小説(本文用)
□夢遊
2ページ/3ページ
海賊をやっている者なら知らない人間はいない。むしろ今、ローとの同盟の最中で最も注意しなければならない人物だ。単独接触など決してしていい相手ではない。
「フッフッフッフッフ…! 俺のことは知っているようだなァ?」
動揺を示したナミにドフラミンゴは楽しそうに笑う。その笑みですら、ナミの恐怖心を煽るものでしかない。
「さて、質問に答えてもらおうか?」
「何…よ…。」
「聞いただろう? 雲を作れるのか。雷雲のことじゃねェぞ。アレと同じものだ。」
男が指差した上空には、透き通るような青からやや赤く染まりつつある空に浮かぶ白雲。
日の光を浴びて宝石のようにキラキラと煌めいている。
「……作れ…たら、何だっていうのよ!!」
男が最も望んだその言葉を、ナミは瞬時に後悔した。
ドフラミンゴの口がこれでもかと言う程に大きく弧を描く。
「…フフ、フフフ!! フッフッフッフッフッフッ!!!」
あからさまに上機嫌な声をあげて男は笑う。
この上ない恐怖にナミは戦慄する。しかし身体は動かない。
「お前たちを八つ裂きにして麦わらとローの奴に見せしめてやろうかと思ったが…気が変わった。」
ゆらりと男が近づいてくる。
一歩一歩近づく足音がまるで地獄への案内のようにすら感じた。
「お前を、うちのファミリーに……、いや、」
――俺の生涯の伴侶にしてやるよ。
ナミは自分の耳を疑った。
今、この男は何て言った?
伴侶? 伴侶って…お嫁さん?
誰が? 誰の?
動揺と混乱に琥珀のような瞳が揺らめく。
そんな彼女にも満足そうに笑みを浮かべ、ドフラミンゴはゆっくりと近づいていく。
「いいねェ。……本気で惚れちまう。」
ゆらりと、男の大きな手がナミの頬を撫でた。
サングラスで見えないのに、その奥にある瞳に吸い込まれそうな錯覚に陥る。
(…ル、フィ……、ゾロ……サンジ…く…)
クラクラと脳が揺れるかのように焦点が定まらなくなっていく。
意識が途切れる、ナミはそう感じた。
その時。
「ナミ!!」
「!!?」
突如、一陣の風がドフラミンゴの巨体を弾き飛ばした。
「…チョッパー!?」
「ナミ、背中に乗って!! 逃げるぞ!!」
理解するより早く、ナミはその背中に飛び乗った。
「フッフッフ…!! 三下が邪魔してんじゃねェよ!!」
「!!」
「その女は俺のモノだ! 大人しく寄越しな!」
そうして男が手を振りかざすと、周囲の木や岩がまるで刃物で切られたかのように次々と切断されていく。
「何!? あいつの攻撃…!」
得体の知れない斬撃をチョッパーは野生の本能と勘で避け続けた。
ナミは懸命に斬撃の正体を見極めようとしていた。
刃物らしきものは見当たらない。
(まさか、カマイタチ…!?)
つむじ風が起こす見えない刃か。しかし大気の揺らぎは感じないし、風の技にしては切れ味が鋭すぎる。
「少しでも時間を稼がなきゃ…!」
『天候棒(クリマタクト)』を分割すると、ナミは背後の標的に向けた。
「『ミルキーボール』!!」
ボフッ!と派手な音を立てて辺り一面が白い雲玉に覆われた。
「2、3個じゃ足りないわよね…!」
そう言うとナミは繰り返し技を放って白い膜を作る。
「…フッフッフ! 雲の煙幕か!! これで確定だなァ!!」
ドフラミンゴの嬉々とした言葉を背に受け、ナミはゴクリと唾を呑んだ。だが、今は恐怖に怯えている場合ではない。
相手の視界を遮った次にすることは。
「――ルフィ!! 聞こえる!!?」
電伝虫を取り出すと、真っ先にかけたのはもちろん船長だ。
(お願い、出て。早く出て…!!)
