黄昏鳶

□黄昏鳶 五
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!読む前に!
今回、コタンでのシーンをメインとしています。
アイヌ語で話している台詞は『』で表現してます。








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トゥレンペ

人は誰でも生まれながらに守り神が憑いている。
アイヌではその守り神をトゥレンペと呼び、首の後ろから出入りしていると考えられている。
その姿は様々。
動物や植物や自然現象…人それぞれに憑く神様が異なり、それによって性格も特技も運命さえも左右されるのだという。






アカトビ(Redkite)

ヨーロッパと中東一部に生息するアカトビという鳶の近縁種が居る。
一部のアカトビは渡りを行うという。



赤い鳶のトゥレンペはその翼でどこへ誘うのだろう。










■黄昏鳶■
〜ヤットカムイ〜










ヒグマの頭骨で出来た祭壇。
木材と茅葺で出来た家々。
アシリパと同じアイヌの着物を着た人々。

アイヌの村。



「アシリパが帰ってきた」



アイヌの子供たちが真っ先に駆けつけて来る。
アシリパは普段山で狩りをする事が多く、あまり村に帰ってこないので彼女の帰還を喜ぶ者達が多い。

しかし注目を浴びるているのはアシリパが連れているシサムの客人二人であった。
杉元は一目見てシサムとすぐに分かるのだが、晴はあまりシサムらしくない。
よく見れば顔立ちはこの国の人間に近いのだが、ぱっと見た目にはヨーロッパの何処かの国の出身に思われても仕方ないだろう。
しかし晴が思っていた程に物珍しい好奇の視線は感じなかった。
彼らの好奇心は外国人に対する物珍しさではなく単純に客人に対する興味だろう。
アイヌにはロシア系とのハーフも居るからだろうか…というかそもそもアシリパが碧眼なのだ。
外国の容姿は見慣れているのかもしれない。

しかし余所者に変わりは無い。
シサムと戦うための軍資金として金塊を貯めていた者達が居たらしいし、いくらアシリパの祖母が良いと言っても、内心では歓迎されないだろう。



「これが私のチセと母方のフチだ」



「はじめまして」



杉元に続いて晴もぺこりと頭を下げる。
晴はアイヌの暮らしや狩りの方法を学ぶため、しばらくコタンに宿泊させてもらうのだから第一印象は大事だ。



「はじめましてフチ。私は晴です。
この村で少しの間、アイヌの文化や狩猟を勉強させてください」



身振り手振り交えて自己紹介する晴をフチはうんうんと頷きながら聞いているが、アシリパが通訳している所を見ると日本語は分からないのだろう。
しかし言葉は分からないなりにも理解を示してくれている。
その間にもアシリパが通訳してくれているので、きちんと話は通じているだろう。
…どのくらい滞在するかはまだ分からないがアイヌコタンで暮らすならば簡単なものからアイヌ語を少しずつ覚えた方がいいだろう。
生活しながら言葉を学習しよう。



『いつまで居てくれても構わない。
アイヌの事を学びたいなら私たちは知識を惜しまない。
村の皆が貴女の良き師になってくれるだろう』



「いつまで居ても良いと言っている。
アイヌの事を学びたいなら村の者達も喜んで教えてくれるはずだ」



フチは穏やかに一切嫌悪などせずシサム達の滞在を迎え入れてくれた。



「お婆さん俺はこいつを預けに来ただけだ。
長居はしない。すぐにここから出てくよ」



フチはいつまでも滞在して良いと言ってくれるが、やはり杉元も晴と同じように思っているようだ。
晴はまあなんとか民間人という体には見えるだろうけれど、杉元の装備は軍隊に居た頃のものを使っているため元兵士だというのが見てすぐ分かる。
晴は受け入れられたとしても杉元までは流石に…



「フチは飯を食って泊まっていけと言っているぞ」



アシリパがフチの言葉を通訳してくれた。
杉元と晴は互いに顔を見合わせて目を瞬く。
どうやらフチは元兵士だろうと分け隔て無いようだ。

アシリパに促されてチセにお邪魔する。
晴は茅葺の家は資料で見た事くらいはあるが家に上がるのは初めてだ。
失礼かと思ったが、物珍しそうに視線が動いてしまう。
入口潜ってすぐの玄関…前室には置かれている臼や編み籠、様々な道具が置かれている。
通された囲炉裏のある部屋にもアイヌの生活を支える様々な物があった。
アシリパが囲炉裏の南側に回ったので杉元と晴もその周辺に向かおうとしたが、二人は『ロルンソ』という東側の席に座るよう勧められた。
シサムにも客人は上座にという習慣があるように、アイヌにもそういった決まり事があるのだ。

