黄昏鳶

□黄昏鳶 四
1ページ/6ページ


+++++



東北マタギ。

晴が生まれ育った未来の日本でも狩猟を行う者は居るが、実際に会った事は無かった。
この元マタギの兵士が今後、晴にとってどのような存在になるのか…それはまだこの時には知る由もない。










■黄昏鳶■
〜小熊ちゃんと鳶の出会い〜










「大丈夫か?」



「…だ、だいじょうぶ…!」



先頭を歩くアシリパと杉元が足並みが遅れ気味の晴へと振り返った。
普段雪深い山道を歩くなんて経験が無い晴は強がってみせたものの、まだ30分も歩く前から既に息が上がっていた。
元々雪道を歩くための靴では無いとはいえ、流石にこの現実にショックは隠せない。
日頃、多少の筋力トレーニングは積んでいた晴は体力面にはそこそこの自信があったのだが、雪の山道を歩くための体力と銃を構え続けるための体力とでは力の使い方は全く異なる物であり、不慣れな行程は尚更体力を削いだ。



「…この調子では今日中にコタンに着けるかどうか」



「ごめぇん」



「フプチャだ。噛むといい」



アシリパは近くにあったトドマツの葉先を千切り、それを晴に差し出した。
疲労した時の回復に良いらしい。
噛んで露だけ吸って吐き出すんだとか。
フプチャを口に入れて一噛みした瞬間、舌の上に広がる苦みと松脂臭さが晴の脳天を貫いた。



「ぶぁああぁぁっあっあっ!!!!」



「すごい悲鳴だなぁ…そんなに不味いのかソレ」



涙目で顔面くしゃくしゃにしながら噛んだ葉っぱをぺっぺと吐き出す。
喉を嗄らす勢いで叫び声をあげて悶える晴に杉元がやや引いていたが、その直後にはアシリパの勧めを断り切れず彼も晴同様の悲鳴を上げる破目になり、二人揃って体験した事のない苦みにギブアップした。

そんな様子で晴と杉元をコタンに案内する道々、アシリパは色々と山の事を教えてくれた。
ヒグマの巣の見分け方もその一つだ。



「ヒグマは自分で新しく巣穴を掘るが誰かが掘った古い巣穴も再利用する。
老獪な猟師はそういう巣穴をいくつも知ってるんだ」



熊狩りをするつもりはなくとも、山歩きする上でヒグマのねぐらを知る術を持っていれば大分安全に山生活を送れそうだ。



「へえぇ…ヒグマの巣穴って大きな岩や丘の下とかを掘るんだよね?」



「そうだな。そういう所も巣穴にしやすいだろう。
後は大きな倒木の根むくれなどだ。
ここから近いが行ってみるか?」



晴は巣穴の見分け方をもっと詳しく知りたいと思った。



「行ってみたいな」



「よし、いいぞ。連れてってやる。
だが静かにな。大きな物音や声を出すと冬眠から目覚めてしまうからな」



「了解です」



そこから山を進む事数分といった所。
やや傾斜のある坂から大きな倒木が倒れているのが見えた。
倒れて持ち上がった根が、生えていた地面を盛り上げてしまっているのが分かる。



「あそこの倒木の下にあるぞ。
杉元見て来い」



「何で俺が?」



さらりと自然な流れで指名された杉元は解せぬ顔をしている。
解せぬ。



「私が言いだしたんだし行って来るよ」



ここは言い出しっぺである晴が行くべきだろう。
自ら名乗り出る晴の積極性に、アシリパは半眼ジト目で杉元を見た。



「杉元ぉ…女の晴がこう言ってるんだぞぉ?」



「分かった分かりました! 俺が行って来るから!」



ヒグマの恐ろしさはその身で体験している杉元としては、自らヒグマの巣穴に近づくなんてしたくはないのだが、女の背に隠れて見ているというのも男として年長者として矜持が許さなかった。
しかし、杉元が行こうと行くまいと晴の意思は変わらない。



「でも私も行くよ」



「ええぇ? どんだけヒグマの巣穴見たいんだよ」



「だって実際に見た方が確実に覚えるだろうし」



「百聞は一見に如かずって奴か」



山も修羅場も不慣れで、こういった事には頼りない晴であるが意外と勇気と根性はあるのだ。
…というか好奇心が強いのか、それとも勤勉というのか。
多分両方なのだろうな。
杉元はアシリパへとお伺い立てるように彼女を見る。
この場の判断は任せる。



「そうだな実際に見た方が得られる情報も多い。
ただし、静かに近づけよ。
入り口にツララがあったり生臭かったらヒグマが居る可能性が高い」



「ぐっすり眠ってるんだよな?
冬眠してるカエルみたいに仮死状態で…」



「いやちょっと違う。
うつらうつらして篭ってるだけだ。
うるさくしたら飛び起きるぞ」



「ヒグマはあれ以来嫌いだぜ」



ヒグマとの戦いで死ぬ思いをした杉元は出来ればもうヒグマとまた戦いになるのは御免したい。
居ない事を願う。
そんな彼には申し訳ないのだが晴としてはヒグマが『居る』巣穴を見てみたい気持ちの方が強かった。
もちろん恐れはあるし緊張もしているが。
杉元と晴の想いは逆方向であるが…果たしてどちらの願いが叶ったか。
そろりそろりと足音殺し、近づいてみた巣穴の入口には…



(ツララ…あるじゃねーか)



(ツララあったぁ)



屈みこんでもっとよく観察してみる。
巣穴の入口から奥に向かって熊笹が綺麗に敷き詰められている事に気付く。
これは自然に葉っぱが入ったわけではないだろう。
杉元と晴は互いに目配せして頷いた。

ヒグマが居る。

来た時と同じようにそろりそろりとアシリパの元に戻ると、アシリパはヒグマを捕らえる方法を教えてくれた。
そしてアイヌの言い伝えでは…



「ヒグマは巣穴に入って来た人間を決して殺さない」



アシリパの父は毒矢を持ってヒグマの巣穴に潜り一人で仕留めたらしい。
何て勇敢なのだろうか。
それを聞いた晴は思った。



「ヒグマ…いつか仕留めてみたいものです」



「絶対やだ」



晴と杉元が同時に正反対の意見を述べた。
今すぐにヒグマを狩らなければ飢え死にする訳ではない。
結局、余計なリスクは冒さずこの場は大人しく通り過ぎるのだった。


次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