novel

□一瞬集合の持続です
1ページ/1ページ


なぁ、
風吹いた時の、あの香りが
今も染み付いて離れないんだ。


「……ごめん。」
「もう良い。」
「ユウ…本当に、ごめん。」

謝るな、と。
ぶっきらぼうに吐き捨てて背中を向けるユウの気持ちは痛いほど分かるのに、図々しくも震えを抑え切れない声で謝罪の言葉を紡ぎ続ける他にはラビに成す術は無かった。ラビは、かつてラビとして周囲に認識されていた俺は、どんなに願った所でもう此所には居られないのだ。ラビだった物体は抹消され今や残っているのは記録と一人称としての代名詞のみ。

50番目の記録地で使う為の名前は、頭の中いっぱいがユウの声で呼ばれるラビと言う音に占領される所為で如何しても考えつかない。次の名前なんか要らないとさえ本気で思ったけれど、そんな事を考えてしまう時点で未だ未だジジイみたいにブックマンを其の侭呼称とするには尚早だろうと自覚していた。

「ジュニア。」
「……なん、で」

俺は教団の仲間達やユウだけでなく、一つ前に消しさった筈のラビにまで依存していた。初対面の頃アレンに対してはあんなにも簡単に紹介出来た其の呼び方は、それでもユウの口からだけは聞きたくなかった言葉だと言うのに。

発動させた槌の柄を伸ばして辿り着いた教団の屋上で、誰かが自分達を見付け出す其の時まではずっと此所に居ようと決めていた。互いに暗黙の了解で、雨が降ろうとも夜中に成ろうとも誰かが此所に居る自分達に気付くまでは狭い円形の中に秘密の園を築こうと約束していた。
何も本気で逃げようとか姿を眩まそうとか考えていた訳では無くて、ただ限界まで二人切りで存在したかっただけなんだ。教団を去る準備よりもアレンやリナリー達への別離の挨拶よりも、俺にとってはユウと少しでも長く一緒に居る事の方が重要で。
それに関してはユウも何も言って来なかった。

「寒くない?」
「…いや、大丈夫だ。」
「そう、良かった。」

ぎこちない会話を誰も咎めてくれないから、途切れ途切れに飛び交う言葉に如何しても虚偽の気配が付きまとう。此の時を作り出している何もかもが虚像で構成されているようで、叩き潰してやりたい衝動に駆られた。こんな残酷な未来を、俺は疾うの昔に覚悟していた筈なのに何で今更後悔なんて。

「あーあ、いっそブックマン放棄しよっかな〜。」

出来ないくせに。
そう思って笑いそうになる。
けど、笑えなかった。
もう俺にはラビ以上の笑顔が作れない。

ラビに成りたい、と。
切実に願いながら同時に無理だと諦めていた。出来るか否かの問題では無く、今まで積み重ねて来た俺自身がそれを赦しはしないだろうと知っていたからだ。

団服が汚れるのも構わず仰向けに寝転べばユウも其れに続いて空を仰ぐのが何とは無しに意外だった。一人で急いている俺を嘲笑うかの如くゆっくりと流れ行く白雲が煩わしい。お前らなんか俺が木判使ったら操作されんだぞ知ってんのか、なんて。内心で喧嘩を売りながらも実行する気は微塵も無い。見ている側の心情などお構い無しに、穏やかな天気はいつも通りの時を具現していた。

「お前は、ブックマンだ。」
「へ?」
「誰が何と言おうと世界が如何変わろうと、記録だけは止めるな。もし邪魔する奴が居るなら俺が消す。」


消すって。消すって!
怖いよユウ。
相変わらず……怖いなぁ。

何だか今度は自然と笑えた。

「こんな時くらい嘘でも寂しがって欲しいさ。」
「何だそりゃ。」
「ん〜…行かないでっ其れが駄目なら私も一緒に連れてって!とか?」

枕代わりに後ろで組んだ腕を少しずらして、妙に盛り上がった気分に従って悪ノリしてみる。
精一杯の裏声は自分でも正直微妙だったけど。
そんな事を言う筈が無いし逆に言われたら困る。それでも一寸した悪戯心と恋人としての我儘で、離れる事の確定した未来を寂しいと思って欲しかった。最後の最後、俺の事で取り乱すユウが見たいんだ。
そんな気持ちを知ってか知らずか、ユウは見慣れた不適な笑みを浮かべた後、すぅっと酸素を取り込んで空に向かって一息に捲し立てた。

「俺の為に行け。俺の為に此所を出て、俺の為に記録を続けろジュニア。もし万が一、お前が生に失望した其の時も、俺の為に生き続ければそれで良い。」
「アッハハ…なんか、惚れ直したさー。」

確かに引き留めて貰えるとは思って無かったけれど、まさかこんなにも潔く送り出されるなんて予想外。俺の為にってどんだけ。
笑いの収まらない俺の指先にそっと唇を寄せてユウはラビにさよならを告げた。
俺もラビに同じ言葉を繰り返す。

「さようなら。」

方舟の中でロードに見せられた夢が現実に成らないのは、俺の精神的成長だけでは無くてもっと単純。現実世界の皆が驚くくらいに前向きなんだ。

教団の匂いが消えない
君の匂いが消えない

責任取ってよ。
多分俺ずーっと一人でニヤけてる。


―――――
こんなにも傍に沢山の幸せ!


.

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