novel

□クレモナ
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※ネタばれ気味注意



トン、トン、トン。
指先で刻むメロディー。


「…遊んでみねぇか?」

彼は不敵に笑ってみせた。
それに対して少年は小さく、だけど確かに頷いた。





二週間前、午前一時に任務から帰った俺を迎えてくれたあの旋律は、今でもちゃんと耳に残ってる。

新たな教団内の空気を震わせる、真夜中の遠慮がちでも安定した音色。
ユウの奏でるビオラ・ダモーレ。

(凄い……)


何が、なんて分からないまま。
それでも確かに心が動いた。
暗い部屋の中から流れ出る静かな音楽に引き寄せられて、そっと扉を開けた瞬間の。あの感覚。
叫び出したいとさえ思うのに、喉に貼り付いた声は言葉に成ってくれなかった。
顎で支えながら弓を動かす其の仕草が青白い月明かりに浮かんで、バイオリンよりも低めのアルトが聴覚神経を震わせる。


あぁ、あぁ。なんて神秘的!


声を掛ける事は躊躇われた。
それどころかこうして見ている事すら罪に思えて、俺は急いで逃げ帰ったんだ。
報告の事なんてすっかり忘れて。



一人で、誰に聴かせる訳でも無いのに演奏されたあの音楽が、アレンの為だったと知ったのは今この瞬間。

「この中から好きなの選べ。」
「え、……あの?」


俺がこっそり見てる事なんて知らないで(知っていても敢えて無視して)ユウはアレンの頭上へ数札の本を落とした。本とは言っても各々が薄い冊子のようなものだったから大した痛みは伴わないだろう。事実、アレンの反応は突然の衝撃への不満より行動そのものへの困惑の方が色濃く現れていた。
ユウの部屋の前の廊下、無造作というか乱暴にばら蒔かれた世界中の紙の絨毯を、アレンは訳が分からないとでも言うように表情をしながら掻き集める。



「何で楽譜なんか持ってるんです?」


もっともな質問に


「受験生だから。」


もっともらしく返した応えは


「受験?!」


アレンを驚かせるのには十分だった。



聞き耳立ててる俺にとって其の反応が他人事なのは前に一度も話を聞いた事があったから。
二年前、初めて同じ任務に向かった時の会話は、あの旋律と同じくらい鮮明に蘇って来る。
会話と評して良いのかは分からない一方的なインタビューだった形式けれど。
まさか再び同じ言葉を聞けるとは、……でもちっと心配。
だって、これが切っ掛けだったんさ。

「…好きなのって?」
「選んだ曲をピアノで弾け。」


あ……。
何て間が悪いんさユウ、なんて唖然としながら一方で良くやったと褒めているもう一人の俺が居た。
何でも笑って綺麗に済ませてしまうアレンに苦痛や悲哀を吐き出させる為には、優しさや気遣いよりも先ず、多少の強引さが必要なのかも知れなくて。
其れが出来るのはユウだけだから。

「弾けませんよ。」
「何で。」

俺はあの時の話を聞いていたから、詳しくを知らないユウを止めないといけないのだろうか。
いつものように然り気無く入り込んで、この話題を中断させるべきなのだろうか。


「だって、あれは…あの時のは、……僕じゃなくて、14番目の……」


もう問い詰めるなよユウ
もう言っちまえよアレン

俺にもリナリーにも出来ない事がきっと二人には可能なんだと奇跡を信じたいような気持ちに成りながら、緊張で狂ってしまいそうだとも思った。
それなら立ち去れなんて言われたって如何しようも無い。動けない。だって消えるべきタイミングが。

誰もいない静かな廊下に二人と一人。プラスでティムキャンピー。
そして、楽譜。
「僕、は…今まで一度もピアノを弾いた事無いんです。」

はい、と集め直した数冊のそれらをろくに目も通さずに差し出した時の笑顔の不自然さは、もう追求するなとの分かり易い忠告。
ユウはアレンの唯一だから、上手くいけば奥底に抱えている不安を晒け出せるかとも考えたけど。
やっぱりそう単純なものでも無いようで。


「あっそ。だから?」
「だから?って…」


返そうとした楽譜を一瞥しただけで受け取ろうともせず、其れどころか訳が分からないと言うような口調はアレンだけでなく其の場を去ろうとしていた俺も戸惑わせた。
例えば、ユウがどんなに鈍くて空気が読めなかったとしても、こんなに食い下がるなんて事が在っただろうか。


「テメェが楽譜の見方を知らないのは分かった。テメェが馬鹿なのも分かった。」
「はぁっ?!」

余りに一方的な言い分にいよいよ反論し掛けたのを視線で制して、

「経験の無さと可能性の無さをイコールで結び付けてんじゃねぇよ。今まで出来なかった事がこれからも出来ねぇなんて決め付けんな。」


ユウはアレンの腕を強引に引っ張って何処かへ向かった。
咄嗟に俺も跡を追う。

もはや唯の意地だとしても。



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