、本当は彼の回復をどこまで知ってのことだったんだろう。
飛段のぎらついた目に捕まった私には、逃げ道もその意思もない。
もう片方の手が私の首を這うように伸びて顔が近づく中、私は咄嗟に後ろ手でカーテンを掴んで走らせた。