上階のクソ尾形さんとの戦争生活

□上階のクソ尾形さんとの戦争生活
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「ふー…晴れたねぇ今日は…いい洗濯日和だぜ」



雨模様の精神状態とは真逆の晴天だ。
そう多くはない洗濯物を干した洗濯ハンガーがベランダの物干し竿に掛かっているのを深空晴は盛大な溜息を吐きながら眺めた。

昨日、男に振られた。
女友達と一緒に合コンに行って気の合う相手と出会った。
帰り際に告白したら見事に玉砕した。
彼の方は晴と一緒に来ていた友達に好意を寄せていたのだ。



「はぁ〜あ…いや、まあ確かに分かるよ気持ちよく分かるよ。
あの子はホント可愛らしいもん。
私が男だったら絶対あの子の方がいいもん」



晴とて決してブスというわけではないし、寧ろ容姿自体は中々に良い方だと自信はある。
ただ、少々性質に問題が有り男が寄り付かないのだ。
性悪という訳ではない。
単に言動があまり女らしくなくて、趣味も射撃というどちらかといえば男っぽい側面が晴を男性たちの性的関心から遠ざけていた。
彼氏いない歴=年齢の晴としては、ここいらでそろそろ初彼氏をゲットしたいところだった。
20年の人生の中で、未だモテた事が無い…そんな焦りからか、つい食いつき気味だったのは認めよう。
万一に備えて下着も勝負下着を着て行ってしまったくらいだ。
それだけ気合を入れていただけに、見事敗北を喫した自分の姿が滑稽で無様なのだ。



「ま、しゃあねーわな。終わったことだ。
また明日から一週間気持ち切り替えるさ」



明日からまた憂鬱の月曜日であるが、傷心紛らわすには学業で忙しくするのは丁度いいかもしれない。

晴は女子大生である。
大学までの距離は実家から通うには少々交通に不便があり、こうして賃貸に一人暮らしをしていた。
周辺の治安は特に悪い噂は聞かないし、近くにコンビニはあるし、駅まで徒歩で5分ちょい。
なかなかの物件だ。
住み心地は良いと言えるだろう…



「…ん」



ぱらぱらと、上から何かが降って来る。



「ぅわっ!」



晴は咄嗟にそれを避けた。
ヤニ臭さと共に落ちてきた灰色のそれは、まだ少し内部に小さな赤い灯りを残していた。
触れれば火傷だ。
晴は上階から降って来た煙草の灰を躱すが、その風圧で軌道が変わった灰はひらりと洗濯物の上に落ちた。



「あ、あーっ!!」



犠牲となったのはパンティー。
するりとした気持ちのいい肌触りのパンティーは紺色に白のレースをあしらったセクシーで大人っぽいデザインであるが清楚感も備えている。
晴の一張羅。
勝負下着である。
昨日の合コンで履いて行ったパンティーである。
それが今、無残な焦げ跡と虫食いのような穴を開けている。
しかも丁度股の部分に穴が開くとは。



「…っ!」



晴はキッと上方を睨む。
煙草の灰の出所に心当たりがあるからだ。

つい先ほど、「なかなかの物件だ。住み心地は良いと言えるだろう」と称したが取り消そう。
『奴』さえいなければ住み心地の良い物件だ。

奴…
晴が睨み上げた先にはこの部屋のすぐ真上に住んでいる男がベランダの柵に寄り掛かりながら煙草をふかしていた。
年齢は知らないが多分25歳前後だろうか。
黒髪をツーブロックのオールバックにした髪型で口元から顎にかけて髭を生やしている。
両頬には縫った痕が残っているのが印象強くて一度見たら忘れられない顔だ。
上階の住人…尾形だ。
下の名前は知らない。
一階のポストに『尾形』と表札が入っていたから苗字だけ知っている。

この男。
言葉を交わした事は無いし、目が合っても挨拶どころか会釈すらない不愛想な男だ。
晴はこのマンションに暮らし始めてからというもの、ほぼ毎日のようにこの男からの迷惑行為を被っていた。
たったさっきのように煙草の灰が上から降って来るのは頻繁だし、週に3回は夜中にギシギシアンアンギシギシアンアンどったんばったんどったんばったん響いて来る。
…いや、まあ、性欲は人間の三大欲求の一つなのだからセックスするなとは言えないし、少なくとも自分の部屋でしているのだから文句は言えないが…ただ、そう…音がすごい。
このマンション、壁はそう薄くはないはずなのだが…どれだけ激しくやってるのか。
若さのなせる業なのか性欲のなせる業なのか知らんが、下階や隣の部屋に対する配慮をもう少しして欲しい。
そして、おっぱじめる時間も考慮してほしい。
夜の1時から始まって明け方までぶっ通し激しくギシギシしてるのなんてヤバいでしょう。
抱くと決めたらしこたま抱くのが紳士なチンポ?うるせえ知るかそんなもん。
そんな訳で夜うるさくて寝不足になる事が多いのだ。
休日には昼間っからギシアンしている事もある。
今日もたったさっきまでお楽しみでしたね。
時々、連れ込んだ女の私物と思われるランジェリーの類が晴のベランダに落ちている事がある。
そういう時は尾形の部屋のドアの投函口に突っ込んでやっているけれども。

きっと尾形は意識などしていないのだろう。
意識せず人に迷惑をかけている。
自分がしたい事をするだけだ。
そういう人種だ。

今だってきっとそう。
尾形の迷惑行為はいつもの事。
そう、いつもの事。

…だが、今回は流石にいきすぎである。
器物破損…どころか下手すりゃ火事だ。
そして何よりもタイミングが悪かった。
男に振られた翌日に勝負下着に穴開けられたときたら、そりゃあもう文句の一つも言わなきゃ気が収まらない。



