euphoria

□スペシャリストの誇り
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あまりにも常識外れ
本来は一蹴してしまうはずの事態に、常識外れの場所に人達に常識外れを持ちこむだから、人間はいつまでも人間なのだと感じる


「お久しぶりです、ミス・ヘッケル」


あまりにも思い詰めたような表情を横でいられては話しかけないわけにもいかない
昼食時で大量に並べられた料理を口に運びながら本を読みながらという状態であったが、幸い口は動く
その人物は連邦大学にいる探偵である彼女が横にいるとは考えもしなかったのだろうか
目を瞬いて彼女を上から下まで見ると、ようやくその姿を認めたようだった


「ちょっと……いいかしら」


幸か不幸かその場の学生の姿は疎らだった
明らかに周りを気にしている様子のヘッケルに彼女は一瞬躊躇ったが、仕方ないと諦めて耳を傾けることにした
その判断はすぐに正しかったのだと彼女思うことになる
話はログ・セール西海岸の無差別連続殺人事件のことだった
仮にも医師が事件の部外者に話すのは異例のことだ


「彼が連続殺人を犯したかもしれないわ」

「彼?」


名を隠すように囁くヘッケルに、彼女は怪訝そうに顔を曇らせた
ヘッケルが言っているのは誰のことか、彼女の頭に浮かぶのに珍しく多少の時間がかかった


「あなたはレティシア本人ですか?」


ヘッケルに対してにこりと笑う青紫の瞳の奥には、年上に向かってその程度ことも分からないのかという嘲笑が含まれていた


「いいえ。けれど、そう考えれば少しだけ確信が持てるのよ」


これだから中途半端に歳を取った大人は厄介だと心の中だけで舌打ちした
目の前の者よりも多くを知っていると過剰に過信して思っていることを下の者に押しつけてくる
残念ながら、彼女の実年齢はヘッケルより遥か上のはずなのでこの事態に当てはまらないが、ヘッケルから考えると強ち構図として間違っていない


「ミス・ヘッケル。あなたはレティのことを何も分かっていない」


いいですか、とは言わずに彼女は食事を細々と続けながら雑談のように、けれどもはっきりと断言した


「あの子はやりません」


完璧なまでの否定は自負でも何でもない
彼女は彼とリィたちを除いて本当の意味での付き合いが長く、彼のことをよく分かっているし知っている


「何故?」

「彼が玄人だからです」


彼女の仕事にも言えることだが、何人とも密かに殺してきた玄人にとって、一番に懸念することは自分がそれをやったと見つかることだ
万一、レティシアが殺ったとしてそれを見つかりやすい場所に放置するはずがない
ヘッケルには理解できないのだろう
ひたすらに首を捻られて終わりだった


「協力できなくて残念です」


殺人者として疑われているレティシアには悪いが、ある一定の理解を示そうとしない相手に何を話しても結局無駄なのだ


「では、こちらも仕事なので失礼します」


彼女のお腹が膨れたところで、ヘッケルとのこの話は終わったように思われた


「こんにちは。シェラ」

「お久しぶりです」


彼女の予想に反し、ヘッケルは行動力が少し豊かなためにその行動力を無駄に使ってアイクラインにまで来ていた


「ちょっといいかしら?話があるのよ」


躊躇いがちに言って、ちらりとリィを見る
勘のいいリィは視線の意味をすぐに理解した


「俺は席を外すよ」

「はい。では後で」


ヘッケルはシェラを校内の食堂に誘った
食堂の一番奥の窓際にシェラを座らせて、ヘッケルは話を切り出した
シェラ自身、穏やかな話ではないと薄々気づいていた


「貴方、あの事件を聞いて……どう思った?」

「どうとは?」


シェラは意味が分からず、紫の瞳でヘッケルを見つめ返した
ヘッケルは周りを慎重に確認するとさらに声を潜める


「彼がやったのだとは思わなかった?」


シェラは驚いた
言われてみるとすぐに顔は思い浮かんだのだが、一度たりともそんなことは考えなかった
夢にも思わなかった


「……本気でおっしゃってるんですか?」


聞けば聞くほど、あの男のしたことではないとはっきりと分かるのにヘッケルにはどうにも理解できないようだった
これにはシェラもお手上げである
念のため、と動機を訊ねてみるとまたしても奇妙な奇想天外な答えが返ってきた


