AMNESIA

□何気ない幸せを
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はっはっはっ・・・・

逸る気持ちを抑えることが出来ず、俺はひたすらに人混みを駆けていた。

「あっ、ご、ごめんなさい!ごめんなさい!すみません!」

肩から提げていた仕事道具がすれ違った人に触れてしまい慌てて頭を下げる。
電車を降りた瞬間から全力疾走の俺の長い髪は、きっともうボサボサになっていることだろう。
それでもこの二週間分の思いは止められるはずがなかった。
ねぇ一秒でも早く。

「___っ、あっ」

少し先の視界に飛び込んできた彼女の綺麗な横顔に俺の胸が高鳴った。
早く、早く、早く。

「あ、ウキョウ__」

俺に気付いた彼女が先に声を上げた。
久しぶりに見るその柔らかい笑みに俺の頬もだらしなく緩む。
あぁ、君だ。会いたかった。抱きしめたかった。キスしたかった。
俺の可愛い…

写真家である俺はけっこう長く家を空けることもたまにあったりする。
その間、学校やバイトがある彼女を連れて行けるわけもなく、離れ離れになってしまうのは必然で、そしてそれを寂しいと思うのも、寂し過ぎてちょっとだけ泣いてしまいそうになる夜があるのも必然だ(ひ、必然なんです!)。
だからいつもこの瞬間は、このままおかしくなってしまうんじゃないかと思うくらいの嬉しさと幸せがこみ上げる。
俺は何度も君と出会ってきたけれど、笑って俺を迎えてくれるのは君だけだから。

「…はっ、はぁ。たっただい、ま。来て、くれてっ、ありがとう」

肩を大きく上下に揺らしながら一気に言葉を繋いだ。
君にただいまと言える幸せを噛み締めれば、俺の目頭はまた熱くなる。
そんなことに気付かれたら、ウキョウは泣き虫ね、なんて、君にからかわれてしまうかな。
でも、俺は結局そんなやり取りも幸せと感じてしまうんだけれど。

「おかえりなさい。ずっと走ってきたの?」

いまだ呼吸の整わない俺を覗き込みながら彼女が言った。

「…うわぁ!ち、近い、近いです!ダメだよ!もっと離れて!」

「えっ、どうして…?」

不思議そうに小首をかしげる彼女の小さな肩を遠慮がちに押し返して、俺は視線を逸らした。
もちろん、今さらオレが何かをするわけじゃない。
そう、俺の心配はオレじゃない、俺だ。

「あ、あんまり近づかれると、今ここでこのまま君にキスしたい気持ちが止まらなくなる…から、です…」

恐る恐る彼女に視線を戻すと、頬をピンク色に染め立ち尽くしていた。

「あっ、ごめん!しないよ、しないから!だからさ、その、警戒…しないで?」

慌てて取り繕うけれど、彼女は微動だにしない。

「ああああ、帰ってきた早々何言ってんだって 感じだよね!本当にごめん!ああもう俺ってヤツはっ!」

俺は頭を抱えて数秒前の己の発言を呪った。
反省してももはや居たたまれない気持ちに、半ばパニックになった俺はいろんな意味で泣きたくなっていた。
さっきまで上下していた肩を落とし彼女を見やると、きゅっと目を閉じ俺に近付いてきた。

「あのねウキョウ、私も…」

小さくつぶやかれた声と共に、ふわりと柔らかいものが頬に触れた。

「く、唇は、やっぱりここでは恥ずかしいから…」

真っ赤な顔でうつむく彼女の両手は着ているワンピースをぎゅうぎゅうに握り締め、精一杯の勇気だったことを俺に教えてくれた。

もうね、君は可愛すぎてダメだよ。
反則です、反則。
そこんとこちゃんとわかってるのかな?

うつむく彼女の顔を両手で覆い、今度こそ俺は躊躇わなかった。

「…ごめん、ね…」

俺はもういい歳の大人だ。
こんな人混みでこんなこと、君に恥ずかしい思いをさせてしまうこともわかっている。
でもごめん、もうこれ以上どうしたら俺を抑えられるのかがわからないんだ。

「…んっ…」

いってきます、いってらっしゃいのキスはもちろん二週間前。
だからこれは二週間ぶりのキス。
泣きそうになってしまうくらい会いたくて仕方なかった君との再会のキス。

ねぇ、いつも俺を待っていてくれてありがとう。
君が隣にいてくれるこの世界は紛れもない俺の世界なんだと信じていてもいい?
俺も、オレも、もう君を探したりはしない。
だって君はこうして目の前で笑っていてくれるから。

軽く口付けた後、そのままの距離で彼女を見つめ、二人だけの秘め事のように俺は静かに口を開いた。

「ただいま。すごく会いたかった」

ほんの少しの間があった後、恥ずかしそうに彼女が微笑んで、ふっと息を漏らした。

「私もすごく会いたかった。おかえりなさい」

いつのまにかおでこをくっつける格好になっていた俺達は、上目使いでチラリと視線を通わせてからくすりと笑った。
ただいまを言える幸せ。
おかえりと言ってもらえる幸せ。
そして、君にとても会いたかったんだと、素直に伝えることが出来る幸せ。

そんな幸せを噛み締めながら、俺は愛しい彼女の手を取り歩き出した。
さぁ帰ろう。
今度こそ誰の目も気にならない二人だけの部屋へ。

愛してるなんて言葉じゃ足りないくらい君を愛してるから、お願い、今日は
ずっと___。


【続】

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