小説(拍手用)

□Incurable illness.(治療)
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全くの予想外の人物の登場に、ナミは胸の苦しさも忘れていた。目深に被られた帽子から僅かに見える鋭い眼光がナミを射抜く。
通常なら危機感が先立つところではあるが今は驚きの方が先行していた。そんなナミを察してか、目の前の男から再びククク…と笑いが漏れる。

「お前のとこの船医に手紙をもらってな。」
「チョッパー、が…?」
「ああ。お前が何かの病気なんじゃないか、原因が分からねえから俺に手伝ってほしいとな。」
「…それにしたって随分と早い到着ね?」
「たまたま俺たちもこの島の近くにいたもんでな。」

近くにいたのは偶然としても自分を治療しに来てくれたとは俄(にわ)かに信じがたいのだ。現に男は目の前に立ったまま、特に何かをする動きは見せなかった。ただその冷徹な瞳でナミを見下ろしている。

「………。」
「………。」
「………。」
「…何もしないなら、あっち行ってくれない?」

遠慮する気はなかったが、この雰囲気の中、このまま2人きりではいたくなくてナミは誘導してみる。
そう言うナミをさもおかしそうに声を押し殺して男はまた笑う。

「何がおかしいのよ!」
「用があるも何も、お前のとこの船医に頼まれたと言ったろう。」
「…そう言って、アンタ何もしてないじゃない。」
「医術的なことはする必要がねえからな。だが、お前の抱える苦しみは俺じゃなきゃ治せねえ。」

だから引き受けて取りあえず様子を見に来てみた、と隈の濃い目で自分を見据えニヤリと口角を上げたローに、苛立ちと少しの恐怖を感じた。

「しかしまあ…まさかと思ったが本当にそうだとはな。」
「…何のことよ。」
「気付いてねえのか。まあ気付いてるなら船医も手を焼いたりしねえよな。」
「…だから何なのよ。」

問いかけても男は答えらしい言葉を発してはくれない。
何もかも見透かしたような言動がシャクに感じる。

「…せっかくだけど今はひとりになりたいの。」
「そうか。それなら俺は街に戻らせてもらう。」
「え…?」
「死に関わるようなものじゃねえから急ぐ必要もねえ。お前のとこの船医にもそう伝えろ。」

ドクリ、と心臓が波打つ。
ナミは思わず胸に手を当てた。

「とりあえずは腹ごしらえだな…。それが終わったら女でも買って発散するか。」
「………え…?」
「ログが溜まるのもまだ数日かかる。久しぶりに思う存分ヤるのもいい。」

一般人の男なら女相手に決して発することはない、発してはならないことを次々に吐き出す。
海賊ならば一般常識を当てはめることが間違いなのだ、分かっていてもナミは言葉に詰まる。
ブラウンの瞳が大きく揺れ、動揺の色がありありと見てとれる。ローはそんなナミの様子に気づかぬ振りをして背を向けた。

「あっ、ちょ…。」

言って思わずナミはハッとする。
声をかけたところで何をどうできるわけでもないのだ。自分にローの行動を制限する権利はない。
彼が誰と話そうが。
何を食べようが。
――誰と、関係を持とうが…。

「……っ!」

ギュッと心臓が苦しくなり、思わず唇を噛み締めた。忘れていた胸の苦しみがより強くなって彼女を縛る。
訳の分からぬ感情が身体中を駆け巡り、思わず涙が零れそうになるのを必死で堪える。

「…実際は俺に会いたくてたまらなかっただろう?」
「!?」

不意に影が落ち、傍から聞こえた声に思わず顔を上げる。
さっきまで数メートルあったはずの男との距離が僅か十数センチまで詰まっていた。

「…いい加減気づけ。」
「…やっ…!」

思わず反射的に逃れようとしたナミの腰を抱き、グッと自分に引き寄せる。

「離して…!」
「いいのか? 俺が街で女と寝ても?」

そう言われた瞬間、ナミの身体が硬直した。
目の前の男のダークグレーの瞳が自分を射抜く。それに捕えられたように目が離せない。

「このままだとお前の苦しみは絶対に治らねえ。むしろ増す一方だ。」
「…な、によ…。アンタに何がわかるのよ…。」
「わかるさ。言っただろう? 俺じゃなきゃ治せねえってな。」

楽しそうに歪める口は、苦しむ相手をもっと見たいと言わんばかりに怪しく笑う。
スゥッと目を細め、自分を見つめるナミの頬をスルリと撫でる。
その瞬間、ハッと我を取り戻したナミは本能に従って男の腕を振りほどいた。
同盟とか相手方の船長だとか能力者だとかそんなことも忘れ、間合いを取る。

