AMNESIA

□何気ない幸せをD
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「ところでそれ、何ですか」

好物であるメロンソーダに口をつけてから、ある用紙に視線を投げてシンが話し出した。

「わー!な、な、な、なんでもないよ!なんでもない!気にしないで!そんなことよりホラ!もっとメロンソーダ飲みなよ注いであげるから!ホラ!ねっ、シン!」

「いや、あの、ウキョウさん、これ以上は溢れま…うわっ」

「えっ、あっ、うわぁ」

シンの注意も虚しく、グラス一杯に注いでしまったメロンソーダは、シュワシュワと小気味いい音と共にテーブルの上に水溜まりを作っていった。
やるせない思いに深いため息を吐いて、俺はそれをいそいそと拭き始めた。

「ウキョウさんどうしたんですか?慌てぶりが怪しいですよ?」

「はっはは、ははは、何が!?何が怪しいっていうのトーマ!?」

ギョッとするような一言を放ったのはトーマだった。
テーブルを拭いていた手が上手く動かせなくなる程の動揺を覚えたが必死に繕った。
繕った、つもりだった。

「明らかに動揺してますよね」

「し、しし、してないよっ!!!!」

「いや、してますよ、それ」

トーマだけでなくシンからも追い討ちをかけられた俺を見て今度はイッキが笑い出した。
「あははは!ウキョウさん教えてあげたらいいじゃないですか。完全に僕にひれ伏したこと」

「ひっ!ひれ、伏して…なんか…」

キラキラと、無数の星屑達が舞わんばかりのドヤ顔を決めてみせたイッキに地団駄を踏んだが、実はあながち間違いではなかった為、反論するも語尾が弱々しくなってしまった。
それは数時間前に遡る。



「ウキョウくん、すまないが私にもこれ以上どうのようにして教えたらいいのか皆目見当がつかない」

「ちょっと…えっ?本気ですかウキョウさん…」

あからさまにため息を吐き哀れむように俺を見やるケントの視線、そして露骨に信じられないという顔をした蔑むようなイッキの視線が同時に突き刺さった。
数学パズルのスタートが言い渡されてから2時間以上は経過したかと思われる頃、出題者であるケントがいよいよ匙を投げるという暴挙に至ったのだ。

「だ、だから!俺は二桁の計算が出来ないって言ったじゃないか!」

「いや、まさかそれが本当だなどと些か信じがたい事実だったのでな…すまない、いまだに信じられないでいる」

「そうですよ。僕だって冗談だとばかり…」

「な、な、何も彼女の前でこんな…こんな…うっうう」
俺からしてみれば数学パズルタイムなんて事の方が冗談のようだった。
俺がイッキと同じレベルでなんてやり合えるはずがないのに。
二人からの哀れみの視線が痛いだけでなく、傍らの不安げな彼女の視線も俺には痛みとして感じた。
本当に今日はなんて日だ。
俺は普段からあまり頼り甲斐のある男ではない自覚はあるが、それでもいつにも増して頼りない姿を見せてしまったことに心底肩を落とした。



___と、こんなこと、わざわざ説明したいわけがない。
シンが気にした用紙は他でもない、俺が手も足も出なかったあの数学パズルだ。
何故かというべきか、もはや案の定というべきか、バイトが終わり次第シンとトーマも俺の家にやってきて、そして初っぱなからこんないらない疑問を投げかけてきたわけだ。

「もー!本当に君達みんな何しに来たの!?」

久しぶりに彼女と過ごせるはずだった夜をとことん邪魔され続けて、ついに俺は声をあらげた。
本当なら今夜は彼女とあんなことやこんなことをして過ごせるハズだったのに!
怒りだろうか、それとも悲しみだろうか、はたまたやるせなさといったところだろうか、とにかくそういった負の感情がフツフツと沸き上がってきて、思わず歯噛みをした。
「何しにって…ねえ?」

そんな俺をよそに、質問への回答を促すようにイッキが他の3人を見渡して口を開いたその瞬間…

「「「「邪魔しに」」」」

気持ちいい程に一致した一言が発せられた。

「なあああああああー!!!!」

わかってたよ!もう本当にこれでもかってくらい十分わかってたけども!
合計4人の男達の視線は完全に俺を捕らえていた。
それぞれが彼女を想うがあまり、今回はタッグを組んで奇襲をかけてきたといったところだろう。
獲物はもちろん俺ただ1人。
この状態での4対1は確実に不利で、今までのやられっぱなし具合を考えても、戦意を喪失するのにもはや時間はいらなかった。
彼女の隣に座り込み、どこを見るともなくただ天井を見上げて、小さくため息を吐いた。

「…なーんて」

ふと言葉が耳に届いて、声の主を見やると、やれやれといった様子で笑顔を向けていた。

「ウキョウさんがあんまり仲良しぶりをアピールするからちょっとだけ意地悪したくなったんですよ」

眉を下げてトーマが言った。

「いや、お前けっこうマジだったろ?」

すかさずシンの鋭い指摘が入る。

「えっ、僕は本気だったけど?」

くすりと笑ってイッキが言った。

「やれやれ、大人気ないぞイッキュウ」

そう言いながらケントも肩を揺らした。

「・・・・・は?」

その様子を見ていた俺が上げた声はこれだった。

「はっ?…えっ?えっ、じゃあ何をしに…?」

みんなが集まった理由に思い当たる節などなく視線を泳がせていたら、メロンソーダを口にしていたシンと目が合った。

「別に、ただのお帰りなさいパーティーってことでよくないですか」

「ちょっ、パーティーって…。そこは俺なんとなく飲み会にしてほしかったな」

「俺、まだ未成年」

「えー、メロンソーダ飲んでるじゃない」

「メロンソーダはアルコール入ってませんからイッキさん」

「もう酔ったのかイッキュウ」

尚も楽しそうな4人を見ながら俺は1人呆け顔を晒していた。
お帰りなさいって、誰が?
誰が帰ってきたというのか。
ここにいるメンバーをどこからどう見渡しても、二桁の計算が出来ない俺の足りない頭でも、疑問への答えになる人物はたった1人しか思い当たらなかった。
思わず同意を求めるかのように隣に視線をやると、幸せそうに微笑む彼女を捉えることが出来た。

