薄桜鬼
□夢の続き 〜斎藤編〜
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その日はとても気持ちの良い日だった。
ぽかぽか陽気に誘われて、私は境内を散歩しようと思い立つ。
自室を出て少し歩いていくと階段に腰を下ろす黒い人影が目に入った。
「…斎藤さん?」
近づくにつれ、それが斎藤さんである事に気が付いた。
何をしているのかと思いよく見れば、斎藤さんのうなだれた頭は前後に船漕ぎをしていた。
そっと隣に腰を下ろしうつむいた顔を覗き見ると、すぅ…すぅ…と規則的な呼吸を繰り返し、やはり気持ち良さそうに眠っている所だった。
斎藤さんらしくない不用心なその寝姿に、私は思わず口元を緩めてしまう。
そうして隣で体温を分け合っているうちに、私もいつのまにか暖かい陽射しにうとうとし始めていた。
「___何してんだ?斎藤」
「しっ。静かにしろ、左之。起こしてしまうだろう」
「え、あぁ悪い…って、いやでもなんでお前がそんなことを…」
「実は俺にもよくわからぬ。俺はどうやらここで寝てしまったらしいのだが、起きたらこの状態だった」
「はぁ?なんだそりゃ!ははは!起きるまでそうしてるつもりか?」
「仕方ないだろう、起こすのも忍びな……あっ」
ぼやけた視界の中に大きな斎藤さんの顔が見えた。
少し視線を上に向けると小さな原田さんの顔も見える。
ぼんやりとした視界がだんだんハッキリとした輪郭を映し始めると、同時に頭の中の霧も徐々に晴れてきた。
「お目覚めか?千鶴」
笑いを含んだ原田さんの声がした。
「…えっ私…?」
やっと焦点が合ってきた両の眼で周りを確かめてみると、やけに大きな斎藤さんの顔が私を見つめていることに気付く。
「十分眠れたか」
そう問う斎藤さんの吐息が私を掠めた。
その感覚に目を見開いた私は一気に顔を上げ息を飲んだ。
「あ、あ、あ、ご、ごめんなさいっ」
言うやいなや思い切り頭を下げてその場から飛び退いた。
そう、やっと気付いたのだ。
私は斎藤さんの肩にもたれ掛かって眠っていたのだという事に。
「いや、問題ない」
「おっ、やっと目覚めたみてぇだな?」
「は、原田さんはいつからそこにいらしたんですか…」
いつから何を見られていたのだろうかと、恥ずかしさから私はもごもごと原田さんに質問した。
「んー。ついさっきだな。斎藤がよ、こう千鶴の肩を抱いてだな…」
「左之っ!」
瞬間、斎藤さんの怒声が響いた。
びっくりして斎藤さんを見やると、耳まで真っ赤にした顔で原田さんを睨んでいた。
「おー悪い悪い。んじゃま、あとは二人で仲良くやれよ。じゃあな」
にやにやと含みのある笑みを再度浮かべて、原田さんは1人その場を去ってしまった。
残された居たたまれなさから横目でちらりと斎藤さんの様子を伺うと、いつもと変わらない落ち着いた彼を確認することが出来た。
それでもまともに見ることは出来ず、視線を外して私から話しかけた。
「あの、えっと、本当にすいませんでした。私ったらつい眠ってしまって…」
「先程、問題ないと言ったはずだ。…いいんだ、本当に」
もう一度斎藤さんに目をやると、優しく私を見つめる視線に気付いた。
そんな事に気付いてしまえば、私も彼から目を放せずに心臓はトクトクと早鐘を打ち始める。
「あんたの、夢を見た」
彼が目元を染めて口を開いた。
「あんたの夢を見て、目を覚ましたら、隣にあんたがいた」
ほんのりと頬を薄紅に染めて、穏やかな笑みで話す斎藤さんを可愛いと感じた。
先程までの私の緊張も緩やかに溶けて、心地いい二人だけの空間に思わず口元までもが緩んでしまう。
「どんな夢だったんですか?」
斎藤さんが見たという私の夢が、どんなものだったのか聞いてみたくなった。
話す斎藤さんからは悪い夢だったようには思えなかったから。
きっと良い夢だったんだろうと思う。
しかし、そんな予想とは反して斎藤さんは口ごもり、あたふたと視線を泳がせ始めた。
少し意外だったその反応に、私は思わず吹き出してしまっていた。
「…っ。夢の中でも、そのように笑われたな…」
斎藤さんはむっとしたのか、拗ねたような口ぶりで言った。
「ふふふ。すみません。でも本当に一体どんな夢を見たんですか」
「…むっ。それはだな、その、…わ、笑わないか?」
「わかりました。笑いません」
「そ、そうか…な、ならば、言おう」
意を決したように、斎藤さんは私を見つめた。
「今日のような暖かい日に、あ、あんたから…お、俺の子を、身籠った…と、告げられる、夢…だった…」
………斎藤さんの言葉を理解するまでに、少しだけ時間を要した。
それはあまりに予想外な内容だったから。
まばたきさえも忘れて私はその場で固まってしまっていた。
「…へ、変な夢を見てしまって、すまない…」
しばらく何も言わなかった私が不快感を抱いたと思ったのだろうか、斎藤さんが唐突に謝った。
その謝罪に驚いて私は必死に言葉を紡いだ。
「あ、あ、謝るような事ではないです!さ、斎藤さんとの子供だなんて、どんな可愛い子が生まれるのか楽しみです!」
そう、きっと私は焦っていたのだろう。
一気に捲し立てた自らの言葉で再び固まってしまう結果となった。
斎藤さんと私の間に緊張が走る。
見開いた目でお互いを見つめ、そして、同時に笑い出した。
「もう!斎藤さん!なんですか、その夢!」
もしも、もしも本当に、そんな日が来たら。
本当はそんなことも考えてしまっていただなんて、それは内緒にしておこうと思う。
今はまだ、隣り合う肩にほんの少し触れるこの距離が、とても心地いいと思うから…
____もしも、もしも本当に、そんな日が来たら。
俺は、あの夢のように笑うだろう。
「大事にせねばならぬな」と。
【終】