世界の果てに虚海があり、その東と西にはふたつの国があった 交わることのない二国には伝説がある 海上遥か彼方には、幻の国がある、と 選ばれた者だけが訪れることができる至福の国 豊饒の約束された土地に、富は泉の如く湧き溢れ、老いも死もなく、苦しみは存在しない 一方の国では蓬莱と呼び、もう一方では常世と呼んで多くの者が憬れた 常世と呼ばれる十二国、その一つ慶東国では新王が立つ頃に側国である巧州国は崩れるように倒れ、待ち構えていたかのように直ぐに塙果は生った しかし、その塙果は本来一年ほどで女怪に捥がれるはずが、いつまで経っても捥がれる気配がなかった まるで塙果には魂が宿っていないかのように、暗く濁って小さかった 巧国の長い冬が始まりを告げた 「馬鹿が妙な気を感じている。陽子、そちらも気をつけておけ」 雁州国から来たばかりの青鳥はそれだけを告げて、景王の陽子の元から去ってしまった 妙な気を感じる 確か数日前に景麒も同じようなことを言って、気分が悪いと下がったことがあったと思い出して、陽子はすぐにその臣下を呼び出す 「延王から警告があった。何か分かるか?」 「分かる、と仰いますと」 「……麒麟が感じる妙な気とは何だ」 回りくどい言い方をするのは、この十年で止めてしまった 十年をかけて、慶国は思い通りとまでは言えないが少しずつ整っている気がしている まだまだ悩みは尽きないが、十二国の情勢を気にするぐらいの余裕は出来た そんなときに、この知らせだ 気にしない方がおかしい 「本当に分からないのです。こんな感覚は今までになく、悪事か善事か判断し難く。ただ、あまりいい気はしないのは確かです」 「それはどの麒麟も恐らくは同じだろうな?」 「はい」 各国に問い合わせても、この調子ではあまり成果はないだろうと判断した陽子は溜息を吐いた 「何か来るぞ」 「心の準備をしておきます」 「今は迂闊に動いても無駄なようだな。ただお前の言うとおり、準備するのに越したことはない」 何が来ても驚かないように、この十年で作り上げてきた国を揺るがすことがないように、心を落ち着かせて事態が動くのを待つ それが、今の慶国の主従に出来る最大限のことだった 一方、蓬山では妙な気の正体を知ろうと延麒が玄君を訪ねていた 里木の下には相変わらず、のんびりしている塙果の女怪がいて、その側にはその麒麟を担当するはずだった女仙が寄りそって水を飲ませていた 十年、変わることのない光景 小さく濁った色をしている塙果はもうきっと落ちてしまうのだろう しかし、そう言われ続けて早十年が過ぎた 未だに塙果は保たれている これは巧国にとって、王が決まらないよりも更に凶事だった 次の麒麟が生まれることすら出来ないのだから 延麒が憂いを帯びた瞳で何も知らずに塙果だけを守り続けている女怪を見つめていると、その女怪がさっきまでゆったりと水を飲んでいたはずなのに急に立ち上がり、そわそわと里木の周りを動き始めた 「何だ?どうした!?」 「……延台輔」 延麒の存在を認め、控えた女仙に対して女怪は興奮を抑えきれていない 「塙麟、塙麟。ああ、塙麟!」 「塙麟!?」 「これは、一体。延台輔、何かご存じでしょうか?急に記胡が、ついさっき塙麟と口にして」 「この塙果は塙麟だ。でも、何故今頃になって」 この塙果が麟だということを延麒は初めて知ったし、この女怪がその名を口にすることはなかった つまり、それは何かの変化を表していて、先ほどまで淀んでいたのが嘘であるかのように目の前の塙果は色みを帯び、今までの倍以上に大きく膨らんで輝いた 「分からぬ。ただ、泰台輔の一件から大きく歪んだ歪みがこの塙果にも影響しているかもしれないと考えるのは間違っているかえ」 「玄君」 「十年生り続けたのも、歪みか」 「可哀想な存在よの。何も悪いことはしておらぬのに、国の民が迷惑だ不憫だ、挙句には同胞の麒麟にさえ、見捨てかけられての」 「これは大事になるぞ」 「麒麟は麒麟。これできっと巧国も良い方向へと導かれよう」 蓬山は麒麟贔屓だ 特に生まれてくる麒麟には甘い その存在がどのようなものであったとしても、可愛がらずにはいられない そのために創られた薄皮、麒麟の優しい住処 女仙たちも玄君の指示により準備に動き始めた 「延台輔もゆっくりしていかれると良いのではないかえ。この調子なら数日で生まれる。麒麟が生まれるところなど、滅多に見れるものではなかろうかて」 「……ああ」 見届けなければ、帰れない気がした この妙な気の正体が、生まれてくる塙麟なのだとしたら余計にそうせざるを得ない その頃、日本でもある蓬莱では、問題の塙麟がすでに存在していた 「誰か、呼んでいる」 分かっていた でも、これ以上動けないのだ 体は年を重ねる度に動き辛くなって、今では時々原因不明で寝込む 空間の歪みは時空の歪みを生み、存在してはならない彼女は存在していた 「……助けて」 彼女は時折胸の奥を締めつける苦しさに耐えながらも声のする方に向かって手を伸ばした こんなことしたからといって、きっと何もないのだろうと分別は付く年齢だったので無駄だとは分かっていながらも、何かに縋るしかもう乗り越えられる気はしなかった そして、そんな彼女の手を掴んだ者がいた 彼女は引き摺りこまれるようにして、光の中に姿を消した 残った寝台には彼女の温もりだけがそっと残った |