*キリリク小説*
□またひとつ、あまい記念日。
1ページ/1ページ
聡がドーナツ屋に行きたいと言いだしたときは、どうしたものかと思った。
けれど、オフィス街のど真ん中の店舗、しかも夜8時過ぎとなると、客も残業帰りと思しきサラリーマンがポツリポツリと座っているくらいで、居心地はそう悪くない。
しかし、聡にオーダーを任せたのは失敗だった。
金を渡すとき、俺はコーヒーだけでいいと言ったはずなのに、にこにこ顔の聡が運んできたトレーには、何やらゴテゴテ飾り付けられたものがしっかり二つ載っていた。
「風磨くん、先に選んで下さい」
「……じゃあこっち」
仕方なく、どちらかと言えばシンプルな方をつまみ上げる。
まぁ、それすらもホワイトチョコが掛かってる上に、クマの顔が描いてあるんだけど。
こんなのを食ってるところを写真にでも撮られたら、聡と付き合ってるのがバレるよりよっぽど恥ずかしい。
顔の部分からガブッといって、早々に普通のドーナツにしてやった。
聡はといえば、俺のものより数倍メルヘンチックなピンク色のドーナツをコーヒーと並べて、いそいそと写真撮影をしていた。
「超可愛い。俺、この写メ待ち受けにしよう」
そう言って、屈託なく笑う。
「いただきまーす」
嬉しそうにドーナツを頬張る聡の顔は、このままCMにでも使えそうなくらい可愛い。
「うまい?」
「超うまい。しあわせ」
「そりゃ良かった」
とろけそうな笑顔の聡。
俺としても、この顔が見られるのなら、少しばかりこっぱずかしいのは我慢できる。
コーヒーを飲みながら聡の食べる様子を眺めていると、突然ふくらはぎを両足で挟まれた。
「こら」
「大丈夫ですよ。テーブルの下、通路から死角でしたから」
目ざといと言うか、なんと言うか……。
隣ではなく向かいに座った時点で、ある程度予測はしていたが。
ドーナツを両手で持って食べる姿は小動物のようなのに、絡みつく足の動きが妙にエロい。
すぐ近くで店員がテーブルを拭いて回っているから、どうにも落ち着かなかった。
広い店内に客の姿が見あたらなくなり、聡の乗る新幹線の時間が迫ってきた。
「ねぇ、風磨くん」
「ん?」
「今日のこれって、デートですよね?」
そう言われて、聡と二人で約束して会うということを、今まで一度もしたことがないと思いあたった。
今日だってレッスンの帰りがけだから、
デートの定義に当てはまるのかは微妙なところだろう。
けれど、
「そうだな、デート以外の何物でもないな」
俺の答えに、聡が嬉しそうに笑う。
まだ絡みついたままの足に、ギュッと力が込められる。
ゴツい男の足なんか触って何が楽しいのかと思うけど、考えてみれば俺も痩せた子供の足にじゃれつかれて嬉しいから、似たようなものか。
そうか。
聡はドーナツが食いたかったわけじゃなくて、デートがしたかったのか。
「またこういうとこに来たい」
「空いてるとこならな」
「今度は『ほっぺに付いてるぞー』ってやりましょう」
「絶対やらない」
「けちー…」
「ほら、離せって。新幹線出ちゃうぞ」
空のトレーを持って歩き出そうとすると、聡も慌てて立ち上がった。
外は寒いし、駅に着くまでなら手くらい繋いで行ってやろう。
だって、恋人同士なんだから。
.