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□エンドロールが終わらない
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エンドロールが終わらない
幕が再び上がる音がする
▼デルフィニア
レイラが真っ先に希望したのは自らの手足が眠っていると思われるコーラルの王城の中だった
おそらく誰か見知った者がいるだろうと、リィの肖像画が飾られている薔薇の間に足を下した
突然どこからともなく霞の中から現れたレイラに朝早くから仕事の前の祈りを捧げていた若い侍女は悲鳴を上げた
騒ぎを聞きつけた者が続々と集まってくる
その中に見知った古参の侍女がいるのを目敏く見つけ、彼女の腕を掴んだ
「わたしの弓矢と剣はどこにある?」
「……姫さま?本当に姫さまなのですか!?」
懐かしい呼び方をされたものだ
今の世界でも一族やレティシアからは相変わらず呼ばれるが、もうそれは通り名めいている
権力めいたその呼び方をレイラはこちらでは嫌っていた
嫌っていたことも過去のことで今では取るに足らないことだが、後々厄介なのはごめんなので否定した
「わたしは姫じゃない。この城の姫は兄さまとポーラの娘たち」
「失礼しました。レイラさま」
周囲がその会話にざわめいたのがわかった
それもそうだ
レイラというデルフィニアにいた人間は十年前、王妃たちと天界に召された特別な人間だとと伝説に最早なっているのだろう
事実を知る者も十年過ぎれば、少なくなる
「何の騒ぎですか?」
落ち着いた女の人の声にレイラは聞き覚えがあった
十年たっても、落ち着きはらった自然な美しさは健在であった
レイラは足早に歩みをその人の方に向けた
「ラティーナ」
彼女とはスーシャにいた頃からの長い付き合いだった
実の姉のように慕い、身内のように幸せになって欲しいと願った
美しい顔は勝てるはずのない戦いに夫や友人たちを無理に笑って送り出した後で、少しやつれて見えた
「……これは、夢でしょうか?」
目を見張ってレイラの姿を認めるが、信じられないのか焦点の定まらない言葉が発せられた
「頬をつねってみて」
「痛い、ですわ」
「なら、現実ね。ラティーナ、会えてうれしい」
レイラは笑って手を差し出した
姿に十年の年月は感じられず、むしろ若く感じた
天界では時が止まるのだろうか、なぜ今帰って来たのか、聞きたいことはたくさんあるがどれもラティーナの口には出てこなかった
子どもがいなかった自分にとっては子どものような妹のような存在で、ときどき戦いにも出てしまう遠い存在で、失って思い知らされた
小さな体なのに、王妃同様とても大きな者だったのだ
「レイラ」
「はい」
「レイラ!」
ラティーナは手をつかんで離さないように引き寄せて、久しぶりのレイラを抱きしめた
「やっぱり故郷はいいものね」
帰って来た感触がする
視覚も聴覚も嗅覚でさえ、なじんでしまうくらい長い時間、この世界にいたのだ
今の世界を楽しんでいないわけではないが、懐かしくうれしく思ってしまうのも無理はない
「もう来てはいただけないと思っておりました」
何度も祈ったのだろう人の思いは強く、ウォルを運んでしまうほどの力になる
「王妃も来てる」
「まあ」
そうではないかと思っていたのだろう
ラティーナの顔が一層綻んでいるのがわかった
何度も苦労をかけて申し訳ないとレイラは謝った
「相当、兄さまにお怒りよ。天界からは滅多にこちらの様子が覗けないの。こんなに大変なことになっていたなんて……気づかなくてごめんなさい」
「そう、でしたか」
こちらの人たちは違う世界を本当に天界にある世界だと思って勘違いしていた
勘違いがなぜ王妃が来てくれないのかという苦悩を更に深くした
「いっぱい泣いたみたい、ラティーナ」
「わかりますか?これでも隠すのはうまい方だと思っていましたのに」
「厚化粧がこれほど似合わない人も珍しい」
元より顔色がよい方ではないのに、血色が悪いのを無理に隠そうしてひどくなっている
この顔では子どもたちもより心配しているだろう
しかし、話に花を咲かせるわけにはいかない
全てが終わってから聞かせてもらおうと、レイラは弓矢と剣を急いで持って来た侍女を端にとらえて思った
「もう行かなくては。王妃と合流すると約束してあるから」
手早く受け取ると、体にうまく巻きつける
何年も手にしていなかったのに、おそろしくなじんだ
体の奥の方で赤いじんわりとした何かがこみ上げる