「殺すこと自体が動機であり、最終的な目的なのよ。こういう異常殺人はほとんどがそうだわ」

「あなたは大変な勘違いをしておられる。あの男にとって殺人は純然たる仕事だったんです。趣味、ましてや娯楽になどなりません」


シェラの顔には一度は驚きで消えた微笑が浮かんでいた


「仕事と言ったわね。その仕事はレイラも関係ありそうな話なのかしら?」

「は?」


ぽかんと先ほどより驚いたように口を開けたシェラに対して、ヘッケルの茶色の瞳は真剣そのものだった


「どうして急に話が飛ぶのでしょうか?」


心を一度落ち着けてから、シェラは彼女の名前を出した途端に落ち着きがなくなっているヘッケルに訊ねた


「実はレイラのこと、信用はしているけれども信頼はしていないの。彼女は優秀よ。表向きは探偵として知る人ぞ知る存在だわ。でも、ここに来る前に彼が彼女とは知らずに指示通りに動いていた時期があったと以前言ったわね。彼女は手を汚さずに彼を使っているのよ」

「だから」


シェラはその極端すぎる解釈に頭を抱えた
まるで彼女がレティシアに腕が鈍っていないか腕試しをさせている、もしくは殺人を指示しているように聞こえる
そして、ヘッケルは可能性が多大だと確信している


「今の彼女にそのような感情や行動はありませんよ。あの男を使っているなんてことは有り得ません」


この間まで彼女は彼女とも名乗らずに導いてくれていた関係だった
それ以上でもそれ以下でもない
彼女が言ったことを最初から信じ切ったわけではなく、次第にその事実を認めるようになっただけに過ぎない


「過去は繰り返されるのよ。あなたとは意見がどうも合わないことが分かったわ」

「……根本的に考えが違う私とあなたではいつまでも平行線にしかなりませんよ」


シェラは決まり切ったことを何度も言いすぎたからか深い溜息を吐いた


「あなたに見せるのは本当は違法なのだけれど、もしよかったら、その遺体の記録を見てもらえないかしら」


ヘッケルの言葉にきょとんとするシェラだった


「私はかまいませんが、何のためです?」

「あなたの感想が聞きたいのよ」

「つまり、あの男の仕業かどうか確認して欲しい、そういうことですか?」


回りくどいのはどうも苦手で仕方がない
シェラが端的に突っつくと、どうもその断片にヘッケルの真意が垣間見えた


「殺人が日常茶飯事だった社会にいた、あなたの意見は参考になると思うの」

「でしたら、見せる相手が違いますよ」


シェラは微笑して言った


「それこそ、ヴァンツァーかレイラなら一目でわかるはずです」


ヘッケルは訝しげに瞬きしてシェラに訊ねたのだった


「どうしてそう言い切れるの?」

「ヴァンツァーとレイラとは私が知る前から一緒にいましたし、ヴァンツァーとならあの男と組んだことがあるはずですから。その仕事ぶりも知っているでしょう。一方、私はそういう経験が一度もないんです。……幸いなことに」


最後は小さな独り言だった
しかし、ヘッケルが顔色を変えて注目したのはそこではなかった


「……組んだことがある?」

「はい」


平然としてシェラは言う


「あの男もヴァンツァーもファロット一族でしたから。あちらでは暗殺を生業とする者の名前でした」

「でも、まさか」


喉に絡んだような声を発したヘッケルであった
信じたくないが、目の前に座っている銀髪の美少年の名をシェラ・ファロット
まさか、あなたは違うでしょうと言いかけた女医にシェラは最上級の笑顔を用意して待っていた


「そうです。私もかつてはその一人でした」


いつまでも過去に囚われるのは、これでお終いにしたいものだった

一方、彼女は大学の公共の電子掲示板を訪れていた
開設以来、連邦大学に住む人間なら誰もが利用できる伝言板として有意義で重宝されている
不特定多数に見られてしまうその場所は言い換えれば交流が殆どない相手に見てもらう可能性も高い


「こんなものかしら」

「レイラ?」


聞き慣れた声が不審そうに背後からかかり、彼女がくるりと振り返るとルウが不思議そうに彼女が書きこんだ内容をを覗きこみ足を止めた


「珍しいね、これを利用するなんて」

「そう?」

「しかも、レティシア宛」

「高校生とでは今は時間が噛み合わないから。私が家に帰ってからでは、レティーの門限と通信制御に引っかかるだろうし」


ルウへの当てつけのような単なる言い訳だが、正当性は十分に証明される。


「彼と何を話すつもりなの?」


ルウはとにかく心配する
過保護と言われようがその姿勢は変わらない
世界への極力の干渉は禁じられている彼女は、寂しそうに微笑んでルウの耳元で囁いた


「少し過去と未来の話を」


彼女の方がルウよりはぐらかすことは一枚上手だった

レティシア・ファロットさま
サフノスク大学食堂にて本日の昼休みに待っています
少しお時間をください
レイラ


「もっと婉曲な表し方があったんじゃない?ここ、公共の掲示板だよ」


身も蓋もない書き残しだ
誰でも様子や話の内容を聞こうと思ったら聞くことができてしまう
そんな暇人が大学内にいるかと問われたらほとんどないと言い切れるが、不注意極まりない


