devote for you
□好きな人
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生ぬるい風が首筋を撫でる。
弥生は二の腕の袖で汗を拭い、レジ袋を左に持ち替えた。
家政婦として働き始めて半月。
弓崎家の問題が全く解決しないまま世間はすっかり夏になっており、梅雨の時期も通り越した日本は猛暑と湿気に悩まされ、無数に存在するセミの鳴き声も相まってますます不快感に苦しんでいた。
少しでも暑さを避けるために夕方の四時頃に買い物に出掛けた弥生だが、歩いてくるだけでとめどなく流れてくる汗にあまり意味は無かったのでは無いかと一人思う。
行く先々から同じ制服を着た生徒が弥生の横を通り過ぎて行く。
響華が通っている開央高校の生徒達の下校時間と重なった為、自分以外の殆どが同じ格好をしている光景は少し滑稽に見える。
「そういえば.......響華ちゃんも帰って来てる所かな?」
響華と一緒に帰ろうと思った弥生は、生徒達が歩いていくルートを足早に逆走していった。
十分ほどかけて開央高校にたどり着く。
学校が終わり、歩いてくるの生徒達の喧騒が津波のように凄まじい。
校門から見えるグラウンドには、まだ沢山の生徒達が部活動の練習をしているが、下校中の生徒も比例して多い。
思った以上に生徒の人数が多かった弥生は、途切れなく続いてくる生徒の集団に面食らってしまう。
「さすが開央高校。アタシの学生時代から名が知られてるだけあるわね。」
RPGゲームの雑魚敵のようなセリフを口にしながらポケットから携帯を取り出そうとするが、見つからない。
その時、買い物に出掛ける前に(無断で)充電をしていたのを思い出した。
「この大人数じゃ探すのも難しいし、校内に入っちゃまずいよねぇ..........」
軽く息をつくと、弥生は諦めて校門の前の道を左に曲がった。
「..............しかし、ちょっと道を外れるだけでこんなに閑散とするもんなのね...........」
先程とはうってかわって誰もいなくなった路地を歩く。
近道の為に通った裏道とはいえ、学校沿いに歩いても声が何も聞こえなくなった今は、先程が騒がしかったぶん、より一層奇妙に思えた。
この学校は響華も言っていた通り、大学並に敷地が広い。
その為、校庭には運動部等が使わない無人のスペースもあるのだろう、と勝手に解釈する。
「待てよ、ということはここらへんなんでもやりたい放題じゃん! うわ、いいなー!」
子供じみた考えを本気で羨ましがる弥生。
自分だったら何をしようかとりとめの無い事を考えていると、柵の向こうの茂みから男の声が聞こえてきた。
「っ..........響華!」
(.............え?)
声を聞いた弥生は立ち止まり校内に目を向けるが、そこには植え込みの広葉樹しか見えない。
「.............ご、ごめん、いきなり下の名前で呼んじゃって........」
「ううん、大丈夫。朝倉君なら良いよ。」
「..........ありがとう......」
聞こえてくるもうひとつの声は、明らかに響華のもの。
目を凝らして良くみると、木の葉の隙間から僅かに二人の人間の姿が見える。
一人は勿論響華である。いつもの制服に身を包み、学生鞄を両手で持っているようである。
もう一人は背の高い男性。茂みのせいであまり良く見えないが、なかなかのイケメンのようである。恐らくこの男が響華の言った『朝倉君』なのだろう。
二人は弥生に気付かずに、話を進めていく。
「ごめん、わざわざこんな所まで呼び出して..............」
「いいよ、別に。帰ってから大した用事があるわけじゃないし。
...............それで、何の用?」
「.........ちょっと、待ってくれ...........」
男は一旦響華に背を向けると、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
これからこの男が響華に言うことは誰にだって分かる。
(響華ちゃん...........やっぱりあんなに可愛いと、もてるんだなぁ.......)
