AMNESIA

□何気ない幸せをB
1ページ/1ページ

シンとトーマから逃れるように走り出してから数分。
ようやく足を止めて乱れる息を一度整えることにした。
自らの失言が元で、彼女にまで無駄な体力を使わせてしまったことに少なからず責任を感じていた俺は、弾む息を無理矢理飲み込むようにして口を開いた。

「ごめんね。俺の…っせいで。…っはぁ。つ、疲れた、ね」

「ふふっ。うん、疲れた、ね。でもっなんだか楽しかっ…た」

互いに途切れ途切れの言葉を交わし顔を見合わせてくすくすと笑い合った。
あの時、ほとんど突然に近い状態で走り出したからシンとトーマの表情は見ていない。
トーマが何か叫んでいたけれどそれも振り切ってしまった。
今頃はきっと二人で俺のことを話しているだろう。
あぁ…明日はお店に行きにくいな…なんてことを頭の中で巡らせながら、少しだけ火照った身体を冷やすように家までの残りの道のりはゆっくりと歩くことにした。


「………えっ?」

もうすぐで家にたどり着くという所で、まだ少し遠目に見えるマンションの入り口に珍しい人影があることに気付いた。
それはさっきまで話していたシンやトーマとは違う、けれどもどの世界でも彼女の近くにいたハイスペックイケメンの内の1人だ。
そしてその彼を認めると同時に、さっきのトーマの言葉がよみがえってきた。

『イッキさんはもう…』

「…あ、ウキョウさんおかえりなさい。けっこう遅かったんですね」

俺の思考を阻むようにこちらに気付いた彼がサングラスの下で微笑んだ。
一般人にも関わらずファンクラブまで存在する彼はさすがと言うべきか、立ち振舞いもスマートで男の俺から見てもモテる理由はなんとなくわかる気がする。
例え目の効果がなかったとしても、きっと彼の周りには女の子達が群がるだろうとも思う。
そんな事を思えば、シンやトーマなんかも含めて、本当に彼女がどうして彼らの中から俺を選んだのかがいささか疑問にさえなってくる。
だからと言って誰かに譲る気なんて俺にだってもうないけれど。

「久しぶりですねウキョウさん。いい写真は撮れましたか?」

いまいち状況が飲み込めていない俺に向かって彼が話しかけてきた。
しばらく彼を凝視してしまっていた俺はその呼び掛けで我に返ることが出来やっと口を開くに至った。

「あ、あぁ、うん、そうだね。ていうか、どうしてここにいるのイッキ?」

それは俺だけではなく傍らの彼女の疑問でもあっただろう。
ここがケントの家なら話は別だが、何度確認してもやはりここは紛れもなく俺の家だった。
冥土の羊以外でも会うことは今までもあったけれど、それは他のみんなもいたことだから、こうして個人的に外で会うのは初めてになる。

「実はトーマからお店に電話があって、今すぐウキョウさんちに行って下さいって言われたんですよね。で、理由聞いたら僕も納得したんで仕事上がりに真っ直ぐ来てみました」

最後のひとことを言うと同時にかけていたサングラスを少しだけ下にずらして、上目遣いにニヤリとイッキは笑ってみせた。
でもすぐその後にふぅ…と、ひとつ大きな溜め息をついて肩をすくめる素振りも見せた。

「まぁ人の恋路を邪魔するのは趣味じゃないんですけど、でも今回は彼女のことですから話は別ってことで。邪魔させて下さいね、ウキョウさん?」

…あぁ、やっぱり俺は大失敗をした。
時間を巻き戻せるならどこまで巻き戻そうか。
この事態の引き金となったあの失言の直前?
それともいっそシンとトーマに会ってしまう前?
今ここにニールがいたならきっと願ってしまうに違いないと思うくらいの後悔の中で、俺はただただがっくりと肩を落とした。


半ば強引に部屋まで案内させられた俺と彼女はもはや諦めの色を互いに濃くしていた。
イッキの目を盗んでちらりと通わせた視線でごめんねを告げてみる。
それに気付いたのか彼女も緩く首を降って笑ってくれた。
そんな些細なことにも俺の胸は満たされて、だんだんと落ち着きを取り戻してきた。

「ねぇところでイッキ、どうして俺達よりも早く着いてたの?お店から来たんでしょ?いくらなんでも早すぎるよね?」

部屋に入るなり実はさっきから疑問だったことを聞いてみた。

「ケンの車ですよ。今日休みだったケンにはシンから連絡したみたいです。そしたらケンの奴びっくりするくらいの早さで僕を迎えに来ましたよ。くくくっ」

「な、なるほど…じゃあケントの車で来たんだね…ってアレ?じゃあどうしてケントはいないの?」

「どうしても今日中にやらなきゃいけないことがあるみたいで、僕を降ろしてすぐ大学へ行きましたよ。あ、でも安心して下さい。後からちゃんと来ますから」

楽しそうに言うイッキを横目に俺は力なく笑った。
そっか後から来るのか…って、じゃあ彼らは今日は一体いつまでいるつもりなんだろう…。
それまではまだほんの少し彼女と二人きりになれる可能性を期待していたけれど、もう確実に無理だと覚悟を決めざるをえない瞬間だった。
蒔くつもりはまったくなかったけれど自分で蒔いた種。
あまりのやるせなさに俺は密かに泣きそうになっていた。



【続】

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