小説(本文用)
□Excellent remaining snow.
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お姉ちゃんが死んだ。
そう若様から聞かされた時、耳を疑った。
いつも傍にいて私を守ってくれたお姉ちゃん。
時には厳しくて、怒ったりもしたけれど誰よりも私のことを思ってくれていたお姉ちゃん。
「し、シュガー様! 申し訳ありません! どうかお許しを…!」
「うるさい。許してほしいなら大人しく人形になって。」
「シュガーさ…!!」
この手で触れたものは、物言わぬマリオネットとなる。目の前で誰かが叫んでいたけどそれも誰だったかもう思い出せない。
大好きだったお姉ちゃんが死んだという事実が受け入れられず、気に入らない人間を手あたり次第人形に変えた。それでも当然、この怒りは収まるわけがなかった。
「…トラファルガー・ロー?」
元ファミリーの一員である男。その裏切り者のせいでお姉ちゃんは死んだ。若様はそう言った。
そいつが今、“麦わら”のルフィたちと共にドレスローザに向かっていると聞いて、押さえていた怒りが込み上げてきた。
お姉ちゃんを殺した復讐。
その一念以外何物でもなかった。
ローに協力する“麦わら”たちも当然、許すわけにはいかないと思った。全員をおもちゃにして、死ぬまで工場で働かせてやる。
そう思った。それは今でも変わりない。
――でも。
「…この、人…。」
新聞記事で見た“麦わら”を見て我が目を疑った。
正しくは、麦わらの仲間である“泥棒猫”に。
「…どうし、て…。」
オレンジの長いウェーブの髪は姉のそれとは違う。
年は、姉よりもずっと幼くて、むしろ本来の年齢で言えば自分の方が上だ。
新聞の写真は隠し撮りだろうから、こちらを見てはいない。だが、どうしてか。彼女には姉の面影を感じる。雰囲気というのか、気品というのか。理由はよく分からない。
ただひとつ、強く思ったのは、二度とお姉ちゃんを失いたくないということ。
読んでいた新聞をギュッと握り締め、気が付けば私はドレスローザ国王の元へ駆け出していた。
「…また残して。ちゃんと食べて? お姉ちゃん。」
にこりと笑みを向けると、シュガーは好物のグレープを差し出した。それは無邪気な子供そのもの。
しかし彼女に呼ばれた美しい女は、見た目にも分かるほどの敵意を向けて睨み返してきた。
「…食欲なんて、あるわけないじゃない。」
ドレスローザの王宮の一室。
ベッドの上で上半身を起こして、ナミはそう呟いた。
上質な純白のワンピースを身にまとい、美しい表情は悲しげな色を宿してこちらを見る。
陶器のような肌には、痛々しいほどの赤い花が身体中に咲き乱れていた。
「そんなこと言って、ここ3日ほとんど何も食べてないし…。」
若様も心配してるよ?
シュガーがそう言うとナミはピクリと肩を震わせた。
「……て…。」
「え?」
「…心配、ですって? 無理やりここに連れて来て何が心配よ!!」
「確かに、連れてきた方法は強引だったと思うわ。でも今だけよ。しばらくすればここの生活にも慣れるから。」
「ここでの生活なんて望んでない! 私はサニー号に帰りたいのよ!!」
「ワガママ言わないで、お姉ちゃん。」
「ワガママでも何でもない! それに私はあなたの姉じゃない!」
ジャラッ
急き切って身体で怒りを露わにしたナミの声に混ざり、無機質な金属音が響いた。
「こんな部屋に閉じ込めて…! 逃げられないように枷まで付けて!!」
「お姉ちゃんが逃げなきゃいいのよ。そしたら枷だって外してもらえるわ。」
「そんなの無理に決まってるでしょう!? 私はここにはいたくないのよ!」
「じゃあ外してあげるわけにはいかないわ。それにもし逃げたとしても、何回でも連れ戻すからね?」
「…!」
「それに、お姉ちゃんは、」
――もうすぐ、若様と結婚するじゃない?
