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□在り続ける幸福
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「…何なのだ、これは?」

 真田は久しぶりに手塚の家を訪ねた。いつもは家があまり近くもないため、そうそう会いになど行かないのだが、今日、十月七日は手塚の誕生日である上に休日で、更には手塚の家族は揃って何処かしらに出掛けているとのことだった。そのため、せっかくの恋人の誕生日を祝うべく、真田は手塚家にお邪魔した次第である。
 手塚は今、台所に飲み物を取りに行っており、その間に暇だった真田は何をするでもなくぼーっと手塚の部屋を眺めていた。しかし、そこで偶然目に入った机の上にあるものを見つけて、真田は思わず眉をひそめる。

「手紙…か?」

 いかにも女子らしいピンク色の可愛らしい封筒には、可愛らしい文字で“みゆきより”と書いてあった。誰だろう、真田は聞いたことがない。青学の生徒なのだろうか。真田は疑問を抱く。それに、何故こんな手紙が机の上に置いてあるのだろうか。仮に恋文だったとして、普通、こんな目に付く所に置いておくだろうか。
 ひょっとすると。嫌な考えが真田の脳裏をよぎる。もしかして、実は手塚はこの手紙の差出人のことが好きで、真田と別れたいのではないか。だから、こんな真田の目の付く所に置いておいたのではないか。
 嫌だ、手塚と別れたくない。でも、好きならばこそ一番に彼の幸せを願い、別れるべきなのではないのか。真田の思考が、どんどん悪い方向に埋め尽くされていく。

「……てづか…っ」

 ぐるぐると回る思考回路に、真田は熱くなる目頭を押さえた。するとそこへ、トントン、と小気味よい足音を立てて手塚が戻ってくる。
 このままじゃまずい、とりあえず今日は奴の誕生日なのだし、奴が別れを切り出してくるまで平静を保たなければ、と真田は大急ぎで封筒から離れ、机の真反対の位置に腰を下ろした。そして、それとほぼ同時に部屋のドアが開かれる。

「持ってきたぞ」
「う、うむ。すまんな」

 手塚の持つトレイの上には麦茶の入ったコップが二つと数枚のせんべいが乗っていた。

「質素ですまないが…」
「いや、そんなことは気にせんで良い。俺はお前の家のせんべいを気に入っておる」
「そうか?ならいいんだが」
「ああ。ありがとう。誕生日なのに、用意させてすまなかったな」
「それこそ気にするな。俺は、お前が俺の誕生日に訪ねてきてくれただけで十分嬉しい」

 手塚はそう言って軽く笑い、真田のすぐ隣へと座ってきたため、真田は己の顔が少しだけ熱くなるのを自覚した。しかし真田が何を言うでもなく手塚を見つめていると、突然、彼が腕を引っ張ってきて、真田は手塚の胸に倒れ込んだ。

「て、手塚…?!何を…!」
「どうかしたのか?」

 手塚は心配そうな顔でこちらを見る。真田は驚きながらも自分から別れ話に持っていきたくないため、何でもないぞ、と言って笑った。その笑顔がどう見ても何でもなく見えない、ということには真田自身は気が付かなかった。しかし勿論手塚はすぐにわかったため、瞬時に顔を曇らせる。

「…俺に、言えないようなことなのか?」
「何を言っておるのだ、手塚。俺は何ともないと言っているだろう」
「そんなに目を赤くして、無理な嘘を吐くな」

 手塚が真田の背に手を回し、きつく抱きしめる。しかし腕の強さとは対照的に、安心させるようにその背を撫でる手はとても優しかった。真田はその手にまた目頭が熱くなってきて、彼を強く抱きしめ返した。

「…手塚」
「ああ。なんだ?」
「お前は、……俺と別れたいのか」

 遠回しに聞こうかとも思ったが、頭が上手く回らず、直接的に尋ねることしかできない。

「…何故、そんなことを思った?」

 目を見開いた手塚が、最もな疑問を口にする。しかし真田にはその言葉に返答する余裕はなかった。口を固く引き結び、今にも泣き出しそうな潤んだ瞳で一心に手塚を見つめる。そうすれば、手塚が真田の額に小さなキスを落とした。

「…そんな訳がないだろう。俺は真田のことが好きだ。何よりも大切な存在だと思っている」
「……手塚」
「たとえお前が何と言おうと、俺は絶対に別れたくない」

 諭すような手塚の言葉に、真田の心がふっと和らぐ。しかしだとしたら、あの手紙は何なのだろうか。真田が何と言おうと、絶対に別れたくない。ならば何故、女性からの手紙があるのだろうか。

「言いたいことがあるなら、言ってくれ。お前の願いなら、ワガママでも何でも可能な限り叶えてやりたい」

 そう言って、優しく頭を撫でられる。子ども扱いされているようで恥ずかしいけれど、嫌悪感は少しもなかった。

「…手紙」
「ん?」
「手紙が……置いてあったから」

 手塚に頭を撫でられただけなのに、思わず本音が零れてしまう。

「先ほど、手塚が飲み物を取りに行ってくれただろう?あの時、何気なく部屋を見回していたら、机の上に手紙を見つけてしまったのだ。……差出人が女性のようだったから、不安に駆られてしまって」

 ちらりと手塚の顔を見やる。彼は真剣な眼差しでこちらを見ているだけで、怒っていたり機嫌を悪くしたような様子はない。そんな手塚の姿にほっと胸を撫で下ろしながら、言葉を続けた。

「それで、実は手塚は俺と別れたいのではないか、などと勘繰ってしまったのだ」
「…そうか。それで言いたいことは全部だったか?」
「うむ」

 頷くと、手塚の手が真田の頭へ伸びる。そうして再び真田の体は手塚へと引き寄せられた。

「手塚?」
「不安にさせてすまなかった。だが、もっと信用してほしい。俺は本気でお前が好きなんだ、真田」
「…手塚」
「その手紙の差出人……『みゆき』というのは、四天宝寺中の千歳の妹だ。九州で偶然知り合ってな、ちなみに小学生だ。手紙は九州を離れる際にもらったものなんだが、今日、彼女から電話があってな。今日が俺の誕生日だと兄の千歳から聞いて連絡してきたそうだ。それで手紙は未だにちゃんと持っているかと聞かれたので、机の中から取り出して持っていることを確認し、通話が切れた後、片付けようと思ったらちょうどお前がやってきたので、そのまま置き忘れていた」
「そ…そうだったのか」

 相手は小学生だったのか。そうとわかると、先ほどまで己がものすごく心配して不安になってしまっていたことが、かなり恥ずかしいことであるような気がする。
 真田が羞恥に顔を赤くしていると、手塚がぎゅっと強く真田を抱きしめた。

「安心したか?」
「う、うむ。安心はしたが、なんだか子どものように不安がってしまったな。すまない」
「謝ることはない。俺は真田がそれほどまでに俺のことを想ってくれていて、嬉しかったからな」
「…む」

 今度は別の意味で顔が熱くなる。そんな直球にものを言われると照れてしまう。どこかこそばゆくて、でも、やはり嬉しい。

「手塚」
「なんだ?」
「改めて誕生日おめでとう。これからも、よろしく頼む」

 ちゅっと音を立てて彼の頬にキスを落とせば、手塚が小さく笑って真田の顎を捕らえた。
 二人の休日は、まだまだ長い。





Fin.
 

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