「…街でも海でもどこでも行けばいいわ。」
「お前が構わねえならそうするさ。だが苦しみに歪む女の表情ほどいい前菜はねえ。もっと拝ませてもらわねえとな。」

ナミはすぐに『天候棒(クリマタクト)』を取り出した。
それに気付いた男が僅かに眉を顰(しか)める。

「…俺と戦(や)るつもりか?」

正直実力で敵うなんて微塵も思っていないが、狂気に満ちた男とこれ以上一緒にいたら何をされるか分かったものではない。
自分の苦しむ顔を見るために得体の知れない何かをされるのは御免被(ごめんこうむ)る。
この丘から見える風景は名残惜しいが、それ以上にローから離れなければ、と思った。

「アンタがどっか行ってくれないなら私が離れるわ。」
「…俺から逃げられると思っているのか。」
「勝負では勝てないけど、逃げるのは分からないじゃない。」

自分だって懸賞金四億の船長率いる海賊団の一員なのだ。相手が億超えとはいえ、男ひとりから逃げられないなんて笑い話もいいところ。

「“姿の見えない相手”をアンタはどうやって追いかけるのかしら…?」
「…なに?」

ローが返事するのが早いか、ナミは口元を歪めると『天候棒』をスー…っと動かす。
途端にその軌跡に沿って『蜃気楼』が発生する。

「…っ!?」

目の前の男の目の僅かだが同様の色が見えた。
当然だ。何の前触れもなく相手の姿が消えていくのだから。
最も本当に消えているのではなく、大気の密度と光の屈折を利用して“見えているもの”を変えているだけ。

「じゃあね、ハートの船長さん?」

言葉で別れを告げたが、ナミはここから動かない。
下手に動いて気配を悟られたり、足音で感づかれるのも困るが、狙いはローが消えたナミに焦って自らの足でここから離れるのを待つこと。
そうすればこの景色だって譲らなくてもいいではないか。まさに一石二鳥。
そして思惑通り、先程まで満ち満ちていた余裕の笑みは消えてトラ男が背を向けて歩き始めた。

(――どうやら私の勝ちね!)

しかしそんなナミの思いは一瞬の間でしかなく、再びトラ男がこちらを振り返った。
“死”が刻まれた指が僅かに動いたかと思うと、彼女の目の前に漆黒の刀が突き付けられた。

「!?」

あまりの出来事に一瞬息をするのも忘れた。
抜き身でこそないものの、目の前に向けられた刀に身動きができない。

「…俺に下手な小細工は通用しねえ。バラされたくなきゃ姿を現せ。」

刀のラインに沿ってローの視線も真っ直ぐにナミを射る。
ゴクリ、と唾液が渇いた喉を通った。

「5つ数える。それまでに姿を見せなければバラす。…5…。」
「ちょっ…!」

思わず声を出してしまったナミ。
しかし気づいた時には後の祭りで、ローはニヤリと口元を歪めた。

「…4…、3…、2…。」
「……!!」

本気でマズイ。
ナミは本能でそう感じた。

「…1…。」
「わ、わかったわよ!!」

半ばヤケクソのように叫び、再び『天候棒』を振るった。
軌跡に沿って先程とは逆に姿が現れていく。
ローがニヤリと口元を歪めるのを見てナミはバツが悪そうに視線を背けた。あれだけ息巻いて挑発したのに、結局自分はこの男から逃げられなかったのだ。
いくら『王下七武海』とはいえ、いくら懸賞金億越えとはいえ、たったひとりの男からすら逃げられない自分がこの上なく情けなく感じた。

「…これでいいでしょっ…!?」

言い終わるや否や、ローはナミの腕をグイッと自分の方へ引き寄せた。
バランスを崩したナミはそのまま男の腕の中に倒れ込むように抱き締められる。

「ちょ…! 一体何す…!?」

抗議の声を上げた瞬間、頬に添えられた男の手が顔を上に導き、口が塞がれて言葉が呑み込まれる。
何が起こったのか咄嗟に理解できず、目を白黒させていたナミだったが、ヌルリと生暖かいものが自分の口内に侵入してきたのを感じて思わず身を引こうとした。
しかし身体に回されたローの腕がそれを許さず、ナミの舌を執拗に追い求める。

「…んっ…! んん…!!」

閉じようとする口は男の手にしっかりと押さえられて動かない。
好き勝手に中を蹂躙する男の舌に息苦しさを感じ、ナミは生理的に涙を流した。胸を叩いて解放を要求するも受け入れられない。

