小説(本文用)

□The occurrence of midnight.
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その存在はよく耳にするが、実際に本人を目の前にするのは初めてだった。
新聞では何度か写真が載っていたから顔は知っている。だが実際に本人を目の前にすると想像以上だ。“鷹の目”の異名に相応しい凛とした気配と金色の瞳は、まさに獲物を狩る猛禽(もうきん)の如し。

「騒がしいのは好みではない。これ以上煩(うるさ)くするというなら主の命はない。」

ナミのすぐ傍で黒刀が鳴く。
小さくも透き通るような鍔(つば)鳴りは針のように耳に突き刺さる。
『主』の中に自分は含まれているのだろうか。ナミの表情からは一気に血の気が引いた。

(巻き添えなんて冗談じゃないわよ…!!)

勝手に絡んできたのはカポネの方で、勝手に煩くしていたのもこの男だ。それのとばっちりを喰うなんて冗談ではない。
それは事実であるはずなのにナミは微動だにできなかった。
僅かにでも動けば漆黒の刃が一瞬にして自分を切り刻むような錯覚を覚えたから。

「…“鷹の目”が相手とは分が悪い。今回は運がなかったと諦めよう。」

さすがのカポネも大人しく引き下がるしかないようだった。
意識のある部下たちに命令して、気を飛ばした者たちを連れてカポネは店から出て行った。その後ろについて店を出ていきたい、とナミは思ったが身体はピクリとも動かせない。

「………。」

呆気なく訪れた終止符と、竦(すく)んだ身体と、追いつかない思考。
どのくらいか分からないが、カポネが出て行った扉をしばし呆然と見ていた。

キンッ

「…っ。」

刀の鳴き声にナミは意識を引き戻された。
反射的に振り返れば、すでに“鷹の目”は何事もなかったかのように元の席に座していた。
円柱型のロックグラスには球体の氷と茶色の酒。
周りとは違う気配を纏いながらも静かに佇むその様にナミは理解した。
…きっと、いや間違いなく、自分は助けられたのだ。

「あ、あの…。」

何をされるか分からなかったが、海賊である前に1人の人間。窮地を救われて礼を述べないワケにはいかない。

「…た、助かったわ。ありがとう。」
「…“泥棒猫”だな。麦わらの。」
「え、ええ…。」

通り名を知られていることでビクリと心臓が跳ねた。ルフィやゾロならともかく、自分のような少額の賞金首のことを『王下七武海』が記憶しているとは思わなかった。

「主のためではない。酒が不味くなるからだ。」
「でも、結果的に助けられたわ。」
「主がそう思いたければそう思うがいい。」
「…私のこと、捕まえないの? 賞金首よ。」

世界政府公認の海賊だ。懸賞金の大小に限らず把握しているのかもしれない。
特にルフィは二年前、エースを助けるために白ひげと共に海軍相手に戦っている。そういった意味で、一味全員が目を付けられたのかもしれない。
世界政府公認の海賊『王下七武海』は他の海賊を拿捕(だほ)できる権利を有している。
しかし、その称号を担う目の前の男が発したのは意外な言葉だった。

「…主の首にかかった金に興味はない。」
「き、興味ないって…。」
「主を海軍に引き渡すことは容易い。だがそれをしたところで俺には何のメリットもない。」
「………。」
「それとも主は海軍に引き渡してほしいのか?」
「そ、そんなワケないでしょ!」

誰が進んで『海軍に連れて行ってください』という海賊がいるのか。いるとすれば余程海賊生活に疲れた者だろう。
生憎と、今の生活を大いに堪能しているナミには願い下げもいいところだ。

「…そこまで言うならもう何も言わないわ。助けてくれたことは、本当に感謝してる。ありがとう。」
「待て。」

居心地の悪いこの場からさっさとおさらばしようと思ったのに、間髪入れず呼び止められてしまった。

「助けられたと思っているなら礼をすべきだろう。」
「………へっ…?」

何とも間抜けな声が出てしまった。

「酒のひとつでも貰おうか。海賊同士にも道理はあろう。」
「…え、ええ! それなら容易いご用よ!」

何を言われるかと思ったが、お酒ひとつで事足りるなら安いものだ。普段はお金の管理に厳しいナミも快く承諾した。
ナミは店のマスターに上質な酒を注文するとそそくさと荷物をまとめて店を出ようとした、…のだが。

