小説(拍手用)

□白銀の刃が守るもの
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天気のいい日に甲板に出て、ふと視界に入ったのは三本の刀がトレードマークの剣士。
みかん畑の縁に座りながらナミはじっとその姿を目で追っていた。
いつもは寝ていることが多い麦わら海賊団の隻眼剣士が珍しく起きているのだ。
だから声をかけたのもほとんど興味本位というか、特段用があったわけではない。

「何してんの、ゾロ?」
「おう、ナミか。」

彼女の質問に対して返ってきたのは答えではない。
しかし答えを聞く必要もなかった。
みかん畑からではゾロの背中で見えなかった部分が、距離が近づいたことでクリアとなり、それが答えになっていたからだ。

「…刀の手入れ?」
「ああ。」

彼の手元で輝くのは『黒刀・秋水』。
彼(か)のサムライ・リューマ(正しくはゾンビだが)からもらったという漆黒の刃。
本当に手入れが必要なのかと思うくらい、深く黒い輝きを纏(まと)っている。

「それ、手入れがいるの? 必要ないんじゃない?」
「刀身が黒いからそう思うだけだ。見た目じゃなくて定期的に調整してやんねえと切れるモンも切れなくなっちまう。」

そう言われても刀の知識がないナミは「ふーん」と返事をする他なかった。
そんな彼女を余所にゾロは淡々と作業をこなしていく。
口に挟んでいた懐紙を、柄(つか)などがすでに外されて刀身のみとなっている『秋水』に当ててゆっくりと、優しく撫でるように滑らす。
動きを何度か繰り返すことで、白かった紙に徐々に汚れが付着していくのがわかった。さっきゾロが言った通りだ。

「…見てても面白くねえだろ。」
「そんなことないわよ。」

面白くはないが、まったく退屈というわけでもない。
それにゾロの手つきを見ていると意外と自分でもできるのではないかという何の根拠もない考えが頭を過ぎる。

「ねえ、ゾロ。」
「あん?」
「私にもやらせてよ。」
「…はあ?」

ゾロが『秋水』を鞘(さや)に収めたのを確認して言ってみた。
もちろん興味本位だ。

「ダメだ。」
「何でよ。ちょっとくらいいいじゃない。」
「バカ。何も知らない素人がやったところでケガするだけだ。」
「難しいの? そうは見えないけど。」
「当たり前だ。難しいように見える刀の手入れの仕方なんてする奴には、刀を扱う資格なんてねえ。」

何となく棘のある言い方が気に食わなくてナミはムッと眉を顰(ひそ)める。
そんな彼女を気にせず、ゾロは最後の刀を手に取った。

「じゃあ、アンタが教えてよ。」
「あ…?」
「アンタが指導してくれれば文句ないでしょ?」

知らないことをするなら知っている人に教えてもらえばいいのだ。
子供が親にいろいろ教えてもらうのと同じように。

「それとも、未来の大剣豪さんはそんなこともできないのかしら?」
「…てめぇ…。」

挑発的に皮肉を込めればこの男が乗ってくるなんてナミには百も承知だった。
事実ゾロは「そこまで言うなら仕方ねえ」とまんまとハマってくれた。

「ただし絶対に俺の言うとおりにしろ。そうじゃねえと確実にケガ、下手すると指とか切断することになるからな。」
「はいはい、わかったわよ。」

怪訝そうに見るゾロに対してナミは承諾の返事をする。
扱う物が物なのでこれにはナミも素直に従うつもりだ。誰だってケガするのはゴメンだし、指が切られるなんて論外だ。

「途中だけ手伝わせてやる。それ以外はマジで危ねえから俺がやる。」
「はーい。」
「じゃあそこに座ってろ。」

大人しくナミが指示に従ったことを確認すると、ゾロは三本目の刀を先程と同様慣れた手つきで刀身を取り出す。
「よし…」と呟いたかとおもむろに立ち上がり、そのままナミの背後に座りこんだ。

「え? ちょっと…?」

意図がわからず困惑するナミを余所に、ゾロは背後から刀身をナミの前に差し出す。
そのままナミの手を掴んだかと思うと刀に沿わせ、その上から自分の手を重ねるようにして手入れを再開した。

「下手に動かすなよ。間違えると自分の手を切るぞ。」
「う、うん…。」

全くの予定外だった。まさか自分の背中から抱かれるようにして教えてもらうことになるとは。
てっきり正面から向かい合うものだとばかり思っていた。
そんなナミの心情など知る由もなく、ゾロのはゆっくりと目の前の刀を手入れしていく。

(…こ、こんなにゾロと密着することなんてほとんどないのに…!)

