このままじゃネズミに我が家を蹂躙されてしまう。
困るのは乙瀬である。
恥も誇りも意地も捨てて土下座のごとく低姿勢!
90度よりも深く頭を下げた乙瀬を見て、ようやく留飲を下げたらしい花京院が右手を部屋の隅のネズミに向かって突き出した。
彼の隣にハイエロファントグリーンが現れる。
「後で文句を言うなよ」
乙瀬を見ず、ぽそりと付け加えるようにして言った花京院の言葉に何か嫌な予感が駆け巡る。
野生の厳しい世界で生きるネズミはもっと敏感に感じ取ったのだろう。
ピクリと耳を震わせると弾かれたように、その場を跳ぶようにして逃げ出した。
「あっ、ごめっ、やっぱちょっとま…」
乙瀬が前方に突き出した花京院の右腕の裾を摘まんで止めようとするも、一歩遅く。
「エメラルドスプラッシュゥウウウ!」
乙瀬には見えていないが、彼の半身たるスタンドが緑柱石のようなエネルギーの礫を発射していた。
「あ゛ぁあああ゛ー!!」
乙瀬が目玉を引んむくようにして凝視したその先で、ネズミの小さな身体が見えない何かに弾かれ血飛沫を上げて吹き飛んだ。
ネズミは見事エメラルドスプラッシュの餌食となりぐっちゃぐちゃに臓物をぶちまいた。
そして床に落ちていたソファクッションの上に転がった。
かなり加減していたのだろう、部屋へのダメージは回避している。
ネズミだけをピンポイントしているあたりが流石、花京院だ。
「退治したぞ」
何てこと無い、澄ましきった顔で仕事完了を告げる男の横顔はどこかサッパリしている。
それと対比するようなエグい死に様を晒したネズミの死骸がとても酷い。
「おいぃいいいい!
アレどーすんの!ねえ、どーすんの!?」
「うるさいぞ近所迷惑だ。
僕は『とにかく何でもいいから、どうにかして欲しい』と君に言われた通りネズミをどうにかしたまでだ。
後は自分でどうにかするんだな」
「だからって、おまっ!
あのスプラッタどうやって片づけんだよぉ!」
「ネズミの死骸には直に触らないようゴム手袋を付けるんだ。
死骸を片付けたらきちんと部屋を掃除して消毒もした方がいいぞ。
あのクッションも処分だな。
それと、ネズミの侵入経路や営巣チェックもしておけよ」
「そんなん分かっとるわぁ!
あたしが言いたいのはそうじゃねぇ!」
花京院の胸倉掴んで揺すろうとするも、体格差と筋量差で全く持って動じない彼の姿が余計に腹立たしい。
ぎゃんぎゃんと喧しく吠え立てる犬のような乙瀬を迷惑顔であっさり引きはがすと花京院はひらひらと手の平を振った。
「とにかく僕は頼まれた事はやったぞ。
それじゃあ、また明日」
惚れた女に対してこりゃあ、えげつない…などという事は無い。
元々、妙な期待させるだけ期待させてオチはネズミ退治だなどという、あんまりな案件を持ち込んだ乙瀬が悪いのだ。
本人に期待させようとしたな悪質な意図が有ったか無かったかなど関係ない。
ただお仕置きをしたまで。
寧ろ、お仕置き次いでであっても乙瀬の望み通りにネズミ駆除はしっかり果たしてやっただけ大分親切だろう。
「…ああ、それと。
八柱、お礼くれるって言ったな。
その言葉を僕は忘れないぞ」
そう言って薄ら嗤う男の顔のゲスい事。
やはり、えげつない。
「…いとも容易く行われるえげつない行為。
流石、花京院。あたしには出来ない事を平然とやってのける。
そこに痺れない憧れない」
帰りかけた花京院の足が止まる。
勢いよく振り向き、盛大な顰めっ面を乙瀬にズイっと近寄せた。
「一体どっちがだよ。
八柱の方が余程えげつない誘い方をしてくれたぞ」
「嘘つけ!どこら辺がだ!」
「友人だといっても僕は笹山さんや他の女子達とは違うんだ。
僕は男なんだぞ」
「知ってる」
「分かっていて、あんな誘い方をしたのかい君は」
花京院の言葉の意味を図りかねていた乙瀬であるが、先ほどからしきりに「誘う」という言い回しをしている事に違和感を覚えた。
誘う…誘う…誘う?
ネズミ退治を頼みに花京院の部屋を訪ねた時の自分の言動を振り返る。
顎に指を当て、記憶手繰る。
記憶を手繰れば手繰るほど、徐々に徐々に頬の血色が落ちていく。
「……」
…誘った。
確かに、誘った。
その様にとられても仕方ない頼み方をした。
いくら気が動転していたとはいえ、同い年の男子相手にアレは流石に無い。
「…花京院」
「何かな?」
紅鳶色の冷めた視線が胸に痛い。
乙瀬はたまらず顔を背けた。
「…すまなかった」
「以後は気を付けろよ?」
「…肝に銘じて」