「どこへ行く。」
「きゃっ!?」

突如腕を掴まれて、反動でバランスを崩した。持っていた荷物が木の幹を離れた果実のように床に落ちる。

「な、ちょ…!」

振り返れば鷹の眼光の如く鋭い目付きで見下ろされていた。
思わず言葉も飲み込む。

「酌も忘れるな。」

男の力に敵うわけもなくズルズルと引き戻される。
ミホークは元いた席に座ると、空いていた隣の席にナミを促した。
店にいた客はカポネ一味がほとんどだったようで、それ以外の客も先ほどの騒ぎに乗じて店から出て行ったらしい。

(…私ってラッキーなのかしら? アンラッキーなのかしら…?)

『王下七武海』には捕えられこそすれ、命を助けられたうえにタイマンでお酒を飲むなんて夢にも思わなかった。
パンクハザードでローと宴をしたが、あれはルフィの仕切りでもあったし同盟を結んだ間でもあることだ。だが、この場はどう足掻いたところでいい方向へは向かわないだろう。
ふう…、と諦めたかのように一息吐くとナミは指示されたとおりに腰を下ろして新しく酒を注文した。

「ねえ、“鷹の目”さん。」
「………。」
「どうしてここにいるの? 私たちを追いかけてきた…ってワケじゃないでしょ?」
「………。」
「偶然…なのかしら。それとも何か目的があって?」
「………。」
「ねえ、ちょっと聞いてるの?」

質問を投げかけても答えない、無言で酒を飲み続ける男にナミは眉をしかめる。

「…ミホークだ。」
「え?」

ややあってコトリとグラスを置いた男は、第一声をそう放った。

「…俺の名を知らぬか。」
「…知ってるけど。」
「ならそう呼べ。それ以外は許さぬ。」
「………。」

沈黙。
何を言われているのか脳内の処理が追いつかずにナミは言葉を失っていた。

「…ミホークさん?」
「“さん”はいらぬ。」
「………ミホーク。」
「なんだ。」

やっと答えてくれた。そのことに少し安堵しつつ、ナミは続けた。

「さっきの質問に答えてもらえるかしら?」
「…この島には目的があってきた。」
「やっぱり。じゃあ偶然だったのね。」
「…ロロノアは健在か?」
「え? ゾロ?」

そういえば、とナミはいつかの夜を思い出した。
月の綺麗なその日、ナミはゾロと2人で酒を酌み交わしていた。二年間、お互いどういう状況にあったのかが話題の中心となりその時にミホークのことも出た。

「…ええ。相変わらず方向音痴だけど。」
「そこは変わってないのか。俺の元にいた時も屋敷を出てはよく森で迷っていた。」
「『ヒヒたちが襲ってくるから方向感覚を見失うんだ』って言ってたわ。」
「くだらぬ言い訳だ。」
「そうよね。」

マスターから新しく渡された極上のワインを手に、男のグラスに注いでいく。
ダウンライトで仄かに照らされている店内はより情緒的な雰囲気を醸し出していて、恋人たちがデートするにはピッタリのシチュエーションだ。
もっとも先ほどの騒ぎ以降、唯一の客となったナミにはデートなどという気はさらさら持ち合わせていないが。

「主のことはよく聞いている。」
「え?」
「ロロノアと酒を飲んでいるときに話していた。自分のこと、麦わらの一味のこと、そして主のこと。」
「ゾロが…?」
「奴は俺の元で二年間剣の腕を磨いた。そのときに絶えず麦わらの一味のことを、そして主のことを語った。特に航海士としての腕はずば抜けていると。」
「…当然じゃない。」

カタン、とナミはグラスを置いた。少しだけ、力を込めて。
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