黄昏鳶

□黄昏鳶 十一
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「毛皮…リスが6枚、兎が3枚、鹿が1枚、カワウソが1枚ねぇ…
そうだなぁ、それならこれくらいで買い取るよ」



「嘘でしょ? 今は毛皮の需要は上がってるはずよ?」



「そうはいってもねぇ、うちは元々馴染みの猟師から買い取ってるんだよ。
そこを融通してるんだから、これくらいでしょう」



「融通していただけるのはありがたく思いますけど。
だけらってこれはちょっと値切りすぎじゃないですか?」



「いやいや、この鹿は小さいしカワウソは毛皮が少し痛んでる。
こんなもんさ」



「それでも足元見過ぎでしょー」



街道沿いに建つ小さな茶屋の前にて、行商途中の毛皮商と一人の女が交渉していた。
女はこの時代の平均的な男性よりも背が高めで髪や瞳の色も赤めの金茶色であるため、純粋な日本人ではない事が一目でわかる。
洋装の洋袴を履いていて小銃を背負っているので、日本では大分珍しいが女ながらに狩猟を生業とする者なのかもしれない。
つい先ほどに山から降りて来たのであろう、まだ山の匂いが抜けきらない女は元々は休憩の用途で訪れた茶屋でたまたま毛皮商を見つけたのだ。

女が先にも言った通り、今は毛皮需要が増えている。
リスなら20銭くらいでカワウソなら1円ほど。
路銀の足しとしては申し分ないだろう。
しかし、売りに来た相手が女で、しかも一見外国人にも見える相手と来たから、こずるい商人はどうにかこうにか値切ろうとしているわけだ。
そんなわけで何とか相場価格で売りたい女と出来る限り値切りたい商人で交渉合戦が発生しているわけだ。

ちなみに、女には連れの男が居た。
男は薄灰色の外套をすっぽりと着ていた。
だが背負っている小銃と足元の装いからして兵士であろう事が見て取れる。
女と商人から少し離れた場所で交渉合戦する声を背に我関せずの顔で茶を啜っている。

男の名は尾形百之助。
つい先日脱走して来た元第七師団の兵士である。
そしてその連れである女は深空晴。
アイヌコタンで平和な日々を送っていたが色々な面倒臭いしがらみの連鎖によって旅の道連れにされてしまったのだ。









■黄昏鳶■
〜自由なのは鳶か山猫か〜









尾形と晴は数日を掛けて山を越え、小樽を離れた。

獣道を歩き、山で野宿し、獲物を狩り…完全なるサバイバル生活である。
それもあまりゆっくりとした旅路ではない。
追っ手の事を考え、出来る限り足を速めて山道を乗り越えてきた。

雪の残る北海道の山でこの苛酷な行程は女の身には辛い道のりだ。

…と、当初そのように思っていたのは尾形である。(自分で急かしておいて言うのもなんだが)
しかし、どうして、なかなかに。
この女…晴は逞しかった。
普通この年頃の女ならば今ごろはとっくに音を上げて半分泣きべそ弱音垂れ流し恨みつらみしながら足を引きずっていてもおかしくはない。
そんな厳しい行程であるはずが、晴は疲労こそ濃いものの尾形は足を緩める事はあっても止まる事は無く進み続けられた。
彼女は弱音も一切吐かなかった。
時折不平不満は垂れるが、それはこの厳しい山越えに対するものでは無く尾形の上から物言う指図に対する反発心からのものである。

だが反発心とは言っても尾形の指示に片っ端から逆らうような意固地な訳では決してなかった。
尾形の指示がその時その場所では正しい、または従うべきだと納得できた場合にはしっかりとすべき事をしていた。
彼女が指示内容に対して明確に否定の意見を述べる時は、きちんとそれ相応に理由がある時だ。
アイヌで習った山で生き延びる知恵である。
ただの反発心だけで物を判断している訳では無く、今がどういう時かを理解し、その上で晴なりの最善を行っているのだ。
当初に尾形が思っていたよりも晴は山で生き延びる術とその気概を持ち合わせていた。
意外と頼りになる面があったのは良い方向に予想外である。