手の中の小さな受話器に向けて、ナミはありったけの願いをぶつける。
『――ナミか!? どうした、うめェもんでも見つけたか!?』
聞こえた仲間の声に突然安堵感が噴き出して、ナミは思わず涙を零した。
『ぬぁ〜〜〜〜みすわあぁ〜〜〜〜〜ん!!! どこにいるの〜!? 俺、寂しくて心が凍結しちゃいそうだよ〜〜〜!!!』
『万年おめでたい頭だな、エロコック。』
『何だとテメェこのクソまりも!!』
『何だやるか!?』
『上等だ! 三枚にオロしてやる!!』
ゾロとサンジも一緒だ。いつもうるさく感じる3人の会話がこんなに嬉しいと感じたことはあっただろうか。
「バカ言ってないで!! お願い! 助けて!!」
『んあ? 助けてって…。』
『どうした、ナミ!?』
『ナミさん、まさか悪い輩にでも襲われてるの…!?』
“悪い輩”で括れる範囲ならどれだけ気が楽なことか。
震える身体に鞭を打ってナミは続けた。
「今、街の東にある森からサニー号に向かってるの!! ドフラミンゴが――…!!」
ザシュッ!
「!!」
「ナミ、どうした!?」
「――ッ、電伝虫がッ…!」
真っ二つに切断された。
目の前に散る破片にナミは言葉を失う。
――フッフッフ、せっかくの遊びに他の奴を招くなんて無粋な真似はよくねェ。
どこからともなく声が聞こえる。
しかし姿は見えない。
ナミの身体を傷つけることなく、手の中の電伝虫だけを狙いすました巧妙さ。
ナミたちの背後に迫りくるは、『ドレスローザ』国王にして、海賊『王下七武海』の称号をもつ男。
その通り名はいくつもあり、“天夜叉”“ジョーカー”“闇の仲介人”。
どの響きを聞いても背筋に寒気が走る。
「ぐああぁ…!!」
「チョッパー!!?」
突如、チョッパーの体から幾筋もの血が噴き出した。
器用にナミの体を避け、チョッパーだけを切り刻む。バランスを崩した彼はそのまま地面に倒れこんだ。反動でナミも投げ出される。
「…! チョッパー! チョッパー!!」
「……な、ナミ…」
「しっかりして! もうすぐルフィたちが来てくれるから!!」
「……ダメだ…。逃げろ…、ナミ……」
「いやよっ! アンタを置いて行けるわけないでしょ!!」
「あいつの……狙いは、ナミだ…! ナミが捕まったら……、おれ、みんなに合わせる顔がないよ…!」
血塗れになりながら必死で誘導するチョッパーの気持ちはよく分かる。
だが目の前の重傷の仲間を放って自分だけ逃げるなどどうしてできようか。
「フッフッフ…、鬼ごっこは終わりか?」
「!!」
ハッと後ろを振り返れば、薄くなった白雲の向こうに男の影が見て取れた。
(まずいわ、このままじゃ…!)
ルフィたちが来る前に追いつかれる。
ナミは咄嗟に『天候棒(クリマタクト)』を構えた。
「『蜃気楼(ミラージュ)=テンポ』!!」
ぐにゃりと大気の層を歪め、光の屈折を捻じ曲げる。身を隠すには最も有効な手段だ。
「…あン? この辺から音がしたと思ったが…どこに行った?」
予想していた場所に目的の姿を見つけられず、ドフラミンゴは怪訝そうな表情を浮かべる。
実際、彼とナミたちの距離は五メートルと離れていない。
「………。」
(…お願い! このまま気付かないで…!!)
男の表情からは何を考えているか計り知れないが、今はとにかく、この状況から一刻も早く脱したい。
相手の視界から消えたまま、ナミは木陰に身を潜めて祈るような思いで息を殺し続けた。