夢花

□失う世界の残滓
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失う世界の残滓

侵入者だと槍を目の前に突きつけられて途方に暮れた
見たこともない頑丈な鉄の防具を身に着けた兵士のような者たちが、疑いの眼で此方を見ていた
兵士たちの後ろに見え隠れする姉弟が二人、まるで妖怪でも見たかのように怯えて震えて互いに寄り添っていた
泣きたいのは此方の方だ
ただ一人ぼっちで草や石で面白くもないごっこ遊びをしていただけだというのに、突然人の中に落とされた
苦しみも痛みも違和感もない
転がった石を取ろうと踏み出したら、次の瞬間には何もかも違う場所に足を踏み入れていた
何も言い訳できずに拘束され、冷たい鉄格子の入った牢屋に入れられた
何か悪いことをしたのだろうか
ただ遊んでいただけの子どもをこんな場所に連れてくるなど、幾ら侵入者と言われても彼女の常識では考えられなかった
ここはきっと平和ではない場所なのだ
周りの大人の、兵士の格好も滑稽な物語の中にいるような兵士だったし、何より子どもへの扱いがまるでなっていなかった
とんでもない場所に来てしまったと気づいたが、彼女自身どうやって来たのかどうやって帰ればいいのか分からない
分かっていたらこんな物騒なところ、すぐにおさらばしている
そんなことを考えていたら夜になって、幼い彼女のお腹が鳴った
しかし、その音が幾ら鳴り響いても、それを聞く人間は彼女以外その場所にいない
いつまで不遇な状況が続くのか不安で泣くしかできなくなった
帰りたい
温かい家で夕ご飯を食べて、温かい寝床で寝たい
いなくなった自分のことを家族は心配しているだろうか
もし、このまま死んでしまったら友達は泣いてくれるだろうか
色々なことを考えて頭に浮かべては消し、また浮かべて消した
冷たい牢屋の中で朦朧としていた意識が微かな灯りで現実に戻ってしまった
どうやら人の声が此方に近づいているらしい
制止する声も聞こえる中、足音は着実に彼女の方に向かっていた


「何だ、まだ子どもじゃないか」


壁の端の方で凍えていた彼女を確認したその人物は呆れたように呟いた
助けかはたまた敵か
この状況で彼女の味方が現れるとも思えなかったが、暗い場所にしばらく一人で置かれていた恐怖は幼い彼女には相当堪えていた
敵でもいい
とりあえずこの場所から少しでも環境の良い場所に移動したい
そのためには誰彼構わず媚びるしかない


「お願いです。ここから出してください」

「話せるか。おい、水を」


彼女が鉄格子を握って縋ると蝋燭の火が床に置かれ、その人物は彼女の状態を把握して周りに指示を出す
躊躇う周囲に対して、目の前の人物だけは自らの意思で動いているのだと分かった
運ばれてきた木製のコップに入っていた水を受け取り飲み干すと、自分が今やらなければいけないことをはっきりと思い出して涙を拭った
泣いている時間が惜しい


「わたしは水瀬玲良です。九歳です。もうすぐ十歳になります」

「九つか、白龍より少し上ぐらいか。どこから来た?お前を見た者は突然現れた刺客だと言うのだが。何もない場所から現れたものだから魔導師だとも」


聞きなれない言葉にも冷静に対応する


「どこから、って。ここはどこですか?」

「煌。煌帝国」

「こう、ていこく?日本のどこかではなく、別の国ですか?」


服装だけなら中華の国に似ていたが、名は違っていた
聞いたことのない名だった
日本の地域のどこかなら帰りやすい、連絡も取れるかもしれないと淡い期待を抱いた


「……日本。極東にそのような国があると聞いたことがあるが。あそこは閉じられた国ではなかっただろうか」


閉じられた
気にはなったが、議論する場合ではなく整理して落ち着いた
日本ではないという決定的なことに少し落ちこんだ


「じゃあ、この場所は異国なんですね。わたしはここより東の日本というところから来ました。刺客ではありません。ただの小学生です」


敵ではないと示そうと刺客ではないと断っておく
これが少しだけ周りや人物の緊張を解いた気がした


「学生?確かにお前は呑み込みも早くて賢そうだが。どうして、どうやって皇族の住居区画まで侵入した?」

「分かりません。ただ、わたしがいけない場所に踏みこんだとしたら申し訳ないと思っています」


とりあえず謝っておく
悪いことをしたとは思えないが、何が悪いのかも分からない状況で、下手に自分の無実を証明するより得策だった


「そうか。これからどうするつもりだ?」

「許してもらえるなら解放してもらって、わたしの国にどうにか帰りたいと思います」

「……今すぐ許すとは言えないな」


さっきまで刺客だと思われていたのだから当然だと思ったが、それでも落ち込んでしまう


「そう、ですか」

「お前を疑っているわけではないが、少し調べる必要がありそうだ」

「では、ここで過ごすのでしょうか?」

「……この場所は罪のない子どものいるべき場所じゃない」


彼女の言葉を否定したのは疑心を持っているはずの人物自身だった
彼の知り合いにも彼女と同じくらいの子どもがいるからか、この処置には苦言があったらしい


「でも」

「私の小姓の席が一人空いている」

「こしょう?」

「主人の側で仕えて世話する者だ。お前は物覚えも良さそうだし、ちょうど困っていた」


いけませんと周囲で非難の声が上がるが、意にも介さずにその人物は微笑んで牢屋の鎖を外して彼女に手を差し出した


「おいで、レイラ」


光の鳥が彼の方に飛んでいくのが彼女にははっきりと見えた
理由は分からないが、信用しても大丈夫な人物のように感じられて、差し出された手を取った
冷たい床の感覚が消え、温かい人の感触が彼女を覆った


「怖かったろう」


嘘は言っていない
しかし、虚勢を張っていたのは事実で、全て彼に見透かされていた
止まっていたはずの涙が溢れて零れて、彼の肩を汚した
今までの世界を失った子どもが不安を抱えて彷徨っているのを優しく受け止める者が別の世界にもいた
世界はそれほど違ってはいない
彼女は生温い温かさを別世界で享受した




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