くも、という素朴な雑貨屋さんが京都にある 何故か目立つ黄色のキリンが入口を塞いでいて、硝子越しの棚には可愛らしい置物、昔ながらの玩具、ボタンの入ったガラス容器がちょうどいい感覚で並べられている 人通りの少ない裏通りにあるその雑貨屋さんは心がほっとする不思議な何かが置いてある 「ハルさん、こんにちは」 「レイラ、いらっしゃい」 店主のハルさんとは店に通い詰めているうちに親しくなった 彼はとてもいい人で、何時間も一つのものを買うか買わないか悩んでいる私に文句も言わずにお茶まで入れてくれる 「あ、この器」 この間の骨董市で目にしたものが目新しく磨かれて置かれていたことに驚いて思わず手が伸びた やっぱりいいものはいい 青と薄青のコントラストが絶妙なタイル張りの器 他にはあまりない、古都ならではの掘り出し物 「気に入った?」 「やっぱりハルさんも骨董市行ったんですね」 「うん、仕入れにね」 他にも何点か知らなかった品物があちらこちらに置かれている 可愛らしくて温かくて、ほんのり優しい 全て欲しくなってしまう気持ちを抑えて、本当に必要なもの、欲しいものを考えていく 「くも、の看板はハルさんが作ったんですか?」 「……え?」 「看板、私もそろそろ作ろうかなと思ってて」 「もうすぐ開店するんだったっけ」 「はい」 素敵なお店に憧れて、自分のできることを探して色々なところを巡った 結局は故郷の京都に戻ってきたのだが、自分のお店を出すことがいつの間にか次の目標になっていた 小さいながらも雑貨屋にカフェを併設して開店することを目指してきた 夢がついに叶う 私のようにゆっくり吟味して、ものを選びたい人が遠慮なくゆっくりして素敵なものを手にできるようにお手伝いをするまでだ 内装や置くものを先に考えて準備していたので肝心のお店の名前、看板を考えることを忘れていた 何かヒントになるものはないか、こうして久しぶりにくもの店にやってきて、ふと他の人はどうしているのか気になってしまった 「これは俺の作ったものじゃないんだ」 「意外ですね。ハルさん、こういうの好きそうで作ってしまいそうなのに」 ハルさんは器用だ 店のこともよく考えられていて、店のことを大切に想っていることが端々から感じられる そして、自分でできることは全て自分でこなしてしまう そんな彼が店のことを他人に任せることもあったのかと心底意外だった 少し愁いを帯びた表情になって、彼は私から顔を背けた 珍しいこともあるものだ 彼はいつも笑みを浮かべていて、悲しいなどの負の感情を客に見せることはない 完璧なまでの夢の中の雑貨屋の店主で、私の憧れでもあった 「……おいで」 ハルさんが踵を返して私に表情を見せないまま口にした言葉 何があるのだろうと期待して、普段はそこまで上がらないのに雑貨屋の店内から家の奥の奥の方へと歩く彼の後を大人しく追って歩いた 家の中も彼らしく綺麗に整えられていて、ただ少し奇妙なことに彼以外の匂いが微かにした 決して不快な匂いではなく、これも彼に似た優しい香り 「押入れ?」 突き当たった部屋にあったのは、ものが沢山詰め込まれている不思議な押入れ 開けっ放しになった扉からはクマやボタンやアルバム、様々なものがこちらを見ている その中でも一際目立つのは、まるでルビーのように光る赤い真っ赤な実の飾り 「くるみ」 「!」 「くるみの実ですよね。すごい、こんなに綺麗にできるんだ。線も綺麗に入ってる」 まるで心臓のように、今でも動き出しそうな飾りだった ハルさんのお宝なのだろうかと思案して、これを見せてくれた意味を考えたが私にはさっぱり理解できなかった 「レイラ」 「はい」 ハルさんに名前を呼ばれて振り返った私の視界は昔の画面のように砂嵐が起きて目の前が眩んだ 座り込んで押入れを覗いていた私は当然よろけて、そのまま倒れてしまった くるみの実を潰してしまうと思ったときに、咄嗟に私は手が出てその実を手のひらで覆って守った 余計な気を回したせいだろう 打ち所が悪かった私はその後の現実の意識がない 代わりに夢の中で過去のハルさんを見てしまった ハルさんの全てが走馬灯のように夢を横切って、想いも優しいわけも知ってしまった 再び目覚めて現実に戻ったとき、私の瞳からは一筋の涙が零れ落ちた 「大丈夫!?気分はどう?今、先生を呼んだから診て「ハルさん」 愛しい人はいつも側にいる 彼がくるみさんから生きる力をもらったように、私も彼から生きる力をもらっている 失うまで気づかなくて、そんな普通のことが一番大切なのだ 「私、店の名前決めました」 意識を取り戻してから、足早に必要なものを買って去ろうとする私にハルさんは心配そうだった せめて医者に一度診てもらったらとしつこく勧められるのを断って、ボタンを飾りをいくつかと気になっていた器を購入した 「ハルさん、開店したら来てくださいね」 きっとですよ、と私が言うとハルさんは分かったと書かれた住所を握りしめてくれた そんな出来事から数日して、無事に私の念願の開店した 開店初日は午前中から忙しく、ようやく落ち着いたのは日も傾いて終業時間ぎりぎりだった しばらくはこんな日が続くのだろう しかし、忙しいのはうれしいのだが、こうも忙しいと本当にゆっくりしてもらえているのか怪しいものだと表の札をやっていますからまだですよに変えると苦笑した ハルさんは開店の日には来なかったなと今更ながら思って落ち込んだ 「……ごめん、もう終わり?」 ぼーっと通りを眺めていると、背後から近づく人に気づかなかった私は振り返って目を見開いた 走ってきたのだろうか、少し汗のにじんだ髪の乱れたハルさんがいた 「ええ。でも、せっかくだから見て行かれませんか?お茶でも入れますよ」 私はどうぞとハルさんに扉を開いた 彼は店の前で立ち止まっていた 「くるみ。……やっぱり見たんだね」 「ごめんなさい」 「急に過去なんて知ってびっくりしただろう?」 「はい、少し。でも、だから今のハルさんがあるんだなって納得もしました」 そして、私も誰かに何かを与えられる人になりたいと思った 「くるみ、というお店の名前。やっぱり変えた方が「いや、いいんだ」 ハルさんが気になるなら変えてもいいと思っていた でも、くるみさんがいてハルさんがいて、今の私がある そう考えたときに頭に浮かんだくるみさんへの感謝は店の名前として表したくなった 「ありがとう、ハルさん」 ハルさんだけでなく大丈夫だと誰かが言ってくれているようで、私は自然に体が温かくなったのを感じた |