AMNESIA

□何気ない幸せをC
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まったく予想していなかった構図に俺はとまどいを覚えていた。
俺の部屋にいる彼女…と、イッキ。
今さらため息を吐いても状況が変わる事はないけれど、それでももう何度目かわからないため息が俺の口から漏れた。
一枚壁を挟んだ向こうからは楽しそうに話すイッキと彼女の声が聞こえてきて、壁のこちら側からそれに聞き耳を立てつつ俺はいそいそと着替えを済ませた。
人気者の彼女を持つってのは大変なんだな…なんて事を考えながら荷物の片付けもそこそこに二人のいる部屋へと戻ると、それとほぼ同時に携帯の着信音が耳に届いた。
音の主はどうやらイッキだったようで、俺と彼女に「ごめん」と目配せをしてから部屋の隅で話し始めた。

「ケン?うん、うん。OKわかったよ。じゃあ下まで降りて待ってるから。うん、じゃあ後で」

もちろん電話の相手の声は俺には聞こえてはいない。
それでもイッキの話ぶりだけで、電話の相手がケントである事、そしてそのケントがそろそろ到着するらしい事が容易に推測出来た。
それにしても、俺と彼女、そこにイッキとケントって、本当にどんな状況。
めまいを覚えながら彼女の隣に腰を落ち着けると、イッキが丁寧に携帯を畳みながらこちらに向き直って口を開いた。

「ウキョウさん、ケンがもう少しで到着するらしいんで僕迎えに行ってきますから。ダメですよ、鍵は開けておいて下さいね?」

にっこりと、怪しい笑顔で部屋を後にしたイッキを見送り、残された俺と彼女はどちらからともなく顔を見合わせて苦笑した。

「ははっ。ついにケントも来ちゃうね。なんだか妙な日になっちゃったね…って俺が悪いんだけど。ごめんね」

「ううん、気にしないで。私はウキョウの元気な顔が見れただけで十分だから」

「…っ!でもっ!俺は、君と…」

そこまで言って大きく肩を落とした。

「久しぶりにたくさん抱き締めたりキスしたり…そういう事が…したかった…」

目を伏せながらぽつりと呟くように本音を口にしてみた。
もちろん恋人同士である以上、そういう行為は今日じゃなくても出来るのだが、やはり二週間ぶりという時間を思えば落胆の色は隠せなかった。
落ち込む俺の横でくすりと笑う気配を感じて顔を上げると、こちらを見て微笑む彼女と目が合った。

「本当に…俺はどうしようもないくらい、君が好きだね」

自分でも呆れるくらいの溢れる愛しさに、照れ臭さを隠して笑ってみせた。

「愛してるよ」

その囁きと同時に唇を重ねて、イッキ達が戻るまでの束の間の時間、俺達は恋人同士の距離で甘い時を過ごした。

イッキが部屋を出てから15分程がたっていた。
ほんの少しの隙間さえ許さないとばかりにぴったりとくっついていた俺達の耳に、ガチャリと玄関が開く音と賑やかに話すふたつの声が聞こえてきて思わず顔を見合わせた。
名残惜しむように軽くキスをして身体を離すと、直後すぐに部屋の扉が開けられた。

「遅くなってすまなかったな、ウキョウくん」

なぜかこの状況で俺に謝罪をして上がり込んできた大柄なこの男、どの世界でもやはり彼女の近くに存在していて、ある世界では恋人にもなり得るハイスペックイケメンのうちの一人、ケントだ。

「あ、いや、それは全然、まったく、本当に、構わないよ…あはは」

どう考えてもおかしな謝罪に苦笑いで答えると、ケントの眼鏡の奥がキラリと光った。

「いや、これは私が遅れた事により、君が彼女に破廉恥な行為をする時間を与えてしまった事への反省を含めた謝罪だ。私自身への戒めの意味もあるのでな」

「ちょっと何それケン!来た早々笑わせないでくれる?」

「イッキュウ、私はいつでも真面目だ。笑う箇所などどこにも見当たらないが」

「ぶっ、はは。わかったよ、あははははっ」

「イッキュウ…」

本当におかしそうにお腹を抱えて笑うイッキと、その様子を怪訝な顔付きで見やるケント。
二人はどの世界でもこんな風に仲が良かった。
この世界での仲の良さも折り紙つきで、友達がいない俺にはけっこう羨ましい関係だったりする。
それにしても、二人が来る直前まで本当に破廉恥、もとい愛を確かめ合っていただけに上手い切り返しが見つからない。
返事に困っているとイッキがぴたりと笑うのを止めて俺を見つめてきた。

