黄昏鳶

□黄昏鳶 三
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脱獄王

その異名は高校生の頃の北海道修学旅行で寄った網走監獄で知ったものだったが…
まさかこんな所で本人に会うだなんて思いもよらない出来事なのであった。











■黄昏鳶 三■
〜脳みそと味噌と脱獄王〜










傾いていく陽射しの中、雪の山道を三人の人影が歩いていた。
一人は男性、もう一人は少女、三人目は背の高い女性だ。(成人男性並みに長身だが体つきや顔立ちで女性とはっきり分かる)
先頭を案内するように歩くのは一番小柄な少女である。
彼女はこの辺りのコタンに住むアイヌの少女である。



「晴、お前に狩猟の知識を教えてやるのは構わない。
だが、少し疑問だ…」



アイヌの少女アシリパは、僅かに後方をついて来る背高な女性…深空晴へと話しかけた。



「お前は女だ。アイヌだって狩りは男の仕事だ。
女は大概織物や針仕事、山菜詰みをしているものだ。
この地に慣れてきたらシサムの街で少しずつ仕事を探す事も出来るのに、何故山で生きる道を選んだ?
山は確かに恵みをもたらしてくれるが、優しいだけじゃない。
厳しくもあるぞ」



晴は自分の髪のひと房を摘まんで軽く振ってみせた。



「どっかで働くにしたって身元は保証されてないし、それに御覧の通りの髪と瞳の色だもん」



晴の外見は顔立ちこそ日本人に近いが色素は日本人の黒髪黒瞳の中では浮く。
身長もこの時代の日本人女性と比べれば大分長身だ。(平均的な成人男性よりも高めだろう)
パッと見はほぼ外国人である。
おまけに服装もこの時代ではまず見かけないものだ。
明褐色のコートと黒いニットのトップスはこの時代でもそこまでおかしなものではないだろうけれど、迷彩柄のパンツは右裾を太ももの付け根まで切り詰めたアシンメトリーで、オーバーニーソックスを合わせているので時代観がまるで合わない。
というかこの時代に女性の洋装パンツスタイルなどまず見かけないはずだ。
あったとしてもそれは『パンツスタイル』ではなく『男装』と認識されるのではないだろうか。
更に晴は銃を所持している。
この時代観で晴の見た目を言うならば『銃を所持した妙な男装の外国人の女』である。
正直怪しすぎる。



「このご時世にこんな怪しい女をまともに雇ってくれるような所なんて早々無いでしょうし」



晴が持ち合わせる数少ない選択肢の中で生きる道を探すだけだ。
それが銃と射撃技術だ。
この時代、アイヌは自然に囲まれた中で狩猟と採取で生きている。
ならば晴だって学べば狩猟で生きていけるはず。



「…私にはこれしか無いから」



そう言って触れたのは愛銃FXトルネードT5。



「コイツと一緒に生きていく」



晴の決心。
まだ不安は残るが鳶色の瞳には自分の生きる道を見つけた意思が宿る。
それを見つめ返したアシリパは、やがて小さく頷いた。



「…分かった。
だが、山の中で得られる糧は何も獣だけじゃない。
山の実りも沢山あるし、採取した植物などで道具作りも出来るんだぞ。
山で生きるにはそういったことも必要だ。
私は狩りや山の事なら教えてやれるが物作りの技術は、やはりコタンで勉強するのがいいだろうな」



なんにしても今日はもうこれから陽が沈んでいく。
山歩きは危険な時間になる。
アシリパが案内したのはクチャというアイヌの狩猟小屋だった。
今夜はここで休むことになる。



「さて、夕食の支度をしようか」



そう言ってアシリパが出したのはリスだった。
リスが二匹。



「む…これでは人数分には足らないな」



元々はアシリパと杉元の二人分のつもりで獲ったので晴を含めた人数分には足りなかった。



「確か他の罠もあったよな。
見て来ようか」



と、杉元が腰を浮かせたところで、アシリパが小さく静止の声を上げた。
それから彼女がそっと見上げた先は小屋の頭上。
小屋の傍に立っていた背の高い松の木の枝上にリスが居たのだ。
そしてアシリパは晴の銃に注目した。