その言葉に、シーツを握り締めるナミの手はワナワナと震えた。
圧倒的な支配力と暴力でこの国に君臨する『王下七武海』。身体中にこの痕を刻んだのもその男だ。どんなに抵抗しても、体格も力も圧倒的な差を見せつけられ、ナミはされるがままに受け入れるしかなかった。
力で敵うわけがない。知恵を絞っても、闇取引を牛耳る男の頭脳はさらに上をいく。どう足掻いても彼に勝てる要素は見つけられなかった。
そんなナミの様子を、シュガーはさして気にも留めずベッドに腰掛ける。
「結婚式、楽しみだね?」
「冗談じゃないわ! 誰があんな奴と…!」
ナミがどうしてここまで嫌がるのか、シュガーには理解できなかった。
幼いころ、自分をたちを救ってくれた若様と“お姉ちゃん”が結婚する。こんな嬉しいことはない。
「お姉ちゃんが若様と結婚したら、私、若様の妹になれるんだ…。」
そしたら“お兄ちゃん”って呼んでもいいのかなぁ?と、本当に楽しそうに語る少女。
そんな彼女に、ナミはもはやかける言葉もなくなってしまった。
「フッフッフ…。何をそんなに楽しそうに話しているんだ?」
「若様!!」
「ドフラミンゴ…!!」
ナミを王宮へ連れてきた張本人が、見るだけで嫌になる笑みを浮かべて入り口に立っていた。
連れてきた…と言えば聞こえはいいかもしれないが、もちろん同意はない。仲間やローを叩き伏せ、その命を交換条件として提示したのだ。
「気分はいかがかな? お姫様。」
「………。」
「今日もご機嫌ナナメだな。」
この男と話す口など持ち合わせてはいない。ナミはフイと顔を背けて男が視界に入らないようにする。
そんな彼女の態度も男にとっては楽しむ要素のひとつでしかない。独特の笑い声を響かせて、ドフラミンゴは一歩ずつナミのいるベッドに近づいてくる。
「シュガー、コロシアムの負け犬どもの“処理”が溜まっているぞ。早く始末してこい。」
「はーい!」
「…“麦わら”がいるかもしれねェな。」
「な…!」
その言葉を聞いて、ナミは思わず声を上げたが、しまった、と思った時には遅かった。
ナミが振り向いた瞬間、彼女の顔を捉えしっかりと自分に向かせる。
「ようやく、俺を見たな?」
吐息がかかるほど近づいた距離に、ナミは精一杯の憎しみを込めて男を睨み付けた。
「フフ…! いいカオだ、ナミ。」
「気安く呼ばないで…!」
「おかしなことを言う。俺たちは夫婦になるんだ。夫が妻を名前で呼んで何が悪い?」
「勝手に決めないで! 同意のない結婚なんて認められないわ!」
「ここは俺の国だ。俺がそうと言えばこの国は従い、国民も受け入れる。」
「私はあなたと結婚なんてしないし、するくらいなら死んだ方がマシだわ!!」
「ほう? なら仕方ねェ。お前の仲間も早々に始末するとするか…。」
「!!!」
彼女が死ぬこと、つまり自分の意に従わないということは契約違反。
「…卑怯者!!」
「フッフッフッフッフ! 海賊なんだ、当たり前だ!」
「ッ!!」
そう言うとドフラミンゴは、その小さな唇に食らいついた。
ナミの後頭部に手を添えて逃げられぬように押さえつける。噛まれぬように顎も固めて、彼女の小さな舌を何度も何度も絡め取る。
「ンッ! んう…!」
押しても引いてもビクともしない。
歯を立ててやろうか、とも思ったが、以前同じことをしたら散々痛めつけられた。挙句には、次に同じことをしたらルフィたちを殺すとまで。
(…くや、しい…、悔しい…!!)
そうして長い長い口付けが終わる。
頬を紅潮させて潤んだ瞳は、男を誘っているようにも見えた。
はやる気持ちを抑えながらドフラミンゴはゆっくりとナミに覆いかぶさる。
「やめて…! 私は…、私はモネじゃない! 代わりなんて真っ平ゴメンよ…!」
ついに、大粒の涙が零れた。
仲間の元から連れ去られて、身体を、自由を奪われて。挙句の果てには、自分が誰かの代わりだと。
心が叫ぶ、帰りたい。仲間に会いたい。
「……何か、勘違いしてやがるな?」
ポロポロと零れる涙を舐め取り、ドフラミンゴは呟いた。
「なに、を、」
「シュガーは確かにお前とモネを重ねているかもしれねえ。だがな、俺にとっちゃモネはファミリーの一員だった。それ以上でも以下でもねェ。」
「…ッ、私には、関係な、」
「俺がお前を選んだんだ。“泥棒猫”ナミを。手に入ったが最後、二度と俺から逃げられると思うな。」
ゾクリと背筋に悪寒が走る。
奇妙な形のサングラスの奥にある目の奥の、狂気にも等しい覇気が身体に突き刺さる。
――怖い…!
純粋に湧き上がるのは、目の前の男への恐怖と、それから逃げたい、仲間の元へ帰りたいという願いだった。
無意識に手が、足が、シーツの上をもがいて滑る。しかしそれは何の意味も成さず。
「…っ、いや、ル…、」
「――諦めろ。」
そうして再び重ねられた口付けに、ナミの願いは儚く飲み込まれていった。
『Excellent remaining snow.』
パンクハザードの名残雪が降る。
Fin