青春真っ盛りの二人を弥生は微笑ましく見つめる。
ただ、真剣な場面を邪魔するほど弥生は子供では無いが、このまま黙って立ち去れるほど大人でも無かった。
柵に腕を組んで乗せ、じっくりと鑑賞出来る態勢になる。
「さて、朝倉君の恋は成就するのでしょうか...........?」
弥生は好きな人に自分の思いを告げる少年をいたずらっぽく見つめる。
と言っても、朝倉君はなかなか顔は良さそうだし、友達がいない響華は二つ返事でOKするだろう。
これを足掛かりに響華が周りと仲良くしていければ、弥生にとってこれ以上に嬉しいことは無かった。
「響華、聞いてくれ。」
「.............うん。」
「..........俺は、お前の事が好きだ。」
「.......................」
「最初にお前を見たときからずっと好きだった。響華の事で頭が一杯だった...........」
「うん..............」
「響華、頼む。
俺と付き合ってくれ。」
朝倉君が頭を下げる。
少々言葉が短い気もするが、これで彼の気持ちもおおよそ伝わっただろう。
あとは響華の言葉を待つだけだが、その返事は意外なものだった。
「............ごめんなさい。」
「「え..........」」
思わず朝倉と一緒に声をあげてしまう。
「気持ちは嬉しいけど、私は貴方とは付き合えない。」
「なん.......で.........」
「.........好きな人がいるの。」
「好きな人.........?」
「そう。その人とっても優しくて、一緒にいるだけで幸せな気分になるの。まだ気持ちは伝えて無いんだけど、いつかは言うつもり。
あ、もちろん朝倉君が優しくない訳じゃないよ?でも.........」
「でも.........?」
「........でも、私はその人が大好きなの。だから、貴方とは付き合えない。」
「.........誰なんだ.............?」
「ん?」
「誰なんだ........その好きな人は.........?」
「........ごめん、それも言えない。言ったら、朝倉君嫉妬しちゃうでしょ?」
「........................」
なにも言わずに、ただただ立ち尽くす朝倉君。
(そりゃそうだよねぇ、好きな子にフラれたどころか、その子に好きな人がいて、さらに誰だかも教えてくれないんだから...........)
心の中で慰めるが、気になるのはその好きな人である。
(まさか響華ちゃんに好きな人がいたなんて............独身で過ごすとか言ってたくせに。
でも、誰なんだろう.........?明日あたり、それとなく聞いてみるかな.........?)
弥生が考えているうちも、全く動かない朝倉君。
そんな彼を気遣う様子も無く、響華は淡々と話を続けていく。
「本当にごめんなさい。私はいまのところ、その人としか付き合う事は考えられないの。
まあ色々と理由があって、なかなか難しそうだけどね。」
「....................」
「それじゃ、私、もう行くね。
さよなら。」
短く挨拶すると、くるりと後ろを向き、そのまま歩いていく響華。
弥生は先を越されないように、足早に響華を追い越し、校門まで走っていく。
一人残された朝倉は、震える拳を握りしめる事しか出来なかった。
校門に着いた弥生は服の乱れを整え、響華が出てくるのを待つ。
「あ、響華ちゃんやっと来た!」
「弥生さん..........」
「買い物した後に歩いてたらさ、響華ちゃんと同じ制服着た人がたくさん来るから、ちょうど高校終わったんだなーって思って。」
「....................」
「それで、ついでなら響華ちゃんと一緒に帰ろうって思って、ここで待ってたの。」
にっこりと笑って、さも響華がなにをやってたのかは分からないかのようにとぼける。
しかし、
「...........バレバレですよ、弥生さん。」
あっさりと見抜かれ、弥生の演技は終了した。
「..................やっぱり?」
「弥生さん。貴方の位置から私が見えるという事は、私の位置からも弥生さんが見えるという事なんですよ。」
「まあ、そうだけどさ.........」
「幸い、朝倉君は気付いてなかったみたいですけど、見られてたら最悪怒鳴られてたかも知れませんよ?」