「尾形さん!」



語気強めに呼びかける。
しかし、それでも尾形はまるで何も聞こえていないかのように煙草を吸っている。
こちらを見る気配もない。



「ちょっと!呼ばれたら見るくらいしたらどうです!?」



張り上げた声は思いのほか響いた。
他の部屋の住人にも聞こえてしまっているだろう。
尾形はようやく気怠そうな瞳を晴に向けた。
晴は尾形がこちらを見ていることを確認した後、洗濯物を指示した。



「あなたの煙草の灰が落ちてウチの洗濯物が焦げたんですけど?」



腰に手を当て、尾形の飄々したツラを見上げていると尾形は煙草を咥えたまま怠そうな声音でこう言った。



「ああ、そうか。そりゃ大変だな」



ファック。



「あ゛?」



晴の米神に青筋が浮く。
血管がびきびき言っているのが自分で分かる。
言い返してやろうと口を開く。
しかしその言葉が舌を離れる前に、肝心の尾形はベランダから部屋に戻って行ってしまった。
面倒臭い事態を察して逃げたのだ。



ファックソ野郎尾形てめえ。



晴は焦げて穴が開いたパンティーをひっつかむと玄関へと向かった。
もう許さん。
今日と言う今日は許さん。
今まで我慢して来てやったが今日こそはブチかましてやる。
だんっだんっと足音荒く階段を上がり目的の部屋のドアまで大股に歩いていく。
尾形の部屋は真上。
305号室の真上なわけだからつまり405号室である。
405号室…表札は付いていないが間違いなくここがあの男のハウス。
晴は一切の躊躇いなくドア横の呼び鈴を力強く突いた。
ピーンポーン…と来訪者を告げる音が鳴る。



「…」



少し待つ。



「……」



ドアの向こうで人が動く気配はない。
晴はもう一度呼び鈴を押す。今度は二回。
ピーンポーンピーンポーン…と。
決して気のせいでは無く来訪者が来ましたよ今もまだ居ますよと間違いなく分かるだろう。



「………」



ドアの前で佇む事5分が経過。
よーしよーし。
よく分かったよ。
近隣住民の皆さんこれから少しばかり騒がしくしてしまいますごめんなさい。
でも悪いのは全部あの男。



「出て来いDQN野郎!」



呼び鈴を押す指はさらに加速。
呼び鈴を連打しつつ尾形の名前を大声で呼びつつドアを激しく叩くという荒業に移る。
さあいつまで耐えられる?
晴が疲れて諦めるのが先か、尾形が騒音に耐えかねて出て来るのが先か。
勝負といこうじゃあないか。



ピーンポピーンポッピポピピピピンッポポピンポピンポーピーポピッポポピピ
ガンガンガンガンガンガンッドンガンダダッダダダッダダンガガンガンガンッ



「尾形さーん!尾形さん尾形さん尾形さんおーがーたーさーん!
おがちゃんおがちゃん!ピュウッ!ピュウピュウッ!
居るんでしょ知ってるんだからね、おがにゃーん!
お・が・た!お・が・た!hey!お・が・た!お・が・た!」



「やかましい」



漸く開いたドアはチェーン付き。
半ドアのすき間から聞こえた声は極限まで低く、騒々しい来訪者を咎めた。



「もっと早よ出ろや!」



半開きのドアから心底迷惑顔で晴を見下ろすのは、間違いなくこの部屋の主。
そして晴が握り締めて眼前に掲げてみせたパンティーに煙草の灰で穴を開けてくれた張本人。



「さっき見てましたよねぇ貴方。
ご自分が吸ってらっしゃる煙草の火ぃ落ちて私のパンツに穴開けちまいやがりましたの分かりましたよねぇ?
何で無視するんですかぁ??」



自分の目の高さまで掲げられた晴のパンティーをしげしげ眺める尾形。
何の感慨もない黒い瞳が股に穴が開いたパンティーと晴の顔を見比べてくる。
正直、好きでも何でもない異性に自分の穴開き勝負下着を見せるのなんて嫌であるが、今は怒りが恥を上回ってしまっている。
さあ、こいつをどうしてくれる?



「…はぁ」



尾形が溜息を吐いたかと思うと、くるりと踵を返して部屋に戻って行ってしまった。
逃げるのか貴様!



「ちょっと待ちなよ!逃げんな!」



「一々喚くな。うるさい女だ」



暫しして部屋の奥から戻って来た尾形が面倒臭さを隠しもしない様子で何かを晴に向かって放り投げた。
唐突に彼の手から放りだされた黒い物体。
放って寄越されたのはスケスケの小さな布と紐で出来たもの。
ソレを顔面キャッチした晴は眉間に皺を寄せながら指で摘まんで広げてみる。



「今日来た女が置いてった。ソレやる」



黒いスケスケレースの紐パン。
しかもクロッチ部分が開口するデザインで、明らかに用途は『ソッチ』のためにあるエロ下着だ。
晴はニコリと微笑み目前の気怠そうな黒い瞳を見上げた。



「尾形さんよ。戦争ってどういう時に起こるか知ってるかい?
舐めた態度をとられて謝意も誠意も微塵も感じられない時だ」



尾形の部屋の玄関先にたたきつけた黒いスケスケレースの紐パンは、宣戦布告の手袋代わりとなった。



今この瞬間をもって。
上階のクソ尾形さんとの戦争を宣言します。


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