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□恋愛小説作家の恋文
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「できやした」

そう言って何十枚にも及ぶ原稿用紙の束を口にタバコを加え睡魔と戦いながら部屋の隅で待っていた編集者に突き付けた。

「やっとか…。まだ、間に合うな」

ちらりと使い古された腕時計で時刻を確認して書き上げられたばかりの原稿をぺらぺらとすごい速さで読んでいく。
そのスピードは並大抵のものではないが、それは自分がいつも締切直前まで原稿を上げないためであり、俺のお陰だと自分の都合のいい解釈をしている。

その様子を見ながら2日の徹夜を終えた沖田はぐっと背を伸ばして長時間に及ぶデスクワークでバキバキに固まった体の筋肉をほぐす。
目の下にはいつもの如く真っ黒い隈ができてパンダのようだ。
髪も2日鬼のような編集者に急かされお風呂に入る暇さえ与えてもらえずボサボサのバサバサだ。
ちらりとまた横目に伺えばもう中盤を読んでいるがまだあと半分ある。
お風呂に入る時間ぐらいはありそうだと判断すれば着替えをクローゼットから引っ張り出して脱衣所に向かった。

さっさと服を脱いでシャワーで髪を濡らす。頭を洗い始めたものの一回ではやはり泡立たずもう一回洗う羽目になった。
体もごしごしと洗い、トリートメントは念入りにした。
泡を流して浴槽に入ればまだ固まっていた筋肉が徐々にほぐれていくのを感じる。

「ふぅ…やっぱり仕事終わりの風呂は最高だねィ」

なんて編集者に急かされるまで絶対に仕事をしないにも関わらず、さも毎日仕事頑張ってますというような独り言を呟くが誰もつっこむ者はいない。
体を温めながらぼんやりとしていれば先ほどの原稿を見つめる真剣な眼差しが脳裏に浮かんだ。

編集者である土方は2年半くらい前に結婚した元編集者に代わって自分の担当になった。
最初に紹介されたときは、気難しそうで冗談も通じなそうなお堅いやつが来たとげんなりしたが、仕事は早いし指摘も的確でわかりやすい。
見た目通りに締切に厳しく頭の固いのは難点だが、担当が土方に変わってから自分の仕事の調子がスムーズなのも確かで、不本意だが口に出さずとも密かに実力は認めていたりする。不本意だが。

沖田は原稿を見る土方の横顔が好きだ。一つしか見えていない、真剣で真っ直ぐで射抜くようなあの視線が。
最初は格好良いくらいにしか考えていなかったが、いつしかその目で自分を見て欲しいと思うようになった。

最初は混乱した。相手は男で、しかも鬼のように自分を追い込んでくるやつだ。
飯にも飲み物にもマヨネーズをかけないと気がすまない味覚音痴だし、人の部屋でスパスパと有害な煙を撒き散らす。
そして何より馬が合わない。そう、合わないのだ。

自由奔放な沖田に比べて土方は身なりこそ適当だが仕事はきっちりこなす。
世話焼きなところが有り自分の食生活にまで口を出し、終いには「マヨネーズを食べろ」と意味のわからないことを言い出す。
なんでもマヨネーズを食べると脳に油が回って頭の回転が良くなるのだとか。
正直土方はどちらかといえば苦手だし、味覚音痴の仲間入りなんか毛ほどもしたくなかった。
きっと恋愛小説の書き過ぎで職業病になっているのだ。
だから何でもかんでもそういった方に思考が行ってしまうのだと自分に言い聞かせてきた。
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