黄昏鳶

□黄昏鳶 一
1ページ/7ページ


+++++



「うぐぁっ!?」



感じたのは顎の下に食い込む紐の痛み。
次に、急激に身体が引っ張り上げられる浮遊感と、同時に下方にかかる体重。
首吊り宙吊り状態である。
狭まる軌道のせいで呼吸を阻害されて今、酸欠に苦しんでいる。
何とか首を括るワイヤーを外そうともがくが、もがけばもがくほどに首に食い込んだ。
息苦しさと血が止まる感覚に死を予感する。

冗談ではない。
こんな訳の分からない所で、訳の分からないうちに、訳の分からない死に方をしてたまるものか。









■黄昏鳶 一■
〜迷鳥の赤鳶〜










時は20XX年

東京と埼玉の県境付近に住む深空晴は射撃競技を嗜む女子大生だ。
実家から大学に通えるくらいに交通の便は良い。
周囲の生活環境も不足ないしで、なかなか環境は恵まれていた。
バイト先も気に入っているし、大学でも特別優秀ではないが特別酷くもない、まあ平凡にそれなりに過ごしている。
個人でエアライフルを所持するために一時期鬼のようにバイトをこなしていた日々はあったが、まあそれ以外ではごくごく普通の女子大生ライフである。

この日も、通っている射撃場で愛用のエアライフルを持って、いつものように標的を撃ち抜いた。
撃ち終わった後には少しまったりしてから帰るのもいつも通りだ。
そんな風にいつも通りに射撃場を出ると、陽が大分傾いていた。
二月下旬の空は暦の上では春であるが、まだ日暮れは早い。

金赤の陽が街を薄っすら染めている。
ぼんやりと空を見上げる空も薄青の地平線に琥珀のグラデーションが掛かり始めていた。
もうじき黄昏時である。
空を見上げていた視線を前方に戻す。

人が一人向かって来る。
丁度、太陽を背負うような角度だったせいで影が濃く掛かっている。
容姿はよく分からないが、大雑把シルエットだけで見た背格好からして男性だろうと分かる。
そういえば「黄昏時」とは、日が暮れて薄暗くなり、傾いた陽を背景にしたとき容姿が影になり誰であるのか分からない事から「彼ぞ誰」という言葉が変じて「誰そ彼」「黄昏」となったらしい。
そんな事を思いながら晴と入れ違いに射撃場にやって来た「誰そ彼」とすれ違う。

何となく。

その時は、本当に何となくだった。
晴は影だけだった誰ぞの姿を目で追った。
近距離まで近づいたのと、陽射しの向きのおかげで誰ぞの顔を見る事ができた。
相手も晴と同じだったのだろう、何となくといった様子ですれ違いざまに晴へと視線を流していた。

鳶色の髪と瞳。

いつも鏡で見ているのと同じ色だと、そう思った。
日本人にしては明るい赤褐色は鳶の羽根の色に似ている。
晴の金茶に近い鳶色の瞳と髪は、母方の祖母から受け継いだものだ。
今時、外国人やハーフ、クォーターなど特別騒ぎ立てる程に珍しいものではない。
しかし、どうしてだろうか、初対面であるはずのその人と自分は他人である気がしなかった。
彼もそう思ったのか晴の姿を認めた時、やや目を見開いた。

互いに立ち止まる。
向き直ろうとする動きに合わせて晴の左耳に下がるピアスが揺れた。
それが陽光を弾いて煌めく。
同じ煌めきが彼のシューティングバッグに下がったキーホルダーとして揺れていた。

陽は更に傾く。
空は琥珀色に紅が混じり始めている。
黄昏時がやって来た。






ぴーよろろ…






赤く染まる空から、高く鳴く鳥の声が響いた。
いつの間に居たのだろう、上空を二羽の鳶が旋回していた。



「あの…」



と、声を掛けたのはどちらが先であったか。
どちらともなく、ほぼ同時にだったろう。
目の前の人物に対する妙な親しみの感覚に突き動かされるまま一歩、足を踏み出す。



踏みしめた舗装道路が、『さくり』と軽い音を鳴らした。


次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