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□こぼれる前に抱きしめて
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「真田、林檎剥いて?」
「わかった」

 真っ白な病室に、真っ赤なリンゴの皮が綺麗な螺旋を描いて皿へと落ちていく。幸村はそれを見て、ただ、美しいと思った。

「…綺麗だな」
「む?何がだ?」
「堕ちてく紅が。俺みたいだろ?」
「……」

 真田はきゅっと眉を寄せる。その顔はひどく哀しげで、ひどく苦しげで、幸村はただ、美しいと思った。

「ねぇ、真田」
「…なんだ」
「俺、林檎よりも真田が食べたい」

 何の含みもなくにっこりと笑う。真田はハッと息を呑んで、僅かに目を見開いた。

「……何故、そのようなことを思う?」
「だって、真田を食べれば真田は俺の身体の一部になるでしょ。そしたら、俺たちはいつでも一緒にいられるから」
「……」

 再び黙り込む真田。その表情は現在難病にかかって入院中の幸村よりもよほどつらそうに歪められている。
 数瞬の後、真田が「別に、」と呟いた。しかし彼の答えを否定するように遮って、幸村は「やっぱいいや」と深刻な顔の彼を笑ってやった。

「やっぱ、いい。だって真田が俺の身体の一部になっちゃったら、真田は俺と一緒に死んじゃうだろ」

 このよくわからない不治の病で。そう言って笑えば、突然にバキッとひどい音を立てて、幸村の体はベッドに沈む。病院の簡素な作りのベッドが、衝撃に反応して僅かに揺れた。真田に殴られたのだ、と気が付いたのは、未だ拳を握りしめ震わせたままの彼が静かに涙を流していたからだった。

「真田、」
「お…まえは!」
「……」
「幸村精市は、絶対に死なんッ!!」
「…真田」
「たとえどれほど困難な病であろうと、お前は必ず克服する!そして、俺たちの元へと戻ってくる!」

 ぎゅっと真田が幸村を抱きしめた。

「お前は必ずまた以前のようにテニスをできるようになる!だから、……だから、お前自身が生きることを諦めないでくれ。俺を置いていこうとしないでくれ…」
「…ふふっ、変なこと言うね。今の状態じゃあ、置いていってるのは俺じゃなくて真田の方じゃないか」
「なっ……だが幸村…!」
「でも、」

 幸村も真田の背に腕を回し抱きしめる。

「何がなんでも俺は絶対に君を一人にしてはいかないから、安心して」

 身体中の全ての力を真田を抱きしめる腕に込める。しかし幸村の腕には既に以前までのような力はなく、滑り落ちないように彼の服にしがみつくのが精一杯だった。幸村はもはや彼を抱く力すらない自分の身体を再認識して歯噛みする。そんな幸村の胸中を知ってか知らずか、真田が抱きしめる力を強くした。

「幸村…」
「ふふ。ほんと、真田は俺がいないと駄目だね」
「…む」
「ま、俺も真田がいないと駄目なんだけど」
「ふっ…そうか」
「笑った」
「え?」
「やっぱ真田は笑ってる方がいいよ」

 真田の笑顔が俺にも力を分けてくれるから。にっこり笑えば、真田は頬を赤く染める。そんな彼を見て、幸村はただ、美しいと思った。

「…幸村?」
「ん?」
「お前の手は、冷たいな」

 真田はそっと幸村の手を取り、頬に寄せる。そして表情を緩めた。

「手の冷たい者は心が温かいのだそうだ」
「あはは。そんなの迷信だよ」
「そうか?」
「俺はあったかい手が好きだしね」
「そうなのか?」
「うん。だって、生きてるって感じするでしょ?」
「……」
「それに、」
「?」
「真田の手があったかいから」
「…む」

 真田が眉間に皺を寄せて押し黙る。それが照れているのだということくらい、幸村にはすぐにわかった。

「ねぇ、真田」
「む?」
「大好きだよ」
「…ああ。俺も」

 夕焼けが病室をオレンジ色に染め、彼らに別れの時が迫る。日が沈みゆく中で、しかし彼らの心は沈んではいなかった。

「そろそろ帰らなければな」
「うん。そうだね」
「また明日来る」
「待ってるよ」

 少しばかり寂し気な、しかし明日の到来を見据える二人の笑顔。

「幸村」
「ん?」
「ずっとずっと一緒にいるからな。たとえ何があろうと、俺はお前のすぐ傍らに」

 僅かに顔を赤らめて微笑み、真田は病室を出ていった。

「…ふふ、すごい告白」

 病室には一人、嬉しそうに表情を緩める幸村が残された。彼が切って置いていったリンゴを一つ掴んで口の中に放り込む。優しく広がるほのかな甘さはまるで彼のようだ、と思ったところで幸村は首を振った。彼はリンゴではなく、幸村もまた、リンゴの皮ではない。彼らの関係はそう簡単に切り取ることのできるものではなくて、境界線も曖昧でひどく複雑である。しかし、だからこそ彼らの世界は輝き、より美しく感じられるのだろう、と。幸村はただ、そう思った。





Fin.
 

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