「えっ、と・・・俺?」

恐る恐るみんなに向かって尋ねてみた。

「他に誰かいるのか?」

いつもの調子で淡々とケントが答えた。
まさかこの集まりにそんな意味があったなんて想像もしてなかったから、なんとも言えないくすぐったさに襲われた。
何かを言わなければと口を開きかけたけれど、喉の奥がつんと詰まる感覚に、声を出すことが出来ない。

俺はもうずっと、彼らを遠目に眺めてきた。
会話をしたり、一緒に出掛けたり、そういう関係を築いたこともあった。
でもそれらはいつもどこか偽物のように感じられて、俺は彼らといても消せない孤独感を背負っていた。
知ってる世界のようでそうじゃない、俺の知らない世界。
彼らの仲間になったような、独りよがりな錯覚。
どうせまた世界に消される、存在してはいけない存在。
あの8月を繰り返すたびにずっと抱えてきた苦しみが、ゆるゆるとほどけていくような気がした。
どんなに願っても叶わないと思っていた笑顔の彼女と、それを祝福してくれる仲間達が、今まぎれもなく俺の目の前にいた。

「お、俺…あの、えっと、た、ただい、ま…?」

絞り出すように、確かめるように、噛み締めるように、そうして口にした言葉に照れ臭さを感じてはにかんだ。

「今回はどこ行ってたんでしたっけ?ウキョウさん」

「明日からまた店来るんですよね?」

「仕方ないですね、僕が丁寧に給仕してあげますよ」

「君がいない間に新しいメニューも追加された。食べてみるといいだろう」

口々に言う4人を見ながら、どうしようもなく込み上げてくる涙と俺は戦っていた。
その涙ごと飲み込むように小さく深呼吸をして、全員の質問に一気に答えるべく口を開いた。

「今回は…あっ、てゆーか今回も?秘境っていうのかな、けっこう危険が伴う場所だったんだけど大丈夫だったよ。可愛い彼女の写メを見て乗り切ったからね!えへへ。お店の方にはもちろん明日からまたよらせてもらうよ。でも給仕はやっぱり彼女にお願いしたいかな。ごめんイッキ。新しいメニューも彼女にアーンとかしてもらっちゃったりなんかし…」

と、気分良くここまで捲し立てたところで部屋の温度の異常な下がり具合に気付いて口をつぐんだ。
さっきまで優しく感じられていた4人の視線が、今は痛いくらい冷徹に突き刺さってくる。
どんなに楽しく会話をしていても、彼らに彼女のことを話す時は細部にわたり気を配らなくてはならない、それはもう十分わかっていた事だったのに。
それなのに、嬉しさのあまりそれをすっかり忘れて、昼間同様余計なことまで口走ってしまった自分を呪う他なかった。

「へぇ。こいつの可愛い写メ、ですか」

冷めた声でシンが言った。

「いったいいつ、どこで、どんなシチュエーションで撮ったんですか?」

トーマの目だけが笑っていない。

「アーンなら今僕がしてあげますよ。ホラ、はい、はいアーン」

何も乗っていないスプーンを笑顔で俺の前に差し出すイッキ。

「明日までに新作の味付けをウキョウくん専用に変えておくとしよう。店内では吐かない程度にな」

メガネを上げながらケントが恐ろしいことを言う。

「う、うう…、もう!もう!君達本当に何しに来たのー!?」

そうして、部屋には俺の悲鳴がこだました。

あぁ、今日は踏んだり蹴ったりな1日だ。
でも、多分ずっと、こんな風に4人にやられっぱなしのポジションなんだろうということは、俺自身なんとなく気付いている。
彼らにとっても大切な彼女を独り占めしてしまっているのは俺で、それは変えようのない事実だから。
もちろん、付き合っている以上当然といえば当然なんだけれども。

俺は4人に気付かれないよう隣の彼女の手を握り、小さなため息を吐いて苦笑してみせた。

でも、おかしいかもしれないけれど、不思議とそこまで嫌な気はしていないのもまた本音。
2人きりの時間を邪魔されてるのには違いないのに、これはこれでいいかななんて。

「たまにはこんな日があっても、ねっ?」

笑う彼女の耳元で、こっそりと囁いた。



****



「やっぱり来てみて正解でしたね、イッキさん」

「本当だよ。まったく2人きりで何をするつもりだったんだろうね、あの人は」

「だが今日のところは我々の登場で阻止出来たという事だな」

「はぁ。本当に全員性格悪いですよね。邪魔しに行ったのが半分以上本音のくせにお帰りなさいパーティーだなんて」

「なーに言ってんの。ウキョウさんにそう言ったのはシンじゃない」

「トーマとイッキさんの案だろ」

「シンくん、本音と建前は使い分けるのが大人というものだ」

「はぁ?ケントさんがそんなこと言うなんてどうしたんですか…」

「ふふ。まぁお帰りなさいの気持ちも別に嘘ってわけじゃないし、それでさらに2人きりの時間も邪魔出来ちゃうなんて一石二鳥でしょ?」

「ちょっ、イッキさん…そこウィンクいりませんから…」





【END】

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