食料調達の際も晴は率先した。
…というか銃の腕に自信のある二人である。
自然と『狩りは自分が』という意識になってしまうのだ。
そうなると、そこは生粋の狙撃手同士。
晴は元々が競争相手が居ると張り切ってしまう性質であるし、尾形も尾形で師団内でも彼と張り合える狙撃手は居なかったためか、むくむくと対抗意識がもたげるというものだった。
晴は人を撃つことは出来ない甘さがあるが、その技術だけは認めてやっても良いと尾形は思っている。
同じ獲物を競ってどちらが先に仕留めるかやら、どちらが多く獲物を仕留めて来るかやら、競争心に火がついてしまうのだ。
だから、ついつい…
二人では一食では食べきれないほど獲物を捕ってしまった日もあった。
幸いにもこの時期はまだまだ寒い。
冷蔵庫…いや、冷凍庫レベルの寒さであるため、肉の腐敗速度は緩やかだ。
一度過熱して、それを次回の食事にすることも充分可能だった。

そんな訳で、二人で食べるには少々獲り過ぎた獲物。
その分の毛皮も溜まっていた。

山道から街道沿いに出るとぽつぽつと何軒かの民家や茶屋がまだ舗装もされていない道に並んでいる。
休憩に寄った茶屋で行商と居合わせたのは運が良かった。
これは本当に助かった。
何せ今の尾形と晴の懐事情はあまりよろしくない。
脱走兵である尾形の財布に余裕があるわけはなく、晴の路銀も無駄遣いせず切り詰めて最低限にしていれば2か月くらいはギリギリで持つだろうか?というところなのだ。



「まったく、分かった分かった!
お嬢さんには負けたよ!
その価格で買い取らせてもらう」



「やった! 毎度あり!」



そんな訳で、旅の先行きが掛かっている晴は執念深かった。
食い下がる晴にいよいよ根負けしたのは商人の方であった。
獲物に執着するヒグマのように価格交渉に執念を見せたのだ。



「いやー、参った参った。
…兵隊さん、あんたの連れだろあのお嬢さん」



晴から買い取った毛皮を丁寧に畳みながら荷の中に仕舞う行商が尾形に話しかける。
尾形は相変わらず無言を貫き茶を啜っているのみであるが、行商は特に気にした風は無く勝手に喋っている。



「俺もあんな子と商売組めたら楽できそうなのにな。
美人で明るくて交渉にも粘り強くて、そんで狩猟も出来るんだろ?
それに乳も尻もでかい。羨ましいよ」



そう言って彼らが視線を向ける先には、売り上げたばかりのお金をホクホクと握りしめて早速休憩の共に甘味を求める晴の後ろ姿がある。
今は年相応に可愛らしく甘味に目を奪われる女子しているが、アレは中々の男勝りで特に射撃の腕を競うような事になると一歩も引かない。



「…ああいうのは跳ねっ返りって言うんだぜ。
口開いたら生意気ったらねえぞ」



「女はそのくらいがいいんだよ。
夫の三歩後ろを歩く慎ましい女がいいって言う奴ぁ多いけど、色んな商売仲間を見てる俺からしたら逆だね逆。
嫁を後ろに下げてる奴ぁ出世しないし、したとしても長くは続かないね。
時には女の口達者がもの言う事もある。
とはいえ、それも程度ってもんがあるだろうけどな」



「…」



「茨戸の宿場町に商売で寄った事があるんだが、そこにニシン番屋があってねぇ。
そこを仕切ってんのは実質親分じゃなくてかみさんだな。
大分あくどい女だが、あの番屋はあそこの親分だけじゃ、とっくに子分に乗っ取られてたろうな」



「……」



「あ、そうそう、今あの街はちょっと荒れてるから特別用が無いなら寄らない方がいいよ」



行商の長話を半分聞き流していた尾形であるが、情報将校の許で働いていた癖であるのか少しでもきな臭い情報には目敏くなるものだった。
横目にちらりと行商を見る。



「…そのニシン番屋で仲間内の抗争でも起きたのか?」



「どうやら、そうらしい。
俺も詳しくは知らないんだ。
空気悪いのを感じて、とっとと逃げてきたんだ。
あの街に変わった品物があるって噂聞きつけたもんだから、金になりそうならあわよくば手に入らないかと思ったんだがなぁ」



行商のボヤキを聞き逃さなかった尾形の真っ黒い目が一瞬鋭く光りを灯した。



「変わった物?」



「ああ、なんて言ってたかな…妙な刺青の入った皮だって…」



「…ほう、そりゃあ確かに妙な物だな」



口元がニヤリ笑みを形作る。

それから二、三言葉を交わすと行商が次の目的地へと向かうため、一足先に席を立つ。
それと入れ替わりに串団子を注文した晴が戻って来た。


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