フチが囲炉裏に薪をくべてくれる。
心地良い熱が寒い中歩いて来た体を温めてくれる。



「俺がここに居ては皆に迷惑がかかるんじゃないか?」



子熊を置いたらすぐに村を出る予定でいた杉元は、フチの誘いに逆らえぬままチセに上がり込んでしまったが心配は心配である。
こんなに良くしてくれた人が後で村人に責められたりでもしたら…
アシリパが杉元の言葉を通訳するのを、フチは相変わらず穏やかに頷いて聞いている。



『初めてアシリパが連れてきた客人だから私たちはもてなそう』



「大丈夫だ。先日にも言ったが私のエカシは村で一番偉かったからフチにも文句言う奴はいない」



アシリパはそう言いながらフチの頬を摘まんで口の刺青を強調してみせた。
この刺青が大きい女性ほど偉い人の奥さんなのだという。
それに。
いつの間にやら窓の外からは沢山の村人が集まってこちらの様子を窺っていた。
その表情はどれもシサムに対する敵対心ではなく興味が現れたものだった。
アイヌは好奇心が強いのだ。
それを見て杉元も晴もようやく肩の力が抜けたのだった。



アシリパとフチが暮らすチセには他に家族は居なかった。
別のチセには叔父家族が暮らしているそうだ。
祖父は6年前に病気で亡くなったそうだし、母はアシリパを産んでじきに病気で亡くなったのだとか。
フチや親戚たちも面倒を見てくれただろうけれども、アシリパをここまで育ててきたのは父だったのだろう。
話に聞くだけでもアシリパの父はとても勇敢で優秀なアイヌの猟師である事が分かる。
狩猟の知識や技術をアシリパに教えたのは父だったそうだ。
きっと、父娘で頻繁に山へと狩りに勤しんでいたのだろう…



『アシリパは女の仕事が出来ない。
教えようにも山に行ってばかりだ。
孫娘の代わりに晴に沢山の事を教えてあげよう』



フチが晴に話しかける。
アイヌの言葉は分からない晴は微かに首を傾げ、何故か居心地悪そうな顔のアシリパに内容を聞く。



「おばあちゃん何て言ってるの?」



「…私は裁縫を覚えなかったからその分晴に教えてやると言っている」



アイヌの織物や裁縫や道具を作れるようになるのは楽しそうだ。
民族工芸品には興味ある方だし。
それに身一つでこの時代に放り出された晴は身の回りの自然物などから生活に必要なものを自前で用意できる技術を取得できれば、大分今後の生活が楽になるだろう。



「ありがとうございます!
色んな事覚えなきゃなぁ!」



ヤル気充分の晴に口元の皺を更に深くして満足そうに微笑むフチ。
それから杉元へと語りかける。



「お婆ちゃん俺になんだって?」



訳を求められたアシリパであるが彼女は何故か頬を薄っすらと赤らめている。



「うんこ食べちゃ駄目だって」



少し上ずり気味の声と気恥ずかしげな表情は、言っている内容とまったく噛み合っていない。
杉元はあっさりアシリパの訳を信じたようだが晴は真実を何となく察していた。
というか直前までの会話の流れとアシリパのこの反応を見れば大体分かる。
大方、フチはアシリパの嫁の貰い手を心配して杉元に頼んでみたのだろう。
赤くなって少し俯いているアシリパは、山ではあれほど頼もしかったのだが、やはり年頃の女の子なのだ。

その後、アシリパの従姉にあたる女の子(オソマという幼名の子)を紹介してもらったりアイヌの習わしを沢山聞かせてもらった。
中でも一番印象に残ったのはイオマンテという儀式の事である。
今回、預けに来た子熊…アイヌは狩りで捕らえた子熊を育てる。
杉元や晴は育ったら山に帰すものとばかり思っていたが。

育てた子熊は山に帰すのではなく神の国に送るのだという。

つまり、子熊を殺すという事だった。
最初聞いた時は衝撃だった。
しかし、それはアイヌが生きるための術である。
子熊を育てるのは、本質的にはより沢山の毛皮や肉を安全に手に入れるためなのかもしれない。
そういったものが信仰や習わしとして組み込まれているのかもしれない。
この厳しい北の大地で生き抜くために。

晴にとっても大切な教訓となるだろう。


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