黄昏鳶

□黄昏鳶 二
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弱い者は食われる。

どこであろうとその摂理は変わらない。
生きたければ、帰りたければ、より強く在らねばならない。

鋭い爪も嘴も遠くまで見通せる眼も優れた飛翔能力も『ただ持っているだけ』では意味が無い。
使い方を知らなければ、いかに空の捕食者たる猛禽といえど生きていけないのだ。










■黄昏鳶■
〜襲撃の山猫〜










「少しは落ち着いてきたか?」



「…うん。ごめんね。
混乱しちゃって」



黒髪碧眼の少女に背を撫でられるまま鼻声で返事したのは赤み掛かった鳶色の髪と瞳の女だった。
しゃくり上げる涙声であるが泣いた事で大分気分はすっきりしていた。



「いや、無理もない。
自分の記憶が無くなってしまったら誰だって不安になる」



記憶喪失。
晴は自分が置かれたこの状況を記憶障害という事にしていた。
未来人だとか言っても普通は信じられないだろう。
記憶喪失という事にしておけばその一言で片づけられる。
信じてもらえるかどうかは分からないが、少なくとも表面上は便利な言い訳だ。
だから此処に来る前の事は部分部分虫食いのように途切れていて記憶が混乱していると、涙ながらに訴えてみれば割とあっさり信じてくれたから助かった。
それに、帰る場所がないのは事実だし流した涙も本物の感情だし、混乱もしている。
そんな混乱状態でも泣きながらでも咄嗟に対応できたのは自分でも偉かったと思う。



「大変な事故にあったのかもしれないな…」



「そう、なのかもね…」



時間を渡るなんて常識的に考えてあり得ないのだから、ある意味では大変な事故だった。
青年の目に同情気味な色が見えた。



「厄介な事になってたんだな、あんた。
これから先どうするんだ?北海道に当ては無いんだろう?」



「当てがあるのかどうかすら分かりませんからね」



当てなど無い。
この時代に、当てなど何処にも無いのだ。



「帰る場所すら分からない…」



帰る場所すら、無い。



「…そうか」



青年は帽子を目深に被り口元を引き結んだ。
帽子の鍔で隠れた目元はどんな表情を浮かべているのか。



「コタンに来るか?」



「え?」



コタン。聞き慣れないアシリパの言葉に晴は首を傾げた。
晴だけではなく青年も初めて聞く言葉だったのだろう不思議そうにしていた。



「コタンとはアイヌの村の事だ。
私のフチ…祖母が居る村が近くにある」



「アイヌの村…」



そうか。
この少女が着ている衣装は和服とは違うなと思っていたが、アイヌの着物だったのか。
アシリパと言う名の響きは何処の国なのだろうかと思っていたのだが、なるほどアイヌの名だったわけだ。
…だが、しかし。



「私、見た目こんなだけど一応和人だよ?
コタンに入ってもいいの?」



アイヌの歴史を顧みるに、あまり和人に対して良い感情は抱いていないのではないだろうか?
しかも記憶喪失(そういう振りであるが)だといういかにも怪しい女だ。



「気にするな。
フチはコタンで一番偉い男の妻だった。
だから発言権も強い。
フチならアイヌだろうとシサムだろうと歓迎する。
いつか記憶を取り戻して帰れるようになるまで、好きなだけ滞在すればいい」



この先、未来に帰れるのかどうかは分からないが、でも生きる意思まで手放した訳では無い。
アシリパの誘いは、寄る辺も無く身一つで100年以上も昔の時代に放り出された晴に差し出された救いの手だ。



「ほんと…?いいの?
行っていいなら…お願いします!」



生涯コタンで世話になろうなどと厚かましい事までは言わない。
一時でもいい。
抗えない強風に流され漂う迷鳥が一時翼を休められる場所。
それだけで充分に有難い。



「改めて自己紹介だな。私の名はアシリパ。
そしてこっちは私の…相棒だ」



「相棒」と言ってアシリパが視線を向けたのは青年である。



「俺は杉元佐一だ。さっきは変に疑って悪かったな」



いい人。
見るからに怪しい女に対して警戒するのは当然だろうに、それを非として素直に詫びてくれる杉元は本当にいい人だ。
晴は二人の名前をしっかり口の中で反芻して覚える。



「私は、晴。 深空晴」



晴は「よろしく」と右手を差し出そうと少し腕を上げた。



「…うぅ、ん〜」



魘されるような呻き声が三人の間に割って入ったのは、そんなタイミングだった。
存在を忘れかけていたが、縄で縛られて気絶している囚人が居たのだった。
むずむずと眉間にしわが寄ったりしているところを見るに、どうやら意識が浮上しかけているらしい。
杉元ががりがりと後頭部を掻いて溜息を落とした。



「…こうなったら仕方ないか。
アシリパさんも、いいかい?」



アシリパに意思を問う杉元は晴にちらりと視線を向けた。
その意図を汲み取ったらしいアシリパは了承と頷いている。



「ああ。どうせ私のコタンに住まうならばフチから昔話として金塊の事を聞かされる可能性だってあるだろうしな。
説明するなら早いうちがいいだろう」



さらり飛び出したワードに晴は口を半開きに間抜けな声を上げてしまった。



「は?え?きん…かい…?」



「この地にはな、昔アイヌが集めた金塊の話があるんだ…」



…そうしてアシリパから聞かされた唐突な話は、まるで物語のようだった。


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