嬉しくも恥ずかしい状態に、ナミは自分の心臓の音が聞こえやしないかと気が気でならない。

「…おい。」
「えっ!?」

真後ろからの男の声にビクリと肩を竦(すく)めるナミ。
まさか音が聞こえたのだろうか。
どう言い訳しようか。

「…何考えてるか知らねえがちゃんと集中しろ。本気でケガするぞ。」
「…ご、ごめん…。」

確かに他のことを考えていて意識が散漫だったナミは素直に謝った。
うるさい心臓を何とか宥(なだ)めながら後ろにいる男の指示に従う。
そうして作業を進めていくうちに、ゾロの言ったとおり、見た目は簡単そうに見えたことが如何に危険と隣り合わせなのか実感できた。
何も知らない素人が勝手にやれば失うのは指だけでは済まないかもしれない。

(…そういえばこの刀って…。)

ナミがゾロと初めて会ったときからずっと一緒にあったものだ。
確か『和道一文字』。
前に一緒に飲んだときに話をしたことがある。親友の形見だと。
ゾロより少し年上だった女の子。ゾロが目指していた目標で、不幸な事故で亡くなってしまったと。

(その子が残した、唯一の…。)

そう考えるとナミはキュッと心が痛む思いがした。
思わず唇を噛み締めて気を逸らそうとする。

(バカみたい…。何年も前の、それも幼い子供に嫉妬するなんて…。)

自分の大人げなさに呆れる心と、それでもこの刀がゾロの常に傍にあって、共に闘っていると考えるとどうしようもない悲しみがナミの心を支配する。
懐紙が刀の上を往復するたびに曇りが取れていき、鈍色の刃に映る自分と、そのすぐ傍にいる剣士の姿に意識せずとも頬が染まるのがわかる。
しかしそれも一瞬、刀越しに見えるゾロの表情はいつもとどこか違って憂いを帯びているようにさえ感じる。

(この刀を手入れするときは、いつもそんな顔をするの…?)

亡くなった人物は人の心の中で思い出となり、その姿は絶対的なものとなる。
ナミにとってのベルメールがそうであるように、ゾロにとってその子は誰にも侵略されない存在のはずだ。

「………っ!」

零れそうになる涙を必死で堪(こら)えた。
今ここで泣くなんて場違いもいいところだ。

「おい、どうした?」
「!?」

手を止めてゾロが声をかけてきた。
ビクリとナミは肩を跳ねる。

「ど、どうって?」
「震えてるぞ。何かあったか?」
「だ、大丈夫よ。」
「ウソつけ。刀を前にして怖くなったのかよ。」
「ち、違うわ! 何でもないから!」
「…まさかケガしたのか? 見せてみろ。」
「本当に何でもないったら!! そ、それより早く手入れの続きを…!?」

まさか涙目の顔を見せるワケにいかないナミは何とかゾロの意識を刀に戻そうと叫ぶ。
しかしゾロはそのまま片手でナミの両手を掴み、もう片方で腕ごとナミの身体を抱きしめた。

「ゾ、ゾロ…!? 何して…!」
「じゃあどうして泣いてんだよ…。」
「…!?」

顔が見えていないはずなのに言い当てられてナミは身体を硬直させた。
それは肯定をゾロに伝えたことにもなり、彼女の耳元でため息が聞こえる。

「刀に顔が映ってんだ。当然だろ。」

そう言われてハッと気づく。
そうだ、自分がゾロを刀越しに見ていればゾロだって自分を見えるはずだ。そんなことに気づくこともできないほど動揺していたのか。

「…で、何を泣いてんだ?」

もう一度同じ質問をされ、ナミは口を噤(つぐ)んだ。
まさか亡くなった小さな女の子に嫉妬したなんて死んでも言いたくない。言ったところで呆れられるのが目に見えている。
かと言って上手い言い訳も考え付かず言葉が出せない。
ナミの返答を待っていたゾロが思案気な表情を浮かべた後沈黙を破った。

