AMNESIA

□廻る世界
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「君、今は誰かと付き合ってる…?」

もう何度、君に聞いただろう。
何度も何度も、俺じゃない別の男を想う君に出会って。


辺りはずいぶん暗くなり、街の明かりも賑やかに灯り始めていた。
ぼんやりと眺めては、この世界の君を想う。
8月の25日を過ぎて、俺と君の二人が同時に生きていられる世界はない。
もう十分にわかっている事だ。
それでも尚、25日を過ぎても生きている君の姿を、笑っている君の姿を見たいと、それだけを切に願ってきた。
それはある種義務のようにも感じる程に、俺が君を追い続ける理由になっていた。

ここから見える位置にある、あの部屋のカーテンはまだ閉じられずにいた。
そのおかげでまだ彼女を見ている事が出来る現状に、少なからず俺は幸せを感じていた。
覗き見る部屋の中には、白いベッドに横たわる彼女と、傍らに大きな男が1人。
この世界の彼女の恋人だ。
とても不器用な男ではあるけれど、彼女を想う気持ちは本物だと知っている。
そう、例え相手が俺じゃなくても、君が笑顔でいられるのならそれでよかったんだ。

少し錆び付いた手すりに手をかければ、夜とはいえ夏のそれとは思えない程の冷たさが伝わる。

「寒いな…」

ぽつりと呟いてみてもその声に反応する人影は俺の近くにはない。
…いつものことだ。
もうずいぶん前から俺はいつだって1人だった。
大きく溜め息を吐いて空を見上げれば、微かに見え始めた星の光が俺の孤独を少しだけ和らげてくれた。

よく耳にする話だ。
死んでしまった人は星になる、と。
星になって空からあなたを見守っているのよ…なんて、慰めのように言う。
ねぇ君も本当はそうだった?
あの時、君の温もりを諦めることが出来ていたら、君は1人残される俺を見守ってくれていたの…?

まぶたを閉じれば、俺に笑いかける君の姿が今もまだ鮮明に思い出された。
どうして君は逝ってしまったのだろう。
あの世界の君だけが、俺を必要とし俺を見てくれていたのに。
どれだけ別の世界で君を見つけても、それは俺の君ではなかった。
繰り返される途方もない出会いと別れの中で、それでも枯れないこの想いは何度も何度も俺を貫いて、ついには理性をも壊していった。
幾度となく再生しながら願ったのは、
君に会いたい。
君の笑顔が見たい。
ただ、それだけだったのに___。

再び彼女のいる部屋に視線を戻すと、男がカーテンに手をかけている姿が見えた。
本当は一瞬のはずのそれがスローモーションのように刻まれて、徐々に見えなくなる彼女を俺はひたすらに焼き付けていた。
もう彼女に会えないことはわかっていた。

「さよなら、どうか幸せに…」

届くはずのない想いを口にしてみても、それは冷えた暗闇に飲み込まれていくだけだった。
自らの吐く息で白く染まった視界が歪んでいく。
とうの昔に諦めたはずの本心を見抜くかのように、ひとすじの涙が頬を伝った。


___どのくらいの間そうしていただろう。
もう彼女の部屋の明かりも消えてしまっていた。
それでも俺はただそこに立ち尽くしていた。
最後の一瞬まで彼女の近くにいたくて。
ぼんやりと眺める先には、愛しい彼女の気配と俺の行く末が見えていた。
確実にやって来る運命に逆らう気など今さらなかったが、臆病者を自負している俺には恐怖との隣り合わせでもあった。
ほんの少し身震いをしてぎゅっと目を閉じる。
しかしどんなに恐怖に喘いでみても、いつだって世界はイレギュラーを見逃しはしなかった。
俺に訪れるのはこの世界からの確実な排除、つまりは死。
そうしてまた、繰り返す8月。


ギッ……


不意に寄り掛かっていた手すりが外れ、あっという間に俺はバランスを崩した。
反転した身体がふわりと宙に浮き、ふたつの足が地を求めて虚しく空を切る。
このまま暗闇に堕ちて逝く俺を容易に想像出来た。
その闇の中でも手を伸ばせば掴めそうに見えた星空は、残酷な程に綺麗で、俺の最期に彩りを添えているように感じた。


愛してる。愛してる。愛してるよ。

ケントの隣で笑う君を想う。
あぁ、ほら、それだけで俺は幸せに死んでいける。

どうか、どうか、君だけは…







_____そうしてまた、繰り返す8月。

「君、今は誰かと付き合ってる…?」



【終】

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