「銃を持っているという事は腕には覚えがあるんだろう?」



腕に覚え。
そこそこ自信はある。
しかし晴に狩猟の経験はない。
動かない標的に当てるのと動物を狩るのでは訳が違うし、何より晴の今までの常識でリスは食肉用ではなかった。
リスとは可愛らしい生き物であり、それはただひたすらに愛でる対象でしかない。
そんな世界で生きていた晴に『リスを撃て』と…



「マジですか…マジでリス…」



「リスは美味いぞ。
木の実を食べるから肉に臭みがないんだ。
さあ、やってみろ」



晴はやや青ざめた顔でアシリパ、そして杉元へと視線を向ける。
杉元は晴の気持ちを理解できたらしく、哀愁の表情をしていた。
が、頷かれてしまった。

この状況…やるしか…ないのか。

ごくりと唾を飲み込む。
肚を決めよう。
アシリパの教えを乞うならば狩猟は避けては通れないだろうし、この時代で晴が生き抜くには得意とする銃の腕を振るうしかない。
覚悟を決めて晴は銃を構えた。



「…動物を撃った事は無いから当てられるかどうかは分からないけども」



「動きをよく見ろ。
獲物を狩るときは獲物の気持ちになれ」



「…動きを読む」



リスは頭上数メートルの枝の上。
野生の動物は周囲の気配に敏感だ。
この距離だ…きっと晴が狙い定める動きを察知するだろう。
装薬銃と空気銃とでは弾速が違う。
相手の動きを確認してからでは遅すぎる。
予想して、一歩先を狙うくらいでなければ仕留められないだろう。
逃げるとすれば何処へ行くだろうか?
晴はざっと周囲を見渡した。
リスが居る枝の幹には手ごろな洞がある。
自分が狙われている…となったら晴ならばきっと真っ先に安全な穴に逃げこむだろう。



「…」



晴はリスに狙いを定める。
リスは枝の上で毛づくろいをしていたが、不意にぴくりと耳を動かした。
周囲の気配に耳をそばだてる僅かな瞬間の硬直。
リスが本能的に逃げる先へと首を巡らせた。

ここだ。

晴の指がトリガーを引く。
リスが素早く身をひるがえすのと、カーン!と竹を叩くような高い音が鳴るのはほぼ同時。
その一瞬後。
真白な雪の上にぽとりと灰茶色の毛玉が落ちた。
リスのわきの下あたりには銃創。
そこから血を溢していた。



「仕留められた…」



「うおっ、すげえ! ホントに狩猟初めてか?」



「よくやったぞ。
晴は狩りの才能があるな」



晴は自分が仕留めたリスを見下ろす。
初めて生き物を撃った。
恐る恐ると触れればまだリスは温かい。
先ほどまで生きていたのだから当然だ。
リスはどんどん体温を失っていく。
同じく生命ではあるものの蚊やゴキブリを潰した時とはまるで違う。
傷つけば血を流し失った血の分だけ体温を失っていく温血動物を殺めた。
その実感は少しずつ晴を浸食する。
表情を暗くした晴の傍にやってきたアシリパは仕留めたリスを拾い上げた。



「…晴。私たちもお前も生きている限りは食べなければならない。
食べるためには他の生き物から命を貰わなければならないんだ」



「…うん」



「私たちが殺した獲物に対してできる事は…」



「大丈夫、ちゃんと分かってるよ」



ここで晴が小さき者に対し罪悪感を募らせても、死んだリスが生き返るわけではない。
そもそも食べるために撃ったのだから。
覚悟の上だ。



「…そうか」



晴はアシリパの手の中のリスに手を合わせた。
これは決して謝罪のつもりでした事では無い。



「貰った命は無駄にしない。
しっかりいただきます」



「うむ。その通りだ晴。
命を余さず食べてこそ命に対する最大の責任の取り方で礼儀だ。
やはり晴は良い猟師になれるぞ」


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