「…くいなのことか?」

再びナミはビクリと肩を震わせた。
この男は読心術でもできるのだろうか。

「…図星だな。」
「やっ…! 違ッ…!」

慌てて否定しようと身体を捩(よじ)ったとき、その反動を利用されてクルリと身体が回転し、正面からゾロと向き合う状態にされた。

「違わねえだろ。」
「…っ!!」
「くいなのことで泣いてんだろ?」

後頭部と顎を固定されてゾロの顔を正面で、しかも至近距離で見つめることになる。
いつの間に手放したのか、手入れしていたはずの刀身は芝生の上に鎮座していた。
顎に添えていた手を頬に滑らせ、溢れる涙をそっと拭うゾロ。

「…お前がくいなをどう思っているか知らねえ。でも俺にとって、くいなはガキの頃の目標だった。」

そう語る剣豪は、恐ろしいくらい優しくて、切なくて、憂いた目をしていて。
そんな目を見てしまったナミは押さえていた心が叫ぶように「あんたが…」と言葉を絞った。

「…あんたが、この刀を傍に置いているって考えたら…苦しくて…。」
「……あ?」
「…いつも一緒に戦っている、今日みたいな表情で…いつも手入れしている…私なんて入り込む隙間なんてないんだって…。」
「………。」
「そう考えたら…心臓が握り潰されそうな感じがして…。」
「………。」
「亡くなった人を悪く言うつもりなんて毛頭ないけど…。敵わないんだって考えたら…自分が情けなくて…みじめで…。」
「………。」
「だから、…だから、私っ…!?」

静かに自分の言葉を聞き続けるゾロに対して紡いできた言葉だったが、不意にその続きを話すことができなくなった。
唇に感じる、少しカサカサした、力強くも優しく柔らかい感触。
至近距離にあった男の顔がさらに近づいて、近づきすぎてその輪郭さえ捉えることが敵わない。

「……!!?」

何が起こったのか分からなかった頭が次第に整理され、現状を理解した。

キスされている、と。

その事実を受け止めた瞬間、思わず叩いてやろうと振り上げた右手は意図も簡単に捕えられた。
そしてゆっくりと唇の感触が離れていく。

「な…に、して…!!」
「くいなはそんなんじゃねえよ。」

ゾロがポツリと漏らした言葉にナミは言葉を止める。
まだ涙目で潤ませている彼女の目元に唇を寄せる。

「ゾロ…?」
「お前が思うような感情をくいなには持ってない。俺にとってくいなはガキの頃の目標で…道場の先生の娘で…約束を交わした親友だ。」

それは前に酒の席で聞いた話だ。
それを叶えるためには『王下七武海』ジュラキュール・ミホークという最大の壁が立ち塞がるというのに。

「俺がいつか『鷹の目』を倒して世界一の大剣豪になったら、くいなの墓参りに行く。」
「……そう…。」
「その時は、お前も一緒に来てほしい。」
「え…?」

思ってもみない言葉にナミはゾロを振り返った。
片目の剣士は強い目で真っ直ぐに自分を見てくる。

「ルフィと出会う前、あいつの墓前に誓った約束を守ったとき、その報告と一緒に今度はこれから守っていくものをあいつに誓う。」
「…それで、何で私が一緒に行く必要があるのよ?」
「守るもんがどんな奴なのか分からねえと、あいつだって納得しねえだろうよ。」

ようやく涙の止まった目がパチパチと瞬いた。
ゾロはバツが悪そうに視線を反らすがその表情は耳まで赤くなるほどだ。

「それって…どういう…。」
「言葉以上の意味は今は言わねえ。」

まだその時期じゃねえからな。
そう言ってゾロは再びナミの身体を半回転させ、最初の状態に座り直させた。

「この話はここまでだ。手入れの続きをするぞ。」
「う、うん…。」

結局真意が分からないまま、上手く交わされたような何となくスッキリしない感じがするナミ。
でもさっきと比べると心は明らかに穏やかで、妙に軽くなった気がした。
太陽の光を反射する刃を再び手に取り手入れを再開する。
不思議と、今度はすんなりその刃を見ることができた。もう涙は出ない。

「あ…。」
「どうした? また何かあんのか?」
「…ううん。違うの。」

その言葉通り、刀身に映るナミの顔は朗らかに微笑んでいる。
「続けるぞ」とゾロの動きに合わせてナミも手を動かす。
自分でも驚くくらいに優しさに満ちた表情で“彼女”はナミとゾロを見ている。

(…ありがとう…。そして、ごめんなさい…。)

そんなナミの心が分かったのか、光る刃の中で“彼女”が確かに笑った気がした。





『白銀(しろがね)の刃が守るもの』

それは“彼女”が認めた使い手と、その想い人。



Fin

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