「まぁでもキスくらいはしてましたよね?15分もあれば、ね」

含み笑いと共に発せられたイッキの言葉にドキリと胸が鳴った。

「あ、あは、あは、あははははははははは」

誤魔化す事も出来ず無意味に笑ってしまった俺のこの反応は確実に間違いで、完全に「はい、破廉恥な事をしていました」と認めているようなものだった。
本当に、自分の誤魔化しスキルのなさに嫌気がさす。

「ほらね、やっぱり」

「な、何?本当に破廉恥な事をしていたというのか?なんということだ…私が遅れさえしなければ…」

二人きりの空間でさっきまでしていた秘め事はこうして簡単にバレてしまう結果となった。

「ウキョウくん。最中に我々が入ってくる可能性もあったのだぞ?そんな危険を犯してまで彼女に触れたかったというのか?」

納得がいかないとばかりに眉間にシワを寄せてケントは言ったが、やれやれといった様子のイッキが自分より年上であるこの男を諭しに入った。

「ねぇケン考えてみてよ。好きな子と自室に二人きりなんだよ?こんな状況で何もしない方がどうかしてるって。ましてや今回は半月でしたっけ?それだけ会えなかったなら隙あらば触りたいしキスもしたいし、それ以上だってしたくてたまらないですよね、ウキョウさん?」

イッキの問いかけはまさにその通りなのだが、この場合同意したらしたでまた厄介なことになりそうだし、隣に彼女がいる状況で頷ける程の勇気もなかった。
そんな葛藤をしているうちにケントが先にため息を吐いた。

「なんという浮かれぶりだ…。ウキョウくん、その浮わついた気持ちはこれで引き締め直すといいだろう」

言うなりケントはある用紙を差し出してきた。
その用紙には記号や数字がたくさん書いてあったが、見る限り俺には確実に馴染みのないもので、それが一体なんなのか皆目検討がつかずケントの意図を理解出来ずにいた。

「えっ、これ何…」

「あ!これ!僕のじゃないの!?」

俺とイッキが言葉を発したのはほぼ同時だった。

「これ新しい問題だよね?」

「あぁそうだ。だがウキョウくんがあまりに浮わついているようなので今回はウキョウくんにやってみてもらってはどうだろうか。きっと気も引き締まるだろう」

「ふぅん。確かにね。でも新しい問題なら僕も挑戦したいな。そうだ、じゃあ今から数学パズルタイムなんてどうかな」

話についていけずにいると、いつの間にか数字パズルタイムなどというまったく嬉しくない提案がされてしまっていた。
二桁の計算すら出来ない俺が数学パズル?
何かの暗号にしか見えなかったさっきのアレ?
おかしな展開に、やる前から俺は相当な疲労感に見舞われた。

「ではこうしよう。イッキュウ、君はもちろん1人で解くこと。そしてウキョウくんは彼女と一緒に。どうしてもわからない場合は私への質問を許可しよう」

「えっ、待っ…!俺絶対ムリだよ!だって、だから、俺二桁の計算すら出来ないんだからね!?」

「ウキョウさん、往生際が悪いですよ。彼女の協力とケンへの質問が許されてるんですからハンデありすぎなくらいですよ」

涼しい顔でイッキは言うが、元々が空っぽなのだから何をどうしたって考える頭そのものがない。
我ながら切なくなるけれどこれは紛れもない事実だ。
俺はまじまじと問題を見つめて項垂れた。
やはり何かの暗号にしか見えず解ける気などまったくしなかった。

「では、準備はいいか」

「OK」

「えっ、待っ、俺はOKじゃな…」

「始め!」

「ええええええー!」

かくして、二桁の計算が出来ない俺の挑戦が始まった。




【続】

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