その他

□夢現
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桜の見頃は今週いっぱいで終わるんじゃないか。

そうだね。桜は綺麗なのに散るのが早くて勿体ないね。

…今日、一緒に見に行こうか?

えっ。

あ、いや、今日は部活もないしさ。もし渡辺に予定がないならでいいんだけど。

…私、行きたい。
うん、行こう、森くん!



___彼のほんの少し後ろを歩きながら、私はぼんやりと今朝の会話をリピートしていた。

(今さら恥ずかしい。森くんと二人きりだなんて。何を話したらいいかな)

なんだか照れ臭くて、俯き加減に彼の後をついて行った。
そよそよ吹く春の風が、私の頬を撫でる。

あぁ気持ちがいいな。
こんな日に森くんとお花見だなんて胸が弾まないわけがない。
私は俯いたまま、誰にも見えないようにそっと微笑んだ。

「渡辺」

「えっ、あ、はい!」

不意に前方から声が聞こえて、私の肩が跳ねた。

「俺、歩くの速かったか?」

気付かないうちに森くんはずいぶん前を歩いていた。

「あ、ううん。違うの。ごめんね!」

自分の世界に入り込んでしまっていた事を反省しつつ、私は小走りに森くんの元へと急いだ。
すぐに追いついた私は、そっと彼の制服の裾を掴んで俯きながら呟いた。

「あの…遅れないように…掴んでても、いい…?」

途切れ途切れに紡ぎ出した言葉は、やっぱりどこか気恥ずかしくて、ふわふわと宙を舞うような感覚に襲われた。
彼の表情を伺い知ることは出来ない。
どきどきどきどき。
これ以上ないくらいに私の心臓は早鐘を打っていた。

____ぎゅっ。

えっ…と思った瞬間、私はもう歩き出していた。
森くんと手を繋いで。

(森くん、耳真っ赤)

私の手を引き、斜め前を歩く森くんの耳は、真っ赤に染まっていた。
でもきっと私も同じ。
真っ赤な顔をした高校生の男女が手を繋いで歩く。
その姿はきっと、付き合いたてのカップルに見えているかもしれない。

「この方がはぐれないから」

そっけない、でもどこか優しさを含んだ森くんの声。

「…うん」

どうしよう。
嬉しいなんて。

(お願い、ずっと、このまま繋いでいて)

無言のまま私達は歩いた。
森くんと並んで歩くことは、本当に嬉しくて、本当に幸せで。
でもどこか、寂しくて、悲しくて、苦しくもあった。
でも、それがどうしてなのかはよく思い出せない。

「見て、渡辺」

森くんの声に顔を上げると、そこにはもう満開の桜があった。
優しく吹く風に、はらはら舞う薄紅色の花びら達。

「うわぁ。歩いて来れる場所に、こんな桜があったんだね」

凛とそびえ立つ一本の桜の木。
その悠然とした様は、私に、いつかの夏の記憶を思い出させた。

「あの桜の木も、こんな風に…」

そこまで言葉にして、私は思いとどまった。
あぁ、それは言ってはいけない事だ。
私の中で警告音が響いた。
あれは、そう、悪い夢。
言葉に詰まった私を、優しい瞳で森くんが見つめた。

「渡辺、俺さ、郷土研究部を作ってよかったと思ってるんだ」

「…うん?」

「郷土研究部は、櫻井、馬場先輩、槙原先輩、みんなの居場所になった。俺も、楽しかったし。それから渡辺とも仲良くなれた」

「森くん…」

「なんかこんな話して、らしくないかもしれないけど、でも渡辺には知っていてほしかったんだ。俺が、本当に幸せだったこと」

どこかで見た記憶がある。
はにかんだ森くんの笑顔。
それは夕日に照らされて、とても綺麗に、とても鮮やかに、私の心を掻き乱した。
思わず繋がれた手に力が入る。
もう二度と離さないで。
私を捕まえていて。

少しずつ、少しずつ、面影が輪郭を描く。


あなたを失ったあの瞬間。
あの夏の日を。


「ねぇ渡辺。俺は渡辺に逢えて幸せだった。…渡辺は?」

言わないで。言わないで。
警告音がますます大きな音になり、身体中に響き渡った。
聞いてはダメ。聞いてはダメ、と。

「な、に…。わ、っかんない。何言ってるかわかんないよ!やだっ!森くん!」

自分の頬を伝う熱いものに気付いてしまった。
まるで心臓を直接鷲掴みにでもされたかように、痛くて痛くて苦しくて、私は息が出来なかった。

もう、お願いだからこれ以上気付かせないで。
思い出させないで。
このままあなたと二人だけの世界にいさせて。
お願い。お願い。森くん。

不意に、繋いでいた手が力いっぱい引っ張られた。
私の唇に触れる、森くんの唇。
あぁキスだ、そう気付いた時には、私はもう彼を深い場所まで招き入れていた。
これが彼とする二度目のキス。
一度目は、彼を手放したあの時。
どうして、彼とするキスはいつもこんなに悲しいんだろう。
大好きで、大好きで。大好きなのに。

唇が放れた瞬間、強い風が吹いた。
風は桜の花びらを一気に舞い上げて、私の涙も、結った髪の毛も、すべてを空へと誘った。
このまま、二人をあの高い空へと連れて行ってほしい。

それは、誰の願いだったのだろう。

森くんは笑っていた。
それなのに、森くんも泣いているような気がして。
私は彼の胸にそっと頭を預けた。

「泣かないで」

私はぽつりと呟いた。

「えっ。俺は泣いてないよ。どうしたの。はははっ」

彼の肩が揺れた。
彼が私を笑う。

「嘘。泣いてるよ。森くんは泣いてる」

「…泣いてないよ」

「嘘つき」

「嘘じゃない」

「嘘」

ふと、私の頬を大きな手が包んだ。
間近に優しく微笑む森くんがいる。

「嘘じゃないよ。俺は泣いてない。でも、渡辺が泣くと悲しいから。だからさ、俺の為に笑って?」

彼の心が泣いている気がした。

「そうだな。ただ、ひとつだけ悲しいことがあるとするなら、もう俺の手で渡辺を笑顔にしてやれないことっ___」

言い終わらないうちに、私は森くんに抱き寄せられていた。
ためらいなく森くんの背中に回された私の腕にも目一杯の力が入り、二人の間には桜の花びらさえも入る隙間はなかった。
こんなにもひとつになりたいと、初めて願った人だった。

愛してるなんて、なんだか大人みたいで恥ずかしい。
そう思っていたのに、不思議ね、あなたになら言える。

愛してる、森くん。

「俺を想うなら…笑って、みなみ」

私達は三度目のキスをした。

「私も、森くんが好きだよ。大好き」

止まらない涙を拭って、私は笑った。
 
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