「それじゃあ、記録に残らないから駄目なの」


彼女は薄くピンクに染めた唇を綺麗に意味深げに三日月にして微笑んだ
その顔にルウは見覚えがあった


「……また何か企んでる顔してるね」

「さあ、どうかな」

「じゃあ、僕こっちだから」


ルウには今の彼女とは違い、様々な友人が多いのだろう
遠くの方でルウに気づいて、名を呼ぶ者がいる
呼ばれた方角に去っていくルウを彼女は関わりない者のように黙って見送った


「そうだ、今日の夕食はグラタンを用意しようと思ってるんだ。来る?」

「……考えておくわ」


ルウの微笑む綺麗な横顔に一瞬でも惹かれそうになった彼女は自分を恥じた


「レティ」

「何だ?」

「お前の名前、掲示板に貼られてたぞ」


教師からの呼び出しか、それにしても何も目立つようなことはやっていないのにどうして呼び出されなければらなないのか、レティシアは腑に落ちない顔を一瞬見せたものの、知らせてくれた友人には人の当たりの良い猫を被ってお礼を言った


「ちょっと、見てくる」

「ああ」


ズボンのポケットに手を突っこんだかと思うとレティシアは重い腰を上げた
この後は寮に帰るだけなので、鞄を肩に提げてそっと教室を出た
掲示板はすぐに目に入る場所での、例えば高校の掲示板でも回線を通して観覧ができるようになっている
レティシアへの伝言が貼り付けられた場所はサクノスクという妙に引っかかりのある、普段は全くと言っていいほど関わりのない場所だった


「レイラ?一体何の用だ?」


レティシアはこの時点で何もかもに対して無自覚だった
今日は昼からの予定も特に入っていない
レティシアは先ほどよりも足取り軽く、サクノスクに向かったのだった。
レティシアがちょうど着いたのは昼休みが始まったばかりで大学食堂は程よく混み合っていた
彼女はその前から時間を空けていたため、見慣れない場所にやって来たレティシアに手を振って取っていた場所を示した


「久しぶりじゃん」


彼女は微笑んでレティシアに向かいの席を勧めると、先に飲んでいたミルクティーを一口口にした


「一か月ぶりか?」

「それぐらいになるかしら」


茶色の液体に浸されたスプーンがちゃぷちゃぷと揺れる
スプーンの先を持つ手は相変わらずどこまでも白く色が抜けている


「レイラが俺を呼び出すなんてどうした?仕事じゃないだろう」

「ねえ、レティ。何か変化はない?」

「変化ねぇ」


思案するレティシアの表情を見つめる彼女の顔は真剣である
目線だけで、玄人に嘘はつかせないように冷たく見下ろす


「どうしたよ?らしくねぇぜ」

「言われなくても分かってる」


悪戯っぽく笑ったレティシアに休戦を申しこんだのは彼女だった
媚びのない自虐的な笑みを浮かべて、己を落ち着けるようにまた一口紅茶を含む


「ただ私が何かしてあげられるのなら、と思ったのよ」

「……」


彼女は半端でない年数を重ねた探偵という名の役者だ
レティシアの反応を窺う眉が下がり、唇は完全に色を失っている
特徴的な青紫の瞳は扇情的に微かに憂いを帯びていた
中途半端な色気などではない、危険な色を含んだ表情


「待てって」


そんな表情をするなと何度も言い聞かせても直らない彼女の表情は年齢に相当しない
余程の精神の持ち主でなければ、絶対に彼女への悪戯に走っている
しかし、レティシアは彼女に対してその手の犯罪に走った者の行方を知っていた
彼女は体の線は細いくせに、精神的にも肉体的にもリィやルウほどに強いのだ
辛うじてレティシアを止めているのは糸のような理性と未来を予想しての踏み止まりだった


「ごめんなさい」


端から見れば、レティシアが彼女を責めている図にしか見えない


「俺もよくわかんねぇよ。ただ、ちょっと人に付きまとわれててな。今度、王妃さんにでも頼んでみようかと思っている」

「私じゃ、駄目?」

「そういう意味ではないけどさ」


よく考えろ、とレティシアの脳が叫んでいる
本来はリィに回るはずだった役割だが、少し変更しても良いのではなかろうか。見た目が一、二歳離れているのは年下にしろ年上にしろどちらにしても同じだ
まだはっきりと目にしたことのない未知の彼女の力を推し量ってもみたかった
リィは本当は彼女の方が強いと口にしたし、ルウにいたっては負ける気しかしないと言っていたほどの力とは何なのか
到底辿り着けない未知に興味はそそられるばかりだった


「少し考えてもいいか?」

「ええ、どうぞ」


時間はまだ沢山ある




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