AMNESIA

□何気ない幸せをA
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繋いだ手からは幸せが溢れていた。
二週間ぶりに触れたそのぬくもりに、俺の緩んだ口元は完全に戻る術を見失っていた。
このままもう一度キスしたい衝動をなんとか抑え込み、彼女の細い手を引いて足早に帰路へとついた。
もうすぐ春だというのに吹き付ける風はまだ冷たい。
その寒さもまた、家路へと急がせる要因になっていたのだろう。

「___ウキョウさん!」

駅を出て少し歩いたところで、不意に後方から俺の名前が呼ばれた。
声の主には心当たりがあった。
きっと傍らの彼女もわかっているだろう。

「トーマ!久しぶりだね」

立ち止まり振り返ると、そう遠くない場所に思った通りの人物を見つけることが出来た。
そしてその隣にも見知った人物が1人。

「あ、シンもいたんだね。久しぶり!俺つい今仕事から帰ってきた所なんだ。二人は?一緒に買い物とか?」

そう何気なく問うとシンが露骨に顔を歪めた。

「はぁ?何言ってんですかウキョウさん。なんでトーマなんかと買い物行かなきゃなんないんですか。てかそっちこそ二人で買い物とかですか?」

「ちょっとシン〜…トーマなんかって言い方は止めなよ。まったく昔はもっと可愛げあったのになぁ…」

「うるさいトーマ。いつまでも俺のこと何歳だと思ってんの」

相変わらずの二人のやり取りを前にして、俺は思わず吹き出してしまった。

「あはっ、あははっ。そんな憎まれ口言い合えるんだから結局仲良しなんだよね?」

笑いながら言った俺の言葉に、トーマがなるほど!と納得してみせたけど、シンの方は脱力した様子で「マジで何言ってんですかウキョウさん…」と冷ややかに返してきた。
それでもやっぱりこの二人はどの世界でも繋がりが強かった。
彼女も含めて3人はいつも近い場所にいた。
いつだって不審者にしかなり得なかった俺は、その距離がうらやましかったし微笑ましかったから、今でも二人のこういうやり取りには目を細めてしまう。
こんなこと思うなんて俺が長男みたいだな…なんて、あの頃のやるせない感情も思い出しながら、最後にもう一度だけ笑ってみせた。

「俺達はもう帰るところなんだ。あ、帰るってゆーか俺のうちに行くってゆーか…ねっ?」

会話の流れとしてはずいぶんたってしまっていたが、シンの質問に答えて俺ははにかんだ。
照れ笑いと共に彼女に同意を求めると、彼女が少し焦った様子を見せて繋いでいた手をギュッと強く握り締めてきた。

「えっ、なに…」

突然のことに彼女の意図が飲み込めず目を丸くしてしまったが、すぐにふたつの殺気を感じて俺は自分が犯した過ちに気付いてハッとした。
そう、俺は余計なことを言ってしまった。
あんまり浮かれていてついうっかり…口が滑ってしまった…。

「あっ、あぁ、いやっ、違っ!そうじゃなくてっ、あの、あの、えっと、いま、今から…あっそう!今から買い物に行くところだったんだよ!」

苦し紛れに言い直してはみたけれど、もはやそれすらも先の発言の方が正しいと言わんばかりのめちゃくちゃな出来だった。
何も言わない方がまだよかったとさらに後悔する程に。

「へぇ。ウキョウさんの家に、ですか」

明らかにトーマの声色は変わっていた。
口元は笑っているのに目が笑っていない。
あぁ大失敗だ。
飼い主に叱られて落ち込む犬のように肩を落とした俺と彼女は、もはやここから走り去りたい気持ちを繋いだ手から共有していた。
どう言い訳をしようかとない頭をフル回転させているうちにトーマが先に口を開いた。

「俺達はこれからバイトなんですよ。さっきそこで同じ遅番のシンと会ったから一緒に来たんです」

いつものトーマの調子に戻ってはいたが、ニッコリと笑った顔の裏には得体の知れない恐怖がかいまみえた。

「そ、そ、そうだったんだね。ははっ。じゃ、じゃあバイト頑張って」

一秒だって長くここにいてはいけない。
本能がそう察していた。
すぐさまくるりと回れ右をして俺達は一気に駆け出した。
早く!逃げなきゃ!
…何から?シンから?トーマから?
いや…きっと彼女を愛してる全ての男から。

「イッキさんはもう…ですからね!」

後ろからトーマが叫んだ。
イッキが、…何?
トーマが何を叫んだかなんてもうそんなことに構う余裕もなく、俺達は再び家路へと急いだ。
冷たい風が頬を撫でる。
二人の長い髪が風に揺れる。

「ねぇ」

繋いだ手を少しだけ引き寄せて彼女に合図を送った。

「明日、怒られちゃうかな?」

俺のその問いかけに彼女はおかしそうに笑った。

「そうかもしれないね」

そう言いながらも楽しそうな様子の彼女に、思わず俺の頬も緩んでいった。
さぁ、今度こそ二人だけの部屋へ帰ろう。



【続】

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