「お帰りをお待ちしております」
「ポーラとラティーナの手料理を楽しみにしてる」
ご褒美でももらわなければ、割に合わない
「いくらでもご用意して待っています」
ラティーナの今までで一番綺麗な笑みを見た気がした
デルフィニア紋章のついたものを再び身に着けるとは思っていなかった
戦うときの自分の格好をよくわかっているルウに感謝した
レイラは王宮にまだ残っていた適当な馬に乗ると、すぐに地面を蹴り出した
目指すのはロシェの街道
慣れた道だが、いつどこで何が起こるかわからない状況に気を引きしめた
「まだ兄さまは後ろか」
ロシェに差しかかろうとするのに、国王の姿が見えない
先回りするうちに追い抜いていたらしい
多勢で駆けるよりも単独の方が速いことはよくある
レイラは幼い頃から馬に親しみ、名手と呼ばれるほどに馬を乗りこなしていたから同然と言えば当然のことだった
えらく大きなデルフィニア軍を率いての出陣だったらしい
あちこちで戦いの音がしているのに、国王が間に合っていないようではと思ったが、少し小高い場所から観察するに数が少ないデルフィニア軍の方が優勢に見えた
「……リィたちは着いたんだ」
理由は明白で、見慣れた姿を探してレイラは身震いを一つして戦いの中に身を投じた
相手方の頭を取りに向かっているのがわかった
斬りつけてくる相手をかわして斬り、馬で進んでは先の敵を矢で落とし、久々の感覚でも身体が覚えていることに歓喜した
これほどまでに気分の高揚が高まるのも戦場だけだ
未だにこの経験以上のことは今の世界では経験したことがなかった
一通り敵を蹴散らし、急に現れたかのように見える味方の強い者は何者か味方側の方が気にできるくらいの余裕ができたすぐ後に、相手方をリィが捕らえたと伝令が入った
だいぶん中心部に前に進んだと思って、そのまま馬で直感的に駆けると目指していた姿があった
「リィ!!シェラ!」
携帯端末がないのがとても歯痒かった
すっかり便利な生活に漬かっていたことに気づいて苦笑するしかなかった
再会の喜びは一入だった
レイラの声に気づいて、周囲にいた見知った者たちも懐かしい声、姿に目を見開く
「……レイラ!!よく着いたな!」
「いるのはわかってたんだけれども、どこにいるのかわからなくて探してた」
「全く便利なものですよね、あちらは」
「疲れてるみたいじゃない」
「さすがにな」
互いの仕事がうまくいったようで、約束した通りに再会できたことを喜ぶ三人に周囲は唖然とした
「ごきげんよう、皆さま」
ひとしきりお預けのように三人の会話を聞いていた者たちに、レイラはようやく気づいたかのように微笑んで言った
「お前!!」
「姫さま!?」
「レイラさま!」
「レイラ!」
イヴン、ドラ伯爵、シャーミアン、バルロの順に重なるように叫んだ言葉はレイラ当人にしっかり聞こえていた
「だーかーら、レイラでいいから。イヴンとバルロ以外」
「「何でこいつと一緒なんだ!!!」」
「そういうとこが一緒だから」
悪戯が成功した子供のように馬で駆け回りながら笑って会話するレイラに、相変わらずだと見知った者たちは頭を抱えた
「本当にのびのびしてますねえ」
「やっぱりこっちの世界が合ってるんじゃないか?」
「……リィに言われたくない」
リィに皮肉にも言い含められて、大人しく馬から下りて懐かしい面々と言葉を交わそうとしたレイラを馬が止まった瞬間に抱きすくめた者がいた
「馬ぐらい普通に下りさせてよ」
「馬鹿野郎。どれだけ待たせれば気が済むんだと、こっちは冷や冷やしたぜ」
もう一人の兄と言っても過言ではないイヴンの姿にレイラは憎まれ口を叩きながらも安心して体を預けてそのまま地面に下してもらう
「ねえ、兄さまは?」
レイラの言葉に大切な用事を思い出して逆立ったのはリィだった
物凄い気迫を背負った形相に多くの者が及び腰になる中、レイラは可愛らしく小首を傾げる
「まだ到着してないの?おかしいわね」
「妃殿下!妃殿下!陛下がお越しですぞ!」
実にタイミング悪く、その姿は現れた
「――なぜ来た!?」
「黙れ!!」
勝利に沸き返っていたデルフィニア軍の者たちはすくみ上った
しんと静まり返った場は戦場だと思えない
この様子を見たバルロは激しく場違いな命令を下した
「全員!!回れェ右っ!!」
臣下が一人残らずそっぽを向く中、リィとレイラはウォルを睨み据えてずいずいと歩いて迫った
「――逃げるな!避けるな!言い訳はするな!貴様にはそのどの権利もない!!」
リィの言葉に反論の余地はなかった