「…はっ…、ふぅ……うくっ…。」

意識にフィルターがかかり、目に入る景色全てが霞んだ頃、チュッ、と可愛らしい音を立て唇が離れ、ようやく待ち望んだ酸素を取り入れることができた。

「はあっ! …はっ……はぁ…はぁ…。」

大きく肩で息をしながら、ナミは目に涙を溜めてローを睨みつける。
そんな彼女の怒りも意に介さぬようにローは涼しげな笑みを浮かべて受け流した。

「…なんの、つもりよ…!」
「お前の度胸に敬意を表して、治療してやるよ。」
「…はっ…? んぅ…っ!」

まだ理解の追い付かない彼女を待つまでもなくローは再び口付ける。
逃げる舌を絡ませ、何度も角度を変え、時に深く、そして浅く。
男の言った言葉と今自分の身に起こっていることが全く結びつかずナミはますます混乱した。

治療?
何が?
キスが??
とうとうコイツ頭おかしくなったの?
それとも元からおかしいのかしら?

そんなことをぼんやり考えていると再び酸素が取り込める状態になった。
ローは不機嫌な色を宿した目でナミを見据える。

「…テメェ、今失礼なこと連発しただろう。」
「う゛…。」

読心術が如くストレートに心を読まれ、ナミは思わず動揺を示した。
呆れたように息をひとつ吐きながら、しかしローは再びその顔をナミに近づけた。

「ちょ…! ちょっと近い…!」

抵抗するナミを気にするでもなく、その華奢な身体をグッと力を込めて抱きしめた。

「…苦しさ、なくなったろう?」
「…え?」

そう言われれば、とナミは気づく。
あれだけ苦しかった胸の痛みがない。まあこの男に翻弄されてそれを気にしている暇がなかったと言えばそうだが、キスされて、さらには抱き締められていることでドキドキと心臓が早鐘のように鳴る。
それは苦しい動悸ではない。むしろ心地いいと感じるが…これを目の前の男に知られてはいけない、とナミは思った。

「…これがお前の病名の答えだ。」
「…はあ?」
「昔、こういう言い伝えを聞いたことがある。」

唐突に話し出したローに戸惑いながらも、自分の病気が分かったのならとそれを聞かぬ理由はない。

「…“どんなに優れた技術を持つ医者も、どんな病気にも効く薬も、どんなにいい効能をもつ湯も治せない。”」
「ちょ、ちょっとそれって不治の病ってこと!? イヤよ!! まだまだやりたいことはたくさんあるのに!!」

全くもって冗談ではない! 買い物したり! 美味しい物食べたり! 山のような綺麗な宝石に囲まれて寝転がってみたり!!
それに何より、ルフィを海賊王に導かなければならないのだ。ようやく来た『偉大なる航路(グランドライン)』後半の出だしで躓(つまづ)くなんて冗談ではない。

「…ウソでしょ…!」

叫び出したい思いと、一気に押し寄せた不安と、死ぬかもしれないことへの恐怖と、いろいろな感情がナミの中でゴチャゴチャに混ざって言葉を失わせた。
その代わりのように、大きく開かれた瞳から先ほどとな意味の違う大粒の涙が零れ落ちる。

「………!」

敵の船長の前で泣くなどと思わず恥じた。必死で止めるために思考を変えようとしたが、深く入り込んだ感情はなかなか消えてはくれない。
どれだけ手で拭っても止まることのない涙。
何度目かのそれを拭おうとしたとき、不意に強い力で手を掴まれた。
驚いて顔を上げると目の前には険しい顔をしたローがいる。
ローは濡れる彼女の目元に唇を寄せてそっとキスを落とす。零れた雫を優しく舐め取り、その動作を何度か繰り返してナミを落ち着かせていく。

「…人の話は最後まで聞け。」
「………。」
「お前の抱えているのは確かに“不治の病”だ。どんなに優れた医者でも手に負えねえ。薬もねえ。抜群の効能を持つ湯も効かねえ…。だが、コイツには特効薬が必ず存在するんだ。」
「………っ、ホント…?。」
「――どんな手段をもってしても、“恋する心”は治せない…ってな。」
「………はっ…。」

唖然とするナミに、意地悪な笑みを携えたままナミの耳元で言葉を囁いた。

「…お前の抱える苦しみの特効薬は、ただひとつ…。」

そう言って、ローは微動だにできずにいるナミの唇に優しく己のそれを重ねた。





『Incurable illness.(治療)』

特効薬は、元懸賞金四億四千万の男。



Fin

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