小説(拍手用)

□傍にいる
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…ない!
ない、ない、ない!!

「なぁーーーーい!!!」

大海原を優雅に走るサウザンド・サニー号に、突如として絶叫が響き渡った。

「何だぁ、今の!?」
「敵襲か!?」
「おうおうおう! 何だってんだ一体!?」
「何事かしら?」
「ヨホホホホ! どうしたことでしょうか。」

平穏を破るその響きに麦わら海賊団のクルーたちが次々に甲板に現れる。
普段は静か…とは言い難いが、それでも悲鳴に近い声が上がることはまずもってない。だからこそ事態が飲み込めないクルーたちは揃いも揃って姿を見せた。
そして彼等の視線の先にはこの船の先導を手掛ける航海士が、緑の芝生の上でへたり込んでいた。

「どうしたんだよ、ナミ?」

ルフィの声にゆっくりと振り返ったナミは、大きな瞳にじんわりと涙を滲ませ、ギュッと唇を噛み締めていた。

「んな!? ナミすゎんどうしたの!? 誰が泣かせたんだ!? 俺がそいつを蹴り飛ばしてや…むぐっ!!」
「落ち着いてサンジ。ナミ、どうしたの?」

そっと近寄りナミの肩に手を置いて優しく語るように問うロビン。
事態を先走った“黒足”は自身の肩から咲いた両腕によって口を塞がれ、「むぐむぐ」と声ならぬ声を発している。

「…ない、の…。」
「え?」
「ないのよ…。」

これ以上ないくらいに肩を落としているナミの頭上にはまるで今にも雨が降り出しそうな色濃い雨雲がどんよりと立ち込めているよう。
しかし状況が理解できない麦わらのクルーたちは首を傾(かし)げる。その後ろでただひとり、サンジだけがようやく解放されて空気を思いきり吸い込んだ。

「何がないの?」
「……リング…。」
「リング?」

言葉なくナミが縦に頷くと、彼女はそっと自身の左手をロビンの前に差し出す。

「…いつも、ログポースと一緒に付けてたの…。ノジコからもらったリング…。肌身離さず付けてたのに…。」
「ノジコ?」
「ナミの姉ちゃんだよ。ココヤシ村にいる。」

ウソップがナミの故郷のことを説明し、『偉大なる航路(グランドライン)』に入ってから仲間となったチョッパーたちがようやく事を理解できた。

「なるほど、そのリングを失くしちまったっつーワケか。」
「ヨホホホ。それは困りましたね。」
「笑い事じゃねえぞブルック! あの麗しいお姉さまからの大事なリングを失くしたナミさんの気持ちを考えて言葉を紡いでやるのが紳士たる男の…むぐぐっ!!」
「ナイス、ロビン。…サンジ、お前少し黙ってた方がいいぞ。」

また口を塞がれてもがくサンジの肩をポンポンと呆れたようにウソップは叩いた。

「それで、ナミ。失くしたのはいつだ?」
「………。」

ゾロが訪ねるも、ナミは弱々しく首を横に振る。

「…さっき、気付いたらなくなってて…。昨日までは確かにあったのに…。」
「サニー号のどっかにあるんじゃねえのか? アクアリウムとか、みかん畑とか。」
「…思い当たるところは全部探したけど…。」
「じゃあ先日立ち寄った町で忘れてきたのかしら?」
「町でもずっと付けてたわ…。」

ふるふると力なく首を横に振るナミの落ち込み様たるや、いつもの明快な彼女からは想像もつかない。

「おうおう! らしくねえじゃねえかナミ! お前は一体どの海賊船の航海士なんだ!?」
「………え?」
「困った仲間がいれば助けるのが道理! 今からみんなで探せば見つかるだろ!」
「うん! フランキーの言う通りだぞ!」
「そうだナミ。みんなで探せば絶対見つかる。だからそんなに落ち込むなよ!」
「…チョッパー…、ルフィ…。」

自分を見つめる温かい眼差しにおもわずホロリと涙が零れる。
いつかこんな仲間たちに囲まれる日が来るなんて思いもしなかった。

「よし! そうと決まれば探すぞ野郎共ー!!」
「スーパー任せろ!! 船のことを知りつくした俺様に死角などない!!」
「私の力ならどこでも“見て”あげるわ。」
「ナミの匂いが付いた腕輪ならすぐ見つけられると思うけどな。」
「細い隙間に落ちていたら任せろ! 俺様特製ポップグリーンで拾ってやる!」

ワイワイとまるで宝探しゲームでも始めるかのような賑やかさに落ち込む空気もどこへやら。
少しだけ、ナミの心も軽くなった気がした。

「よかったな、ナミ。」
「ゾロ…。」

見上げると隻眼の剣士がいつの間にか隣に立っていた。背後に輝く太陽が眩しくてその表情は伺えない。

「全く、いつも人のことをバカだの何だの言ってるから天罰が下ったんじゃねえのか?」
「な、何よそれっ。」
「ま、これに懲りたら少しは大人しくしろよな。」
「アンタにそんなこと言われる筋合いないわ!」
「…聞けねえってんなら構わねえが、これだけ大騒ぎしたんだ。ちゃんと責任取ってくれるんだろうな?」
「…何よ、責任って…。」

お互いの吐息が感じられる距離までずいっと顔を近づけて来るゾロ。
思わず息を呑んで逸らせない彼の瞳を見つめる。

「…今夜は寝かせねえからな?」
「……なっ!!?」

反論しようとしたナミより早くゾロはその場から立ち上がり、ルフィたち同様“リング探し”の仲間に加わった。
いくら恋人同士でも奴に弱みを握られれば必ずその“見返り”が求められる。それはお酒で済む時もごく稀にあるが、ほとんどは決まって、ただひとつ。

「…っ! …!!」

顔を真っ赤にして言葉たる言葉が出てこないナミの心は、リングを求める思いと、見つかった後に隻眼の男からどう逃げるか、終始ゴールに辿り着けない思考が渦が巻いていた。










――夕食時のダイニングルーム。
麦わら海賊団の視線は一点に集中していた。それを集める主は、昼間よりもより一層頭上の雨雲を濃く厚くして、シトシトと降り止まない雨に濡れているようだ。

「…ナ、ナミさん…。そう落ち込まないで…。」
「そうよナミ。今日は日も暮れてきたから無理だけど、明日またみんなで探せばいいわ。」
「………。」
「捨てちまったもんは二度と戻らねえけどよ、失くしたもんは不意に出てきたりすんだろ? 大丈夫だよ!」
「………。」
「案外タンスの隙間とか、ベッドの下とか、ソファの間とかにあるかもしれねえしな! 明日はそこんとこ重点的に探してみるか!」
「………。」

結局総動員で探したリングは、チョッパーの鼻で嗅ぎ当てることも、ロビンの“目”で見つけることも、ウソップ自慢の植物兵器が探知することもできなかった。
あれほど豪語したにも関わらず目的を達成できなかったため何とかナミを元気づけようと仲間たちが声をかけるが、声をかければかけるほど彼女の纏うオーラが黒く重たく沈んでいく。
そんなナミを見かねたゾロが小さく舌打ちした。

「ナミ。みんなこう言ってんだ。塞ぎ込んでばっかいねえで、ちったあ何か言えよ。」
「おいクソマリモ! てめぇナミさんに何てこと言いやがる! 彼女の気持ちが分かんねえのか!」
「そっちこそ何言ってんだ。そもそも今回のことはコイツの不注意からだろう。コイツに対して何か言っても文句言われる筋合いはねえ。」
「言葉を選べって言ってんだよ! 繊細な乙女心の分からねえ奴が開く口なんざ必要ねえ!!」

お互いの実力を認めつつも、普段からちょっとしたことでぶつかる麦わら海賊団三大戦力の2人。しかしピリピリとした空気はいつものケンカではない。一塩、二塩も加えたようなもので、何を隠そうその理由がナミだからだ。
これが一般人の女性ならばサンジが勝手に怒ってゾロが軽くあしらうか、ちょっとした手合せのようなバトルが数分繰り広げられればお終いだ。
しかし今回はナミだ。レディを尊重するサンジはもちろん引くわけはないし、ゾロにいたっては彼女の“相棒(パートナー)”だ。
それはサニー号の人間なら誰もが知る事実で、サンジ自身、苦味潰しながらも認めていること。
故に、ゾロも今回ばかりは引くことはない。

「…ゴメンね。みんな迷惑かけて…。」
「迷惑だなんてナミ、そんな…。」

一触即発の空気の中、ナミが静かに立ち上がった。
ほとんど手を付けていないトレイを流し台に運ぶとフラフラと揺れる足取りで扉に向かう。

「私、今日はもう部屋に戻るわ…。もしかしたら見落としてる場所があるかもしれないし…もう一度探してみる…。」

おやすみ。
そう微かな囁きを残して、ナミは静かにダイニングを後にした。
残されたルフィたちは何も言葉をかけるでもなく、ただただ彼女の残した残像を追うように扉を眺める。

「…チッ! 見ろクソマリモ! ナミさんがあんなに落ち込んでるじゃねえか!! いくらテメェでも時と場合によっちゃあ容赦しねぇぞ!!」
「…今日の見張りはチョッパーだったな。悪りィがロビンと代わってくれねえか?」

サンジの怒りをサラリとかわし、ゾロはミルクを飲んでいる仲間に問う。「聞いてのかクソマリ藻!」と怒るサンジをウソップとフランキーが宥(なだ)めている…というよりはほぼ強引に羽交い締めにして抑え込んでいる。

「え? 何でだ? 見張りはおれが…。」
「いいわよゾロ。チョッパー、今夜は交代しましょ?」
「んあ? 何でロビンが変わる必要があるんだ? 交代なら俺がやってもいいぞ! しししっ!」
「ヨホホホ! せっかくですが今夜の交代はロビンさんでないと意味がないのです。ルフィさんもチョッパーさんも、理由は後で話してあげますから交代してあげてください。」

腑に落ちない船長と戸惑う船医の説明は事情を察した優秀なクルーに任せることにした。
彼らの会話のやりとりを背中に聞きながら、先に部屋に戻ったであろう恋人の元へ自身も向かった。










女部屋のベッドの上で膝を抱え、俯きながら肩を小刻みに震わせている。泣いているわけではないようだが今にも零れんとばかりに唇を噛み締めている姿は見ている方も辛くなる。

「…アンタの言う通りよ。今回は全部私のせい…。そしてこれだけ探しても見つからないなんて…。もしも海に落としてたら…。」
「事実かどうかもわからねえことを想像して気落ちしてんじゃねえよ。」
「…事実がわからないから、悪い方へ考えちゃうのよ…。」

心なしか、そう呟いたナミは先程よりも増して小さく怯える小動物のようにも見える。
好きな女のそんな姿を見れば、状況に関わらず欲望が疼きだすのは男の悪い性(さが)だ。
ドクリと脈打つ自分の中心を抑え込み、ゾロはそっとナミの前に立つ。不意に陰ったことにナミが顔を上げれば、彼女が何かを言う前にその唇を塞いだ。

「…んっ…、やっ、ゾロっ…。」

突然のことに驚き、弱々しくも拒否の意を示すナミに構わず舌を滑り込ませる。
口付けながらゆっくりと彼女をベッドへ押し倒し、深く、しかし優しく彼女の口内を味わい堪能する。

「…ふ……ぅん…。」
「元気のねえお前なんて見たくねえよ…。」

ひとしきり口内を味わった後、唇を離したゾロが呟いた。

「…ゾロ…。」
「いつもみたいに…太陽のように笑って、ルフィを…俺らを導いてくれよ…。」

お前は航海士だろう?
そう言って真っ直ぐ自分を見据えてくる男がやけに色気を放っているように感じ、ナミは思わず赤面した。

「顔赤くしやがって、何考えてんだよ。」
「…っ! 何でもないわよっ!」
「…そうだよ、そういうお前がみたいんだ。」
「あっ…。」

何度も重ねている行為なのに毎回恥ずかしがるナミが可愛くて仕方がない。
彼女の首筋にキスを落としながらスルリと上着を脱がした。

「んっ…。ゾロ…。」
「今夜は俺がずっと傍にいてやる。」

意地悪な笑みを浮かべてゾロが宣告する。
反論させる間もなくナミの下着の中に手を滑らせると共に反対の手は脱がせた上着をベッド下に落とす。

キンッ

「………?」

不意に響いた金属音に2人は動きを止める。

「え……。」
「あ……。」

コロコロと静かに転がり、やがて小さな音と共に“それ”は静止した。
仄かな光源にも存在を示すかのように鈍く光り存在を主張する。

「あ…、そういえば…。」

昨日立ち寄った町の有名な温泉入るときに一度だけリングを外したのだ。
いつもだったら付けっぱなしで入るけれど、そこの温泉はある種の成分が強くて金属を痛めてしまう可能性があると注意された。洗面台に置いたり脱衣カゴに入れたら忘れるかもしれないと思ったから、脱いだ服のポケットに入れた。

――それを、すっかり忘れていた。

「………。」
「………。」
「………。」
「………お前、なあ…。」

服の中に入れた手はそのままに、ゾロはナミに覆い被さるようにして一気に脱力した。
あれだけ大騒ぎして、あれだけみんなで船中をひっくり返すように探して、あれだけナミを励まそうと言葉を繋げて。

「ご、ゴメン…、ゾロ…。」

今度ばかりはさすがに申し訳ないと思ったのか、素直に口からは謝罪が出てきた。

涙もない。
謝罪以外の言葉も出ない。
喜びよりも唖然とする気持ち。
…なんと、あっけない結末…。

「…まあいい。無事見つかったんだ。昼間言ったこと、守ってもらうぜ?」
「…昼間、って…。」

“…今夜は寝かせねえからな?”
目の前の男が白昼堂々と放ったセリフを思い出し、一気に熱が顔に集中する。
そんなナミを見てニヤリと笑い、その小さな唇に己のそれを重ねた。

「ふっ…んん…。」

啄むように口付けてくる男に戸惑いながらナミはおずおずと答える。
しばらく彼女の口内を堪能した後、ゆっくりと顔を離した。これから先の行動を予想して高まる熱が、ゾロの目に一層“女”を映し出す。

「…とりあえず今は、お前の姉さんにはちょっと控えていてもらおうか。」
「…あっ…。」

鈍く光るリングが一瞬ナミの視界の端に映ったが、次の瞬間にはゾロの姿が全てを覆いつくした。
リングの光が姉の皮肉のようにも思えたが、そんな考えも消えてしまうくらいに2人の影は重なり続けた。



『傍にいる』

探し物は、灯台下暗し。



Fin

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