お先にどうぞとリィに目配せしてレイラはその場で回れ右した
ほんの少しあったウォルの希望は絶たれた
そして、リィに散々どつかれた後にレイラは他の者と再会を喜ぶリィを傍目にウォルに静か怒り始めた
「ハーミアが許しても、妹は許しませんから」
「すまん」
「兄さまのいいところは裏目に悪いところに変わるのですから、もっと自覚してもらわないと。十年、ぼーっとして過ごしていたのでしょう、どうせ。冬眠している熊のように」
「熊っ!?」
「何か?まあ、そのくらいのんびりしているから、わたしが何者でも関係なかったなんて阿呆なことを言えるのでしょう。でも、もうこれきりにしてください。心臓に悪い」
レイラが胸を押さえて本当に苦しげに言うので、ウォルは頷くしかなかった
たとえ足の甲を地味にぐりぐりと踏まれていたとしても、だ
最後に、よくここまで保ってくださいましたと本人だけに聞こえるように耳元で囁いてからレイラはウォル以外の者にも声をかけに歩いて行った
「ああ、ロザモンドさま、シャーミアンさま。もっと顔を見せてくださいな」
「光栄です、レイラさま」
「ああ、レイラさま!」
まだ若い少女の面持ちを残したレイラにデルフィニアを代表する女騎士が膝をつき、首を垂れるのを兵士たちは一歩引いて見ているしかない
彼らにとって、リィと同等にレイラは別の世界の不可解な者だ
やはり変わってしまうものは必ずあるのだと周囲の様子を確認しながら、未だに変わらず兄と慕った王に忠誠を誓い、守ってくれている目の前の二人に感謝した
「二人が何人もの子持ちだとは、にわかに信じがたい」
置いていかれた気はしない
懐かしくうれしい気持ちで、自らも同じ目線まで屈んで二人の手にレイラ自身の手をそえた
「あなたさまはちっともお変わりにならない」
レイラのリィと同様に以前と変わらぬ姿だけでなく、姿勢をも見定めてロザモンドは言葉を口にした
「子どもっぽくてびっくりしたでしょう?あなたたちの子どもの年齢に近いもの」
「いえ、やはり人ではないのだと思い知らされる」
ロザモンドはリィだけでなくレイラまでもが外見が変わっていないことに、その姿を最初に見たときはショックだった
リィは突然降ってわいた天からの贈り物のようなもの
対してレイラはデルフィニアで生まれ、育った近しいもの
デルフィニアを去る前に告げられた、受け入れがたい事実に苦悩した
レイラはれっきとしたスーシャの領主娘
血こそ繋がっていないし肩書など嫌って存在しなかったが、近しい者たちからは国王の妹として認められていた
それを昨日今日で別の世界の人だったと認められるはずがなかった
「中身は人と何ら変わらないのにね」
「だからこそ、好ましく思うのですよ。昔も今も」
もう十年たったのに、昨日のことのように鮮やかな記憶が蘇る
レイラはデルフィニアになくてはならない存在だった
レイラの空いた穴を埋めることはレイラが再び帰ってくる以外に埋めようがなかったのだとようやく気がついた
それでも、引き止めるわけにはいかないのだろう
きっとすべてが終われば、また迎えがやってくる
レイラは本来、デルフィニアに生まれるはずもない奇跡だった
「お世話くださった馬たちが皆、大きくなってこの場で働いてくれております」
シャーミアンの言葉にレイラは側にいた馬を優しく撫でて目を細めた
「そうか。見覚えがあると思ったの。子馬もしっかりと育ててくれて、ありがとう。やはりあなたたち親子に任せたのが正解だった」
レイラから預かった馬たちは多かった
王宮で世話できるものと、そうでないものもおり、主にドラ家では王宮で預かりきれない馬を預かって育てた
戦向きの気性の荒い馬もいれば、順応な優しい馬もいて世話をするのに苦労した
しかし、違うように見えて共通するところがあることにシャーミアンは十年、馬たちを見ていて知っていた
厩で馬を世話する者が世話をしながら、よくレイラの名前を口にしていた
理由を訊ねると、その方がよく言うことを聞くというのだ
名前を口にして馬たちを騙すようなことをしてしまっているのは分かっていた
それでも、レイラの名前を頼りにしてしまうのは心のどこかで未だにあきらめきれない思いがあるのだと気づいていた
そして、期待はついに叶えられた
「もったいないお言葉です」
未来のために託されたのだと知って、シャーミアンの肩に乗っていた大きな荷物が下りた
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