「ごめんなさい..........」
「もういいです。帰りましょう。」
だいぶ生徒もまばらになった通りを二人で歩いていく。
右手に持ったレジ袋の中の2Lペットボトルが重い。
渾身の演技を見抜かれた弥生は、告白の現場を覗き見したという背徳感から、響華に話しかけられずにいた。
「.............弥生さん。」
「な、何?」
「そんな顔しても弥生さんにも教えてあげませんよ。」
心の中で思っていた事をまたもや見抜かれる。
「いくら弥生さんでもこれだけは教えてあげません。というか誰にも教えません。秘密です。」
「........いいじゃん別に。女同士なんだし。」
「だーめーでーす!これだけは何があっても絶対に言いません!」
「なんでよ〜。」
「恥ずかしいじゃないですか!」
「アタシは関係無いじゃん!」
「....................それでも、恥ずかしいものは恥ずかしいんです。」
「せめてイニシャルだけでも!」
「嫌です。」
「けち。」
「結構です。」
全く教えてくれない響華。
「んもう.........釣れないんだから。」
「字がおかしいですよ。」
「...........まあ、これでちょっとは安心したかな。」
「...............何故ですか?」
響華が不思議そうに弥生の顔を見つめる。
「だってさ、響華ちゃんはその好きな子と仲良くなりたいんでしょ?」
「.........まあ、なりたくないと言えば嘘になりますけど...........」
「響華ちゃんも、まだ完全に周りを諦めてる訳じゃないんだな、って思って。」
「.......弥生さん.......」
「だからさ、その人の性格とか、好きになったところとか教えてよ!それならいいでしょ!」
「..................」
「ね?お願い!」
弥生が両手を合わせて頼み込む。
「.........まあ、そのくらいならいいです。」
「やった♪」
「その代わり、誰にも言わないでくださいよ?恥ずかしいんだから.........」
「言わないよ。というか誰に言うのさ?同じ学校ですら無いのに。」
「そうですけど...........」
「で、どんな人なの、その子?」
響華の頼みを全く意に介さずに、好きな人を聞いてくる弥生。
恋に貪欲な彼女の姿を見て、響華はため息をついた。
「...........さっきも言いましたけど、すごく、優しい人です。」
「ふんふん。」
「いつも私の事を気遣ってくれて、大概の事なら聞いてくれます。」
「その子とはいつ知り合ったの?」
「..............それは、言いたくないです。」
「? なんで?」
「なんでも。」
「................?
じゃあ、好きになったのは?」
「それは............つい最近です。」
「というと、アタシが響華ちゃんのとこで働き始めた時ぐらい?」
「...........まあ、大体そのくらいです。」
「ふーん。外見はどんな感じなの?やっぱりカッコいい?」
「..........カッコいい感じでは無いです。むしろ可愛い感じかな?」
「あら。響華ちゃん年下好きなんだ?」
「...........違います。年上です。」
「という事は三年ね。だんだん分かってきたわよ〜♪」
「....................」
「じょ、冗談よ、冗談。」
「.........弥生さん。」
「な、なに?」
響華がいつになく真剣な表情で弥生を見つめる。
「弥生さん..............私................」
「............?」
「.......................やっぱり、なんでも無いです。」
「え、え?」
「早く帰りましょう。お腹空きました。」
響華はそれだけ言うと、足の動きを速めて先に行ってしまう。
「あ、待ってよ響華ちゃん!」
弥生が早足で響華に追い付くと、響華は振り返り、強い口調でこう言った。
「言っておきますが、弥生さん。」
「...........なに?」
「この事は二度と掘り返さないで下さいね。」
「............う、うん.............」
「じゃ、帰りましょう。」
響華は前を向くと、弥生を待たずに早足で歩いていってしまう。
「.............なんなのよ、もう。」
弥生はそれだけ言うと、響華の後を小走りで追いかけた。