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□少女と悪魔の契約料 3
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朝の7:00

深空晴が寝坊助な弟妹を起こす時間である。



「ほら陽菜子、もう起きる時間だよ」



「やだぁ、ねむぅい…」



「もうー、昨夜いつまでも絵本読んでるからぁ。
だから早く寝なって言ったじゃん。
はいはい、お布団被らない!」



頭まですっぽり布団の中に潜ってしまった妹の陽菜子。
その掛布団をはぎとり、肌寒さに小さく震える陽菜子の背を力技で起こす。
それから部屋の壁をノックした。
隣の部屋は弟の蒼太の部屋である。



『…んだよ、うるせーなぁ』


隣の部屋からくぐもった不満の声が聞こえて来る。



「『うるせー』じゃないでしょが!
蒼太もさっさと起きる!」



壁越しにもそもそと蠢く音がする…が、起き上がる気配は無い。
晴に背を支えられてどうにか座している陽菜子も、そのままの姿勢でコックリコックリと船をこいでいる。
そんな弟妹の様子に晴は深く息を吸い込んだ。



「ぐだぐだしない!!
さっさと起きて飯食って支度しろぃ!!」









少女と悪魔の契約料 3











深空家は夜も賑やかであるが、朝は一段とすごい。

魔界では一人静かな森の奥地で暮らしていたゼノリスには、この家の朝っぱらからの騒々しさは堪えるものだった。
思わず無表情の眉間にも皺が寄る(よくよく見ないと気づかない)レベルだ。
故郷で過ごしていたような静けさに身を置く時間が欲しい。






ゼノリスの故郷…魔界。

そこは闇の奥深く。
あるいは地の底深く。
魔族の生まれ故郷。

魔界にはいくつかの世界が存在する。
人間界でいう所の国という区切りに近いだろう。
一口に魔界といっても、様々な特色がある。

とある魔界は一人の魔王により統治され、文明社会と秩序を保つ高等な世界であったりする。
また別の魔界では複数名の領主が各々の領地を治めつつも互いに覇権を争う群雄割拠の世界であったりする。
決まった王や領主はおらず、魔族たちはただ気ままに怠惰に過ごしているという世界もあったりする。
とにかく、魔界にも色々とある。

ゼノリスはそんな魔界の中でも、魔族同士の争いが熾烈な世界に生まれた。
その魔界は魔族の身をもってしても過酷な環境ゆえに、同胞で共食いという事も珍しくはなかった。
生まれたその日から生き残りをかけて日々戦いながら育ち、そして戦いの中で死んでいく。
そんな殺伐とした世界にゼノリスは飽いていた。
かといって、故郷を出るつもりにもなれなかったのは、少なからず両親と暮らした思い入れもあったからなのかもしれない。
幼い頃に他の魔族に両親を殺害され、その日から一人ひっそり辺境の闇深い森の奥で生きてきた。
静まり返った森の木は節が奇妙に瘤をつけた灰色の幹に赤茶けた葉を付け、下草も灰緑色をしていた。
植物や生き物に多様な進化は見られず、厳しい環境に適応できた強い種だけが繁栄していて景色は単調だ。
森に住まう生き物は殆どいない。
そんな静けさに満ちた色に乏しい世界がゼノリスが暮らしていた場所だ。
用事で森を出る事はあるが魔界から出る事はなく2780年以上をそこで生きてきた。

だからゼノリスは今まで知らなかった。
魔界の外には

こんなにも音が洪水のように溢れ騒々しくて
こんなにも色彩が目まぐるしくて
こんなにも生き物の感情が入り乱れて

そんな風に流動の激しい場所があるのだなんて。
彼は始めて人間の世界を知ったのだ。






昼間には深空家の人間は皆居なくなるが、それでも近隣からの人の声や物音は聞こえて来る。
人間よりもずっと出来の良い聴力は、わずかな物音さえも拾ってしまう。
それがいくつもいくつも重なってゼノリスの耳を聾する。
煩わしいのは音だけではない。
人間界はゼノリスにとっては様々な音や気配や臭いが雑然と入り乱れていて混沌と感じるものだった。

しかし、慌ただしい時間に飲まれる前の静かなリビングで朝の挨拶から始まる晴との何気ない会話は割と気に入っていた。
晴は相手との間合いを計るのが上手い。
付きすぎず離れすぎず、構いすぎず放置しすぎず、絶妙な加減だ。
相手が不快にならない程度の丁度良い距離を掴む事に長けているようだ。
その距離というのは、物理的な意味合いもあるし、精神的な意味合いもある。
だから長年一人で過ごす事にすっかり慣れ、自分のペースを邪魔されずにやってきたゼノリスにも晴と過ごす時間は苦痛にはならなかった。
久しぶりの他者との会話を楽しめるくらいの余裕を持てた。
何せ、「おはよう」から始まり食事時には「いただきます」「ごちそうさま」、そして就寝前には「おやすみ」などいう当たり前すぎる挨拶などここ2780年の一人暮らしの間では使う機会の無い言葉だった。
ゼノリスが子供の頃…両親が健在だった頃にはそうした挨拶や日常のささやかな会話などもあったのだが相当に古い思い出となっている。
2780年の筋金入りな『ぼっち』のゼノリスが会話を苦にしないというのは中々に凄い事だ。
晴のそうした距離感の掴み方は、もしかしたら常に弟妹の世話を焼き親の代わりに近所との付き合いもこなしているからこそ身に着いた事なのかもしれない。

そんなわけで、晴との会話は苦ではない。
…が、弟妹が揃った深空家の騒がしさは正直に言えば苦の比重が多い。
ドタバタと弟妹を起こし、朝食の支度をしつつ、陽菜子の幼稚園の持ち物を整える晴を横目にゼノリスはコーヒーが入ったカップに口を付けた。。



「…ゼノリスさん? どうしました?」



陽菜子の席にミルク入りのカップを置きながら晴はゼノリスに問いかけた。



「何がだ?」



晴の唐突な問にゼノリスは意図を計りかねた。



「いや、だって。
ゼノリスさん無表情ながらに顔が険しいんで」



この数日の間に晴はゼノリスの無表情に微妙なニュアンスがある事に何となく気付くようになっていた。
常の基準と比べると、今のゼノリスは顔が険しい。



「…大した事ではない」



小さく擦れるような吐息と共に、そう言うゼノリス。
晴はゆるゆると首を横に振る。



「大したことじゃないかどうかは言ってみないと分かりませんよ」



「別に、いい。
今は最初程は気にならない」



その発言に晴は確信を持った。



「あ、ほらやっぱり。
何か不快な事があるんだ」



うっかりと滑った口に、ゼノリスは視線を逸らした。



「……」



「そういうのは、ちゃんと言ってくださいよ。
契約完了までの間の同居ですけれども、でもその間はお互い出来る限り快適に過ごしたいじゃないですか」



「…今からすぐに改善できる類の事ではない」



「そんなの言ってみなきゃ分かんないですよ。
ゼノリスさんはただでさえ顔に感情出にくいんだから、言葉にしてくれないと伝わる事も伝わりません」



別に、そこまでして気付いてほしいような